第95話 変わり果てた姿
昨日の決闘の熱気は霧のように消え失せ、またいつもの日常が戻ってきた。
決闘に敗北するとペナルティがある。
しばらくの間、決闘を制限されるため、生徒序列を上げることができなくなるのだ。
生徒序列を昇格する機会は次の試験まで訪れない。
次の試験までの長い期間、フェンにできることと言えば、魔法煙草に頼りながら自身の魔力を少しずつ高めていくことだけだった。
「……なんか、空気悪いね」
前の席に座るエリナがぽつりと呟く。
Cクラスの空気は、まるで曇天の日のようにどんよりと澱んでいた。
フェンは心の奥底でこのクラスに愛着を持っていた。
今はAクラスに所属してはいるものの、あのクラスにはサルヴァトールのような上流階級のものも多い。
実力主義で堅苦しい雰囲気に、今でも馴染めないでいた。
それに対し、このCクラスには独特の居心地の良さがあり、それは時にフェンの心の避難所となっていたのだ。
しかし、今は違う。
誰も彼も裏で魔法煙草を使用しているようで、単純に空気中の不純物が多い。
煙草の臭いが充満し、深呼吸するのがためらわれるほど空気は悪化している。
そして、それ以上にフェンが決闘で負けたという事実が、このクラスの雰囲気を重く押しつぶしているように感じられた。
Cクラスの生徒たちにとって、フェンは希望の星だった。
下位クラスから這い上がれることを証明する、生きた証のような存在。
少なからず、皆が彼に期待を寄せていたのだ。
しかし、その輝く星が一度の敗北で翳りを見せたことで、クラス全体が意気消沈し、沈黙が支配していた。
「ねえフェン、このままで大丈夫なのかな?」
エリナが何か言いづらそうに尋ねてきた。
「何がだ?」
「いや、その、魔法煙草を使うと……さ————」
フェンに遠慮しているのか、尻すぼみになっていく。
何が言いたいのかを問おうとしたその時————
教室の扉が勢いよく開いた。
大きな音を立てて入ってきたのは、ショーイだった。
「どこ行ったかと思ったら、まだこんなクラスにいんのかよ、フェン」
「ショーイ……!」
なんだか久しぶりにショーイに会った気がする。
しかし、目の前のショーイの姿は、以前の面影を失っていた。
頬はこけ、充血した目は獲物を追う猛獣のようにぎょろぎょろと不安定に動いている。
その全身から、まるで飢えた獣のような、異常な血の気が漂っていた。
「お前……なんか変わったな」
「そんなことねえよ。俺は前からこんなもんだ」
そう言いながらショーイは懐から魔法煙草を取り出した。
こんなところで魔法煙草なんて取り出したら、先生に見つかるだろう。
そう注意しようとしたが、ショーイの持っている異様な魔法煙草に目を奪われた。
「お、おい、なんだそれ!?」
見たことのない黒いラベルの魔法煙草だった。
シエラの魔道具店のどこにもこんなものは置いてなかったはずだ。
ショーイは笑みを浮かべながら答える。
「これか? お前の吸ってるそれの約4倍の効果を持つ、42ミリの魔法煙草さ」
フェンの顔に驚愕の色が広がる。
そんな馬鹿な……
魔法煙草を仕入れているのは僕だけのはずだ。
なのに、僕の知らない煙草があるわけがない。
ということは————
「まさか……あいつに会ったのか?」
フェンの問いにショーイは言葉を返さず、ただ不気味な笑みを浮かべるだけだった。
何かを隠しているその表情には、かつての親しい友人の面影は微塵も残っていない。
「もうこいつはお前だけのもんじゃねえんだよ」
そう吐き捨てるように言いながら、ショーイは燻る魔法煙草の先端を、フェンのローブに無遠慮に押し付けた。
「何すんだ!」
フェンが怒りを込めて声を張り上げると、ショーイの唇が歪み、冷笑を浮かべる。
焦げた布地から立ち上る煙が、二人の間に漂う緊張感をより一層濃くするようだった。
「気に食わねえんだよ」
ショーイの目に憎悪の色が宿る。
「お前だけが力をつけてると思ってるんだろ? 本当は俺たちみたいな力のないやつを見下してんだろ」
「急に何言い出してんだ……? そんなわけないだろう!」
フェンが反論するが、ショーイの勢いは止まらない。
「何が違うんだよ! 序列が上のやつ以外、眼中にねえんだろ!」
激情に任せた言葉が教室に響き渡る中、二人は獣のように互いの襟首を掴み合った。
魔法学校のローブがしわくちゃになっていくが、もはやそんなことを気にする余裕はない。
「ちょっと、やめなよ!」
エリナの必死な声が響くが、フェンとショーイの言い争いは止まらない。
「おい、ショーイ……喧嘩を売ってんのか?」
「だったらどうなんだよ? ええ?」
フェンの低い声の問いかけに、ショーイは挑発的な笑みを浮かべながら、さらに火に油を注ぐような態度で言い返す。
もういい。
これ以上、会話したところで意味はないようだ。
少し、お灸を据えてやる。
「いいさ。お前の喧嘩に乗ってやるよ……!」
互いの胸ぐらから手を離した二人は、距離を取る。
ショーイ、お前は一体何を考えている?
第三位の僕が、ショーイなんかに魔法戦で負けるわけないだろう。
そう思いながら懐から杖を取り出そうとした、その刹那————
ショーイの拳が、まるで光の如き速さでフェンの顔面を捉えたのだ。
突然の奇襲に全く反応できず、あっけなく吹き飛ばされる。
「きゃあ!」
エリナの悲鳴が教室中に木霊する。
フェンの体は複数の机を押しのけながら、無残に転がっていった。
その光景を見下ろすように、ショーイは拳を鳴らしながら、余裕を漂わせた不敵な笑みを浮かべていた。
「いつからそんな良い子ちゃんになっちまったんだ? お前は正統派な魔法使いなんかじゃなかっただろうが」
魔力を纏った拳による不意の一撃は、フェンの意識を揺るがすには十分すぎるものだった。
視界が歪み、一瞬朦朧とする世界の中で、フェンは必死に体勢を立て直そうとする。
くそ、魔法防御を……!
しかし、慌てて展開した魔法防御は、ショーイの拳前に脆くも砕け散った。
まるで紙を破るかのような容易さで防御を突破され、フェンは次々と容赦ない攻撃を受け続ける。
「おらおら! どうしたんだよ、第三位さんよ!」
「もうやめてよ!」
エリナの悲痛な叫びは、狂気に支配されたショーイの耳には届かない。
その声は教室の冷たい壁に虚しく吸い込まれていく。
「おらよ!」
その雄叫びと共に、ショーイはフェンの体を大きく持ち上げ、壁面へと叩きつけた。
衝撃と共に、フェンの後頭部から温かい液体が流れ出す。
鮮血が白い壁を赤く染めていった。
「ぜえ……ぜえ……全く大したことねえじゃねえかよ」
ショーイの姿は、もはや常人のそれではなかった。
血走った目、歪んだ笑顔、荒い息遣い——その全てが、悪魔のような様相を呈していた。
しかし、その笑いの中に潜む苦悶の色を、フェンは見逃さなかった。
どうして、そんな苦しそうに笑うんだ……
どうして、そんな亡者のような姿になっちまったんだ……
一緒にバカをやったあの時のお前は、一体どこに行っちまったんだ……!?
朦朧とする意識の中で、親友の変わり果てた姿に胸が締め付けられる。
こいつを止めないと……
親友として、暴走するお前を見ていられない。
そんな思いが、フェンの体を動かす原動力となった。
フェンが震える足で立ち上がる姿を見て、ショーイの顔に狂気の笑みが浮かぶ。
しかし————
「へへっ……そう来なくちゃな————ごほぉっ!」
突如として、ショーイの体に異変が走った。
「ゴホッ、ゴホッ……ツ……ぐあああっ!」
「ショーイ……? どうしたんだ!」
ショーイの体が激しく痙攣を始める。
まるで体の内側から何かが暴れ出そうとしているかのように、苦しみ、もがき始めたのだ。
充血した目が白を剥き、前のめりに崩れ落ちていく。
「ショーイ!」
苦しむ彼のそばへフェンとエリナが駆け寄る。
「おい! どうしたんだよ!」
フェンの問いかけにも、ショーイは何も反応を示さない。
どうしてこんな発作が起きるんだ?
何かの病気だったのか?
全く訳が分からず、思考が停止するフェンの横で、エリナが震える声で告げる。
「ねえ、フェン……これ……」
エリナの指し示す方向に目を向けた瞬間、フェンの体が凍りついた。
ショーイの肌の表面が、目を疑うような変貌を遂げていたのだ。
まるで体内から這い出してくるかのように、魔石が鱗となって肌を突き破り、その姿を露わにしていた。
「なんだこれ……? どうしてこんなことに……」
フェンは目の前の悪夢のような光景から目を逸らすことしかできない。
親友の異形の姿は、あまりにも残酷で、あまりにも理不尽だった。
不可解な肉体の変異と、親友の暴走。
その全てが、まるで底なし沼のような絶望となって、静まり返った教室を飲み込んでいくのだった。
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