第74話 キャットフィッシュの証
「ズビッ……うえーーん……」
眩しい陽光が照りつける屋上で、シーナは堪えきれずに涙を零した。
彼女の背後には、一片の雲もない碧空が広がっている。
これまで必死に張り詰めていた緊張の糸が一気に解け、頬を伝う涙は止まる気配を見せなかった。
もう泣かないと、決めていたのに————
「泣くな、クソボケ」
「だって……私のせいで、大事な商談も無くなって……上手くやらなきゃいけなかったのに」
シーナの声は震えていた。悔しさと情けなさで喉が締め付けられる。
何もできなかった自分の無力さが、こんなにも恨めしい。
一番嫌なのは、パブロが助けに来てくれたことに安心感も覚えてしまっている自分がいることだ。
それが何よりも嫌だ。
この街に来てからずっと、強くならなければと言い聞かせてきた。
けれど結局、アストラ家でそうだったように、何かに依存することしかできない。
こんなことじゃ、元の世界に戻ってもきっと同じことを繰り返す。
「上手くいかなかったのは、単にてめえが弱かったからだ」
「……」
パブロははっきりと、そう口にする。
その通りだ。
パブロに見放されたということは、私のこの世界での挑戦はもう終わりだ。
一度きりのチャンスを、たったの数日で駄目にしてしまった。
シーナは鼻をすんと鳴らす。
その様子に、パブロはチッと舌打ちをし、面倒くさそうに溜息を吐いた。
「別にてめえの実力の話をしてるわけじゃねえ。俺のカルテルはメキシコ最大の犯罪組織だ。そんな組織が三流ギャングなんぞに下手に出てたら、裏があると思われて当然だろうが」
パブロは、銀色のライターで煙草に火を点けた。
煙が立ち昇る様子を見つめながら、シーナは思い返す。
確かに、交渉相手のギャングのボスも同じことを口にしていた。
話がうますぎると。
そもそも、自分が弱い立場から接するべきではなかったのだ。
「この街で生き延びてえと思ったら、まずはその奴隷根性を叩き直すことからだな」
その言葉に、シーナは顔を上げた。
パブロはシーナの弱点を的確に見抜いていたのだ。
奴隷のような扱いをずっと受け続けていて、自分が自らそう振る舞っていたことに気づかなかった。
これまでの人生で染み付いた従順な態度、自分でも気付かないうちに身に付けてしまった卑屈な振る舞い。
そんな事をしていたら、誰も自分の声に耳を傾けてくれないのは当然だ。
「結局、こういう商売はギャンブルと一緒だ。いかに自分を大きく見せて、相手にリスクを負わせるか。リスクを背負わせた上で、身を引かせないギリギリのラインを探っていく————」
それを繰り返して、相手が飢えた獣みてえにしがみつくようになりゃ、こっちの勝ちだ。
煙草の煙が夏の陽光に溶けていく様を眺めながら、彼はそう言った。
パブロのその姿を見て思い出すのは、やはり賢者様だ。
賢者様もまた、人を欺く時、決して弱者を演じることはなかった。
常に強気で、いつだってこちらが相手を試すような振る舞いをしていた。
これはきっと、人を欺くために必要な技術なのだ。
私にはそれが足りなかったのだ。
「詐欺の基本は、いかに相手を飢えさせるか————」
シーナの呟きは、街の喧騒に消されることなく、はっきりと響く。
さながら、動物に餌を見せつけ「待て」と命令するかのように。
すぐに食いつかれても、諦められても駄目。目の前の餌を千里離しても、主人の許可を待って、その場に留めさせるような————相手の飢えとリスクのギリギリのラインを攻める。
その駆け引きには、まず自分が相手より上だという、上下関係を作らねばならないのだ。
パブロは煙草を手に、ゆっくりとシーナの方を向く。
「————てめえは、賭けに参加した。自分の命を賭けて————それどころじゃねえ。俺の命も、組織の命運もかかっていたビッグギャンブルだったかもしれねえ」
「……!」
シーナは緊張の糸を再びピンと伸ばす。
改めて、自分がしたこと、この世界に乗り込むという事の重大さを知った。
「賭けが始まりゃ、てめえが相手を手懐けるか、それとも自分が飢えた獣になるか、二つに一つだ————じゃあ、てめえは次に何を賭ける?」
見上げるとパブロの無愛想な顔がある。
だが、シーナをちゃんと1人の人間として見ているような気がした。
ちゃんと答えなきゃ。
答え方によっては、きっと私は見放される。
シーナは先ほどパブロが言っていたことを思い出した。
いかに自分を大きく見せ、相手にリスクを負わせるか————
「私は何としてでもこの世界を生き抜いて、あの方の元へと戻らねばならないのです。この世界の全てをのものを喰らい尽くしても————」
喰らい尽くして、成長して、賢者様の隣に立つ。
そのためには、自分の命を賭けるだけじゃ足りない。
シーナは立ち上がり、涙の跡を拭い去ると、真っ直ぐにパブロを見据える。
「だから————私が賭けるのは、この目に映るもの全てです!」
シーナは途轍もなく大きな賭け金をベットした。
この世界に対する挑戦。
その意思を、シーナは全力でパブロに表す。
パブロは最後の一服を深く吸い込むと、懐から何かを取り出した。
彼はピンと弾くようにして、それを軽やかに放り投げる。
シーナが受け取ったのは、優雅な曲線を描く魚の紋章が刻まれた金貨だった。
「そいつは『ラウェルナ』のメンバーズメダルだ————スロットに入れても回りやしねえが、メンバーの証になる」
「————それって……!」
パブロは既に背を向け、屋上の扉に向かっていた。
<そして、扉に手をかけながら>
「スキップの店でチーズバーガーを食っていけ。ここらのバーガーショップじゃあれがピカイチだ————話は通してある」
パブロはそう言い残すと、バタンと扉を閉めた。
言葉にこそしなかったが、パブロは私を認めてくれたのか————
私は、まだここにいていいんだ————
シーナの心は、コンプトンの空のように晴れ渡って行った。
*
「メダルの絵? そいつは多分————『キャットフィッシュ』だな」
シーナはパブロに言われた通り、カルテルの構成員の1人であるスキップのバーガーショップに訪れていた。
店内は整理整頓とは程遠く、壁には古びたポスターが乱雑に貼られ、カウンターの上にはケチャップの染みが点々と残っている。
それでも、どこか居心地の良さを感じさせる空間だった。
おすすめ通り、チーズバーガーを頼んでもそもそと食べているが、肉汁が溢れ出る程の分厚いパテと、とろけるチーズの組み合わせは、彼女が今まで口にしたどんな料理とも違っていた。。
かなり脂っこい味がするが、嫌ではない。むしろもう一口をすぐに食べたくなるような中毒性があった。
チーズバーガーを頬張りながら、パブロのくれた『ラウェルナ』のメンバーズメダルを見せ、そこに描かれている黒い魚のような絵について尋ねていた。
「キャットフィッシュ……ってなんですか?」
「サンタモニカビーチにはいねえような淡水魚だ————これはボスに聞いた話だが、キャットフィッシュってのはなんでも、嘘の象徴らしいぜ」
嘘の象徴。
そう言われてメダルを見直してみると確かに、その魚の姿は何か禍々しい雰囲気を纏っているように見えた。
そもそもアストラ家からほとんど出たことのないシーナにとっては、生きた魚自体あまり見たことはないのだけれど。
嘘か————
アストラ家の従順なメイドとして生きてきたシーナは、ほとんど嘘をついたことがない。
賢者様と出会い、見よう見まねで誰かを騙そうとはしたけれど、成功体験はない。
どうすればいいのだろう……
「スキップさん、嘘ってどうやってつくんでしょうか……?」
「鬱陶しいから『Mr.』はつけなくていいぜメイドガール』
スキップは愛想よく笑いながら、カウンター越しにコーラを差し出した。
肌が黒く、大柄な彼は、カルテルの中でも兄貴分として慕われる存在であり、親しみやすい。
パブロに認められ、このショップに来た頃にはもう、友達のように接してくれていた。
スキップに促されるままに、黒いジュース————コーラを飲んでみるとシュワシュワとした刺激が口の中に広がっておいしい。
「嘘のつき方かぁ……結局のところ、嘘が成立するかどうかは、相手が知ってるかどうかだからなぁ」
スキップは虚空を見ながら、自分の考えを述べる。
「その点、ヤクは基本的に知らねえやつしか買わねえからな。一度買ったら、後戻りできねえって分かってりゃ誰も買わねえ。ヤクの売人ってのはどいつもこいつも、こいつがいいものだって嘘言って買わせるんだ」
だから、知ってるかどうか、どうやって相手に知らないものだと思わせるか————
書類を通して知った程度だが、カルテルが取り扱っている薬物という物は、途轍もなく危険で凶悪なものだ。
それを知らずに買って、服用させる。
何も知らずにそれを手にした人間は、一体どんな運命を辿るのだろう。
シーナは黒い液体に浮かぶ炭酸の泡を見ながら、そう思った。
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