10◇ブラウニー
ここは小高い丘の上、またもいきなり見知らぬ風景へと。晴れた明るい陽気の中で、子供達が花を摘んでいる。
この子供達が次の妖精か? と、しばらく見ていると、どうやら普通の人の子供らしい。
外国らしく金の髪、茶色い髪の子供達が花を摘み花冠など作って遊んでいる。
服装から見ても俺の知る時代よりは昔、なんだろうな。
思い返せば俺はあんなふうに外で遊んだりしていただろうか?
子供の頃は習い事が忙しくて、遊ぶのも家の中でゲームしてたような。
ぼんやりと楽しげな子供達を見ていると、急に子供達は立ち上がる。驚いた顔で、きゃー、とか、ひゃー、とか言って逃げ回っている。
よく見ればハチが飛んで一人の女の子を追っかけているようだ。女の子、というよりは女の子が頭に被った花冠を追いかけて、だろうか。
俺がその花冠を取ろうかと思い、近寄ろうとする前に男の子が、
「ブラウニー! ブラウニー!」
と、叫びながら空き缶を木の棒でカンカンと叩く。周りの子供達も合唱するようにブラウニー! ブラウニー! と叫ぶ。
するとハチは女の子から離れて、あらぬ方向へと飛び去っていった。
男の子はぐすぐすと泣く女の子の手を引いて、子供達は小高い丘から離れていく。
白に黄色の花が咲く丘から、ハチも子供達もいなくなってしまった。
「ブラウニーってのは、聞いたことあるな」
「呼んだ?」
そろそろ出て来ると思っていた。いつの間にか背後に立つ次の妖精に振り返る。
「おいらがブラウニーさ」
そこにはにんまりと笑う茶色の男の子がいる。
背丈はだいたい九十センチ、全身が茶色で毛深い、髪も茶色でクシャクシャだ。その上服も茶色。ボロボロの布を巻き付けたような服。
愛嬌のあるにんまり笑顔。
「スコットランドの高地、イングランドの南西部コーンウェール地方の古木の洞に廃墟が住み処。人とは仲良しな親切なゴブリン、それがおいら、ブラウニーさ」
「ゴブリン? ブラウニーってゴブリンなのか?」
「ゴブリンの種族の中の一種、とか言われてるね。とは言ってもおいら達はブラウニー以外にも、地域によってないろんな呼ばれ方されてるからさー」
「そうなのか?」
「マン島のフォノゼリー、チャンネル諸島でプーク、ウェールズのプーカ、アイルランドのプッカ、スコットランドのボーダハ、コーンウェールのピクシー、他にはラバー・フィンド、シルキー、ホブゴブリン。似ているとか、同じものが地方で呼び名が違うとか、まぁそんな感じ」
「随分といろいろあるもんだブラウニー。えーと、ホブゴブリンってことはブラウニーも家つき妖精なのか?」
「ブラウニーは家にも憑くし、人にも憑くのさ。それに最近じゃサンタクロースもブラウニーって言われたりするし」
「サンタクロースがブラウニー? 広げ過ぎだろそれは」
「一番年長のブラウニーがサンタクロースになる、だってよ。それともブラウニーからサンタクロースに進化したりするのかもよ?」
「パチモンゲットだぜ! 進化ってなんだよ? 妖精なんでもありか?」
「たまにボガードになったりもするのさ」
「進化ルートが違うのか? ボガードってのはなんだ? それも妖精か?」
「人から見て悪い妖精、かな? いたずらばっかりして悪いことを楽しむようになったブラウニーはボガードに下落するんだ。これがもっと成り下がるとボーグル、ボギーに転落してく」
「ボガード、ボーグル、ボギーって言われてもその違いが解らん。ますますポケ〇〇じみてきた」
「体が毛で覆われてるのは同じだけど、ボガードは色は黒いか。あ、のろまで単純な奴はドビーって呼ばれたりもする」
「派生が多すぎないかブラウニー?」
「他には、日本人もブラウニーって呼ばれたりしてるぞ?」
「なんだそれ? なんで日本人がブラウニーに?」
「ヨーロッパのホテル業界とかで、日本人は妖精みたいだ、って噂がね。日本人がいてくれるとこれがいいお客で栄える。だけど何で日本人が機嫌を損ねるのかが、まるで妖精のように解りにくい。そして家つき妖精のように、いなくなると没落するってさ」
「なんでそんな風評が?」
「さてね? 日本人の観光客がなんかやらかしたんじゃない? でも他所の国から見た日本人はまるで妖精のようだ、ってのは昔から言われてることだよ。まるで働き者の妖精さんって」
知らなかった。日本人が世界から妖精扱いされていたなんて。そりゃ昔の日本人は欧米から見れば背も低くてちっちゃく見えるのかもしれないが。休みも無く働いてるようにも見えるのかも。日本人は仕事大好きな働き者の妖精さんかよ。
「というわけで日本人のあんたもおいら達ブラウニーの新しい仲間ってわけだ。よろしく兄弟」
手を伸ばすブラウニーの毛むくじゃらの手と握手なんてしてしまうが、
「いや待て、いきなり妖精の兄弟とか言われてもだな。だいたい日本人も妖精だとか、それならブラウニーっていったいなんなんだ?」
「見ての通り茶色だからさ。ブラウニーってのは、茶色いさんってことさ」
「確かに体も髪もボロボロの服も茶色だ」
「お菓子のブラウニーだってその語源はおいらなのさ」
「そういや、チョコレートのお菓子でブラウニーってのがあったか」
「今でもバノック、えーと、一口で食べられる小さな焼きパンのことだけど、このバノックをブラウニーが喜ぶごちそうって言ったりするのさ」
「その一口焼きパンが好物なのか?」
「ブラウニーの仕事のお礼にはカップ一杯のミルクとかクリームとか、大麦の粉で焼いたパンに蜂蜜を縫ったものを、夜に窓辺に出して置くのがお約束さ。ちょっとのお礼でよく働くのさ」
「家つき妖精のお約束って奴か」
「このおいらが仕事をしたのにそのお礼を忘れたら、青アザができるほどつねったり、仕事をめっちゃくっちゃにしたりするけどな」
「仕事してくれるのは有り難いが、何やってんのお前」
「スコットランドのロージアン近くの村のクランショーズにいたブラウニーはとっても働き者だったのによ、ブラウニーが仕事したあとの納屋に入った農家の使用人が、つい言っちまったんだよ」
「なんて?」
「『今年の麦はよ、刈り方もなってねえし、積み方もよかねえな』って。それで頭に来たブラウニーはその夜に、」
突然ふっ、と辺りが暗くなる。クラっと眩暈がしてして、目をつぶり、目を開ければいきなり辺りは夜になって場所が変わっている。星明かりの夜の中、目の前には木でできた納屋がある。
ドンガラガッシャンと大きな崩れる音が納屋の中から響いてきた。雷みたいな音に驚いていると、その納屋の中から声が聞こえる。
「刈り方が悪いんだと! 積み方が悪いんだと! そんなら二度と刈ってやらん! 鳥が岩じゅうにばらまこう! お前ら苦労して刈りなおせー!」
納屋の扉がバンと音を立てて開き、刈った麦が鳥の群れのように飛び立ち、辺りにバラバラと撒き散らされていく。うわぁ。
「なー? 頑張って仕事したのにそんな言い方ってないよなー? めっちゃめっちゃにしても仕方無いよなー」
「いや、ブラウニーを怒らせたら面倒なことになるってのはよーく解った」
「そーだろ」
「仕事って麦刈りか? レプラホーンは靴の修理だったけれど」
「ブラウニーの仕事は、わりとなんでも、かな? 人が寝静まった夜にやり残した仕事を片付けんだ。作物の刈り取り、麦うち、粉引き、台所の皿洗い、洗濯、羊や鶏の世話、とか。あとは産気づいた娘の為に産婆を呼びに行ったりしたこともあるぜ」
「救急隊員もやるのかよ、ブラウニーは?」
「ま、そのブラウニーはスコットランドのダルスウィントンを流れるニス川の古いよどみのほとりに住んでいて、マクスウェルって地主の娘さんととっても仲良しだったのさ。娘さんの相談相手にもなったり、その娘さんが恋人と上手くいくようにいろいろと手助けして、結婚まで面倒みたりな。そいつ世話好きなんだよ」
「世話好き、というかその地主の娘さんが大好きなんじゃないのか? しかし、その産婆も驚いたろうな。茶色の毛むくじゃらがいきなり呼びに来たってんなら」
「いやー? その晩は大雨で、川の水嵩も上がっていてな。最初に頼まれた厩番の小僧があまりにもぐずぐすしてたんで、そのブラウニーはフードつきのローブで顔を隠して、馬に乗って大雨の中、走っていったんだよ。産婆も地主の家の玄関に着くまで、ブラウニーだとは気づかなかったってさ」
「大雨の中を急いで、か。そのブラウニーって、実は娘さんに惚れてたんじゃないか?」
「さーてねぇ? 気に入ってたのは間違い無いか」
「で、その娘さんの赤ちゃんはどうなった?」
「無事に産まれたに決まってるだろ。ただまぁ、その人間好きのお世話好きも、それが切っ掛けで地主の娘さんと離れることになっちまってさぁ」
「なんでまた?」
「そこの地主が牧師に話したんだよ。そしたら牧師がこの話にとても感激してなー。こんなに娘思いの優しいブラウニーには、ぜひとも洗礼を授けてやりたい、ってさ。牧師も親切のつもりだったんだろうが、夜なべ仕事に集中してるブラウニーの頭に、バシャッと洗礼の聖水をかけちまったんだよ」
「ブラウニーに聖水かけたら、なんかあるのか?」
「そのブラウニーは一声わめくと、姿を消して二度と現れなくなった。住み処のニス川のほとりからもいなくなってしまったのさ」
「聖水が弱点だったのか? ブラウニーって? 悪魔かよ」
「聖水、聖書、鉄、塩、汚水が苦手なんだよ、おいら達は。まぁ、その牧師も知らなかったんだろうさ」
「はー、良かれと思ってやったことで二度と会えなくなるのか。妖精って難しいとこあるな」
「まー、つきあい方を心得てくれりゃあいいんだけどさー」
毛むくじゃらの子供みたいな、なんだか子供が着ぐるみでも着ているようなブラウニー。ニヤニヤ笑う顔には愛嬌があって、人間のことが好きな座敷わらし? みたいな妖精。
人が寝静まってから見つからないように仕事するくせに、お礼が無かったり仕事に文句つけたら怒るとか、めんどくさい奴。それが不思議な家つき妖精、というものなのか。
「ん? さっきの子供がハチにブラウニー、ブラウニーって叫んでいたのは?」
「ブラウニーは蜂の守護妖精でもあるのさ。おいらを呼んだら蜂を集めて連れて行ってやるのさ」
「蜂の守護妖精? 蜂を守ってんの? ブラウニーは?」
「養蜂家にもブラウニーは大事にされてんだぜ」
「蜂蜜繋がりで甘いお菓子の名前になったのも、なんか解る話だ。で、なんでそんなズタボロの服を着ているんだ? というか服なのかそれ? ボロ布を紐で巻いてるだけじゃないのか?」
「ま、こういうのがブラウニーのスタイルって奴さ」
両手を広げて自慢げに、茶色のボロ布をマントのように広げて見せるブラウニー。
「まぁ、こいつにはいわくありでね。妖精の原典なんてのは胡散臭いものが多いわけだけどさー」
「原典? 何かブラウニーの起源とかに関わるのか?」
「妖精っつーのは、移住者によって妖精化された、現地の先住民の部族が起源ってーのがあるんだ。ケルトの先住民族フォモール族とか、ダナーン族ってのが、ブラウニーのもとになってる、てね」
「先住民? 部族? それって、ブラウニーはもともとは人間だってことなのか?」
「諸説粉粉、さて妖精とはもとは何者なのか? まぁ、おいら達家つき妖精が服を贈られたら怒って消える、ってーのは、先住民が征服民の文化に染められてたまるかよぅ、と怒ったから、なんていう過去が入っているとかね」
「おい、妖精が、先住民とか征服民とか、なんか生臭い話になってきたぞ。ケルト先住民族説?」
「これは日本にもあるだろ? アイヌ民族のコロポックルだって同じよーなものだろ」
「あ……」
アイヌ民族が追いたてた先住民族がコロポックルのもとになった、とかいうのは聞いたことある。
じゃあ、ブラウニーが夜中にこっそり仕事を手伝うというのは、先住民と征服民が大っぴらにできないつきあい方をしてた、とかなのか?
服を贈ったら怒って消えるっていうのは、服だけじゃ無くて、服装を含めた習慣を変えようとする文化的侵略の拒絶?
じゃあ、聖水と聖書が苦手っていうのは、キリスト教圏とケルト先住民の争いから?
おい、妖精って夢と幻想のファンタジーじゃ無かったのかよ。ブラウニーって、そんな重たい生々しい、先住民と征服民の争いの歴史から産まれたのかよ。
「まぁ、妖精にも歴史ありって奴さ」
「うーん、妖精を甘く見てたか? そういや日本の妖怪も、中には山奥に住む先住民族がもとになってるとかいうのもいたか」
「ブラウニーについては、こんなとこかな? 服の話も出たことだし、お別れにはひとつ体験してみるかい?」
茶色の毛むくじゃらの顔がにんまり笑い、パンと手を叩く。宙にポンと何か出て落ちてくるのをつい受け止める。
「これは、服か? 随分と荒い布地のシャツみたいだけれど」
「ブラウニーに服を贈るとブラウニーは消える」
「それって、」
「まぁ、これはブラウニーが人間が報酬をくれるまで働く運命にあるとか、報酬に束縛されるのを嫌うからとか、仲間に見せに行くからとか、服が気に入らなくて怒っていなくなるとか、いろいろと言われているものさ」
俺がこの手に持つシャツを贈れば、このブラウニーはいなくなる、という。にんまり笑うブラウニーは、それを寄越せという感じに手招きする。
「ほらほぅら」
「解ったよ。渡せばいいんだろ。ほらよ」
荒い布地のシャツを渡すとブラウニーはそのシャツを着る。顔をしかめて、ケッ、と一声。
「♪ごわごわ、ごわごわ、荒い布
挽くも、潰すも、もうやめだ」
歌い踊りながら、それでも顔は不機嫌そうに、ブラウニーの体は薄くなっていく。
「♪リネンの服をくれればなぁ
いつまでだって、世話したさ
運はおさらば、残るは不幸
おいらは、遠くに、出ていくさ」
怒ったように歌いながら、ブラウニーは消えていった。踊っているところは喜んでいるようにも見える。だけど、歌詞は不満気に。
ほんとによくわからない妖精。
ブラウニー、
毛むくじゃらの、茶色いさんだ。




