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第76話 商談

「魔法煙草をもっとくれ!」


 フェンは机に身を乗り出し、鋭い視線を前に座る商人に向けた。

 薄暗く、白煙の渦が漂う店内。

 森の奥深くに隠れるこの小さな店は、相変わらず独特の煙臭さで空気を染めていた。


 かつては嫌悪感を覚えたその匂いも、そこまで嫌じゃなくなっていた。

 フェンも同じ物を吸っているからなのか。


 シエラはいつも通り、金属の煙草————煙管(キセル)と言うらしい————を優雅に吸っていた。


「もう一箱吸いきっちまったのかい? ずいぶん気に入ってくれたみたいだね。お気に召して何よりだ」


 呆れたような口調。

 フェンはその態度に内心苛立ちを感じた。


「この前はあれだけ警戒してたっていうのに————まあ、愛想のいい子犬ほど可愛いもんはないがね」


「ごちゃごちゃうるさいんだよ……! 魔法煙草をありったけ僕によこせと言っているんだ!」


 フェンは上半身を机に乗り出したまま、シエラを威圧した。

 以前の自分がどうであったかなど、もうどうでもいい。


『ロード・オブ・ウィザード』になるために、商人が煙草を売り、僕がそれを使う————ただそれだけだ。


 シエラは瞬き一つせずに煙管を吸うと————ふっと、笑顔を消した。



「悪いが————タダで煙草をやるわけにはいかないね」


「……は?」


 フェンはシエラの言葉を理解できなかった。

 商人の表情は冷徹で、もはや先ほど軽口を言っていた時とは違う。


「最初の一箱は、おためしってやつだ。こいつも勝手に生まれてくるもんじゃないんでね。次からは対価を貰う————商人として当然の権利だろう?」


「なんでだよ! 僕が『ロード・オブ・ウィザード』になれば、商品が売れるってお前が言い出したんだろ!」


「君が本当に『ロード・オブ・ウィザード』になれるっていう保証はないからね」


 シエラは飄々とした笑みを浮かべ、子供扱いするかのような態度で返した。

 交渉の余地を許さない。

 フェンは怒りと焦りが入り混じった感情に揺さぶられ、拳を握り締めた。


 クソ……なめやがって……!

 こうなったら力ずくでも分からせてやる————


 懐に手を入れ、杖を取り出そうとした瞬間————まるでその動きを読まれていたかのように、シエラの顔が目の前に迫っていた。


「吸うだけで魔法が強くなる————そんな都合のいいものがなんの代償も無しに手に入れられると、まさか本気で思っていたわけではあるまいな……?」


 悪魔のような笑みが、フェンの瞳に焼き付く。

 その存在感は、フェンとは別の世界で生きてきたことを無意識に感じさせる程の迫力を放っていた。


 そこで、フェンはシエラがこれまで飲み込んできた無数の魔法煙草を思い出す。

 そうだった————こいつは魔法煙草をずっと吸っている。


 明らかに僕より力をつけている。

 反抗するのは得策じゃない……!


 フェンの怒りは、氷のように冷たい諦めへと変わっていく。


「どんだけゴネても、ただではやらないよ————決めるのは君だ」


「……」


 シエラの一言に、フェンは黙り込むしかなかった。


 しかし、魔法煙草だけはなんとしてでも手に入れなければならない。

 魔法煙草はフェンの魔法を飛躍的に強化する、まさに野望への切符だ。

 魔法学校で中の下の実力しかないフェンにとって、この煙草は上位へ這い上がるための唯一の希望と言っても過言ではない。


 相手は商人。対価なしに物事は進まない。


 フェンは、シエラの条件を呑むしかなかった。



「————いくらだ?」



 フェンは内心の葛藤を抑え、震える声でシエラに尋ねる。

 これで支払えない額を提示されれば終わりだ。


 だが、魔法を無条件に強化できるような代物。

 途方もない金額を要求されても、不思議ではない。


 シエラは片足を組み、いかにも商人らしい余裕の態度で金額を告げた。

 目の前の少年を見下ろすような、そんな視線が冷徹に輝いている。


「一箱、5万ノリスでどうだい?」


「5万……」


 思っていたより高くない。

 正直、もっと法外な値段を要求されると思っていたが、これくらいなら払えなくはない。


 だが、フェンは最初にもらった一箱を、ものの三日で使い切ってしまった。

 このペースで購入を続ければ、あっという間に莫大な金額が必要になる。


 カナの治療費もある。できる限り出費は抑えたい。


 渇望と現実の狭間で揺れる心を必死に押し殺し、フェンは交渉を続けた。


「……もっと安くはできないか?」


「これ以上はできないね。駄菓子じゃねえんだ」


 シエラの返答は氷のように冷たく、交渉の余地を完全に閉ざしていた。

 五万ノリス————その金額は、フェンの懐事情をはるかに超えている。


 親からの小遣いは見込めない。

 休日にショーイと魔法用具店の手伝いに行っている給料と、喝上(かつあ)げして奪った下級生の金を総動員しても、到底足りはしない。



「お願いだ……! どうしてもこの魔法煙草がないとダメなんだ。僕にできることならなんでもするから————」



「今、なんでもするって言ったね?」



 シエラの指が鋭く突き刺さるように、フェンを指し示す。

 一瞬で背筋が凍り、迂闊な自分の言葉を呪った。


 だが、今更これを否定してもしょうがない。


「な、何をすりゃいいってんだよ……?」


 シエラはゆっくりと立ち上がる。木の床が、わずかにきしむ音がした。

 煙管(キセル)の灰を払い、棚から何かを取り出す。

 そして、突如フェンの目の前にそれを差し出した。


 それはぎゅうぎゅうに箱詰めされた魔法煙草だった。



「この煙草を売ってこい」


「え?」



 フェンは言葉を失った。

 目の前には大量の魔法煙草。

 それを売るって、僕が? 誰に……?


 シエラの意図が、フェンには全く読めなかった。


「そいつは試供品よりも()()魔法煙草だ。君にあげたのが10ミリ、こいつは1ミリ。つまり魔法の強化も10分の1ってことだ>」


 フェンは、目の前に広げられた箱を凝視した。箱は10個ある。

 計算すれば、これら全てを吸っても、最初に手に入れた一箱分の効果にしかならない。


「こいつを学校で売って、利益分の煙草を君にあげよう。要はバイトのペイを煙草で支払ってやるって話よ」


 シエラはさも簡単そうに言う。


 だが、これはとてつもないリスクだ。

 魔法煙草の存在が学校に露見すれば、学校から使用を禁止されることになる。

 それは計画の明確な失敗を意味していた。


「そ、そんなことしたら、学校にばれるだろう……!」


 冗談じゃない。

 魔法煙草を売り捌くなんて危険な行為、許されるはずがない。


 フェンは焦りを隠しきれていない様子のまま抗議するが————


「それくらいは、君の方でうまくやんなよ。どうあれ、想定の利益を得られなかった場合は、契約はそれでしまいだ」


 シエラは(あし)らうように対応する。

 完全にこちらの足元を見られていた。


 この商人としては宣伝が目的。

 魔法煙草の有用性を知らしめて、より大きな利益を得るつもりなのだろう。


 もはや選択の余地はない。

 背に腹は変えられなかった。



「————やってやるよ……! やりゃいいんだろ!」



 フェンは机をバンと叩き、激しい感情を爆発させた。

 荒々しく立ち上がり、店の出口へと向かおうとする。


「待ちな」


 だが、シエラに呼び止められた。

 フェンは不承不承振り返ると、彼女は懐から10ミリの魔法煙草を取り出し、彼に向かって放った。


「そいつはサービスだ。宣伝用に使いな」


「……ちっ」


 軽く舌打ちをしながら受け取る。

 こいつは常に自分を見下し、全てが手の平の上かのように振る舞っている。


 どいつもこいつも舐めやがって……

 絶対に力をつけて、全員分からせてやる……!



 フェンは怒りを剥き出しにしたまま、乱暴に店の扉を閉めて外へと飛び出していった。


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