コレクター 9
白鷺さんと初めて会ったのは、入学式が終わった直後だった。
パパと二人で夜景が綺麗に見える高層ビルの最上階にある居酒屋で船盛を食べるため、燿馬とママペアと合流するために駅に向かって歩いていた時に呼び止められた。
「東海林 恵鈴さんですよね?」
振り返ると、にっこりと可愛い顔をして微笑みを浮かべたスーツ姿の若い印象の男性が立っていて、パパがすぐに私を背中に庇っていた。
パパは我が家では特別な能力はないノーマルな人だ。でも、ずっと長くママと一緒にいるせいで、本能的な感覚は通常の人よりも発達しているのかもしれないって、ママが話してくれたことがある。パパは危険に対する勘がとても優れているんだって。
だから、この時のパパの反応はやっぱり大正解だったんだと改めて実感してしまう。
あの時は、物腰の柔らかい男の人だなぁと思ったのに。
今、目の前にいる白鷺さんは別人のように怖い顔をして、高圧的な態度で私に命令をしている。
それから、さっきの初老の男こそがきっとこの怯えた画商の雇い主、この私設美術館の主オーナーに違いないと思われた。あの人に余程の弱みでも握られているのかな。
白鷺さんの肩から薄っすらと立ち上る湯気のようなオーラは、濁っていた。
「……白鷺さん。酷いです。この手錠を外してくれないと、何も話しません」
私は勇気を振り絞ってそう言った。
綺麗に服を着こなして、車の運転も丁寧で、私の絵の感想を熱く語ってくれたあの日の白鷺さんを嘘だとは思えない。今、この時の彼は追い込まれている。異常なほどに神経が逆立って、駆り立てられている。私はそう感じていた。
「もしも、助けが必要ならそう言って。私を誘拐したのは、あなたの意思ではないんでしょ?」
私の言葉にまた肩をこわばらせた白鷺さんは、急に下を向いた。そして肩を怒らせながら、
「質問に答えてくれさえすれば良い! 僕の心を読まないでくれ!」と、抑え目に叫んだ。
視線を彼から絵に移していく。同じものを自分の絵に描き込んだ覚えなんてない、その何かわからない物をじっと見つめた。すると、なぜかとても懐かしい気持ちがしてきて、私はそれを知ってると思った。
でも、思い出せない。
まだ、思い出せない。
時間が要る。
それだけを思って、再び視線を白鷺さんに戻すと。彼は絵を見上げて、とても悲しそうな顔をしていた。今にも泣き出しそうな小さな子供の顔。母性が刺激されてしまったのか、こんな酷い仕打ちをされているというのに、無性に彼を抱きしめてあげたいと思ってしまった。
流されてはダメだ。
私は目を閉じた。心の中で、彼の名を呼ぶ。
私一人では、どうにかなる相手じゃない。
助けて、ママ。
助けて、パパ。
助けて、燿馬!!
* * * *
「恵鈴??!」
今、確かに聞こえた気がして振り返っても。俺の彼女は、妹の恵鈴は、どこにもいない。
「聞こえたの?」と、お袋が視界に入ってきた。
恵鈴にそっくりな、もとい、お袋に良く似てしまった恵鈴を攫ったヤツの手がかりを求めて、お袋は管理者にアトリエの鍵を開けさせた。事務員は明らかにお袋を恵鈴と勘違いしていた。
油絵の具特有の強い匂いがするアトリエに、恵鈴の気配の残像を感じて胸が疼いている時に、俺は確かに名前を呼ばれた。
「そろそろ目が覚めた頃じゃないかと思って」と、お袋は真顔で言う。
その横顔はまるで氷の女王のように冷たくて、あの朗らかなお袋とはまるで別人のようだった。
右手をわずかに前に突き出して、何かを探知するかのように意味ありげに部屋中を移動しながら、ふと止まった場所の書類ケースの中に手を突っ込んだ。そして、一枚の小さな紙を抜き出すと、両手に持って顔を近付けてまじまじと眺め出した。
「それ、名刺?」
「……この名刺の人の顔が何となくだけど視える気がする」
そう言うと、お袋は勝手にスケッチブックとB4の鉛筆を拝借して、徐に筆を走らせた。何か別人が憑依したかのようで、とても近寄りがたい雰囲気に圧倒されながら絵を眺めていると、お袋も絵心があったのだと感動してしまった。
そして出来上がっていく絵を眺めていると、お袋の携帯端末のメロディーが流れ出した。
「ようちゃん、お願いしてもいい?パパからだわ」と、妙に低い声で指示されて、俺はお袋の上着のポケットに手を入れて、携帯端末を取り出した。
「もしもし?」
『燿馬か。どうだ? 恵鈴は見つかったか?』
かなり早口で、余裕のなさがはっきりと表れた声色に俺もつい焦ってくる。
「今、恵鈴のアトリエに来てる。お袋が名刺の人物の似顔絵を描いてるところ」
『似顔絵??』
親父は明らかに驚いていた。
「な、親父。こういうの今までもあったの?」
『ない、ない。夏鈴が俺の前で絵を描いたのは学生の頃が最後で…』
「もう、そうじゃないよ。お袋、すごいエスパーみたいなんだけど。誰か別人が憑依してるんじゃないのかってぐらい、怖い顔してる……」




