第71話 植物の表裏
少年が出て行ったその直後、店の入り口と反対側の空間が不気味な音を立てて裂け、青白い光を放つ転移門が浮かび上がる。
そこから姿を現したのは、アストラ家の魔女セラフィリア。
魔法学校帰りの黒ローブは、この怪しげな店の薄暗い雰囲気と奇妙なコントラストを描いていた。
「うっ……! ケホケホ……ケホッ! なんだこの煙は!?」
室内の空気を吸い込んだ瞬間、思わず咳き込む。
立ち込める白煙の強い香りは、さっきまでの清浄な魔法学校の空気とはまるで違い、刺激が強すぎた。
そして、アストラ家のメイド達も一斉に咳き込み出す。
ずっと我慢していたみたいだった。
「流石にこの空気は……獣人の私には応えるよ……ケホケホッ!」
「蛙……乾燥ダメ……絶対……」
アストラ家のメイド————リーヤとミュガは、慌てて窓の方に駆け寄り、全開にして換気を始めた。
そして、セラフィリアの元に向かい、素早く跪く。
煙に目を細めながらも、彼女たちの動きは無駄のない優雅さを保っていた。
「お疲れ様です。セラフィリア様……ケホ……」
若干咳き込みながらも、礼儀正しく挨拶をしてくれる。
セラフィリアにとっては退屈な学校に行っていただけで、特に疲れるようなことはしていない。
むしろ、この煙たい空気の中で店番を続けていた二人の方がよほどお疲れのはずだった。
そして、メイド二人のそんな様子を全く意にも介さず、この女は、煙の出る金属の棒————キセルを優雅に吸う。
「おやおや、今度は魔女のお嬢ちゃんかい。ガキの来客が多いもんだ」
「舐めた口を叩くなよ人間————最初に会った時、お前が私に毒を盛ろうとしてたこと、まだ忘れていないのだからな」
あら、そんなこともあったっけ————と、とぼけた表情をするシエラ。
アイスと言い、この女といい、向こうの世界の人間はどいつもこいつもむかつく奴ばかりだ。
だが、こんなところで怒りを覚えたところで、プラスになることは一つもないので、シエラの挑発には乗らない。
「それで————シエラ姐さん。あの魔道具は一体何なの?」
「シエラ姐さん……?」
いつの間に仲良くなったのだ……?
リーヤの接し方に複雑な気持ちになりながらも、セラフィリアも例の魔道具の詳細に興味を持つ。
アイスにも聞いていたが、ただ火をつけてその煙を吸うだけで、自身の魔力や魔法精度を強化できるらしい。
他人の魔法を強化する魔法自体は存在する。しかし、それは魔力を代償に力を分け与えているという表現が正しい。
ただ煙を吸うだけで、魔法を強化するなんて。
そんな都合のいいものがあるのか。
煙の向こうで、シエラの笑みがより深くなる。
「あのガキに話した通りさ。まあ元々は現実世界————『賢者の世界』の嗜好品。吸って気持ちよくなるおもちゃだよ」
シエラはそのおもちゃを軽やかに持ち上げ、その先から立ち昇る白い煙を優雅に吐き出す。
彼女の行動は、リーヤとミュガ二人にずっと監視させていたので、この世界で一体何をしていたのかは全て把握している。
この女がこの世界に来て最初にしたことは、まるで研究者のように几帳面なフィールドワークだった。
アイスの思惑に乗った理由は、この世界の手つかずの資源を手に入れることだと言っていたわけだが、シエラがその中で最も注目していたのは『植物』
植物は、薬にも毒にもなる。
そして————煙草といったおもしろいものにもなる。
「コロンブスの発見で最も偉大だったのはきっとこれね。地球上で最も簡単に金になる代物さ。それが、この世界にもあった————」
シエラが目をつけた植物は、アストラ家の近くにも生えている『ウムドレビ草』という毒草。
人間がこの毒に侵されると頭痛、目の充血、強い痛み、腹部膨満、下痢、熱などの症状に見舞われる。その後精神錯乱を起こし、死に至るという途轍もなく危険なものだ。
動物でさえ本能的に忌避するその植物を、魔獣避けのために敷地周辺に生やしていたのだった。
そんな危険な植物を、シエラは何を思ったのか、乾燥させ、粉末状にした。
そして、フィルターのついた紙の筒に詰め、火をつけて吸い出したのである。
「最初にそれをやってた時、気が狂ったかと思ったよ。この毒草、数時間はめちゃくちゃ苦しんで死ぬって言われてるんだよ」
まあ、その度胸を買って、私はシエラ姐さんって呼ぶことにしたんだけどね〜〜。
リーヤは調子のいいことを言う。
「見方や接し方を変えれば優しくもなるし、恐ろしくもなる。植物も人間も一緒だよ」
例えば大麻。
大麻草などに含まれる大麻成分────カンナビノイドには二種類ある。
CBD────カンナビジオールと、THC────テトラヒドロカンナビノールだ。
CBDは心身にさまざまな良い効果をもたらし、病気の症状を緩和する働きがあり、高血圧や動脈硬化などの様々な病気への効果も実証されている。
対して、THCは強い精神活性作用と毒性があり、運動失調と判断力の障害、精神・身体依存の形成、精神・記憶・認知機能障害等、同成分の乱用による重篤な健康被害が確認されている。
すなわち、同じ植物の中に薬と毒が混在しているのだ。
植物のとある成分は医療で使われているほどに有益だが、同じ植物の別成分は人間の体を壊す強力な毒だったりすることも珍しくないのである。
植物はあらゆる薬、そして毒の原料となるが、どちらに転ぶかは作り手の技量と使い方次第。
擦り潰せば塗り薬になる物も、燻せば有害となることだってある。
「まあ、これを吸うと魔法が強くなるってのは、流石の私でも想像してなかったけどね」
一通り説明してくれたシエラは、真鍮の灰皿に燃え滓を丁寧に落とす。
この世界の植物は異常だ。
マナの影響を受け、常識では説明のつかない進化を遂げている。
シエラが生きてきた現実世界の植物とは、明らかに別物と言っていい。
だからこそ、植物の特性に、どんな表裏があるのか────シエラはそれをある種のギャンブルとして、歪んだ愉悦を感じているようだった。
一歩間違えれば、自分が死ぬかもしれないギャンブルを。
イカれた女だった。
「それで————あの男に魔道具をただで渡してよかったのか?」
「あのガキの持ってた一箱は、所謂試供品だ。次からはちゃんと金を払ってもらうよ」
「本当にあんな男で大丈夫だったのか? この魔道具を学校に提出でもされたら、計画は台無しだろう」
あれはアイスが選んだ男らしいが、正直信用できない。
目先の利益に飛びつこうとするような浅ましい奴だ。
あんな特に力も特徴もない男を使って、全生徒を賢者の信奉者にするところまでどう繋げるというのだ?
「だからこそ、あいつの人選は冴えてるね。あの様子じゃ、そんなつまらないことはしないよ。結果が出るまで吸い続けるだろうね」
「でも……付け焼き刃じゃ、セラフィリア様には勝てない」
ミュガがぼそっと呟くように言葉を発する。
実際、その通りだ。
あの男は『ロード・オブ・ウィザード』になると息巻いているようだったが、いくら魔道具で強化したところで、あんな奴にこの私が遅れをとることは天地がひっくり返ってもありえない。
『ロード・オブ・ウィザード』どころではなく、Aクラスの生徒でも勝つのは厳しいだろう。
そうなった時、もう魔道具を使う理由がなくなる。
だが、それに関しても、シエラは何の心配もしていないようだった。
「フフ……その頃には、きっと戻れなくなってるよ————変化には、副作用が付きものだ」
意味深にシエラは笑う。
言葉の意味を全ては汲み取ることはできないが、すでに何か仕掛けているということは明白だった。
それでも、やはり引っかかる。
「分かった。だが、あの男一人どうにかしたところで、やはり学生全体の支配とまでは行かない気がするのだが……」
「全く心配性だねえ、魔女のお嬢様は————安心しな。どうやって毒を忍ばせるかは、詐欺師としての腕の見せ所だ」
しょうがないなぁと言わんばかりに溜め息を吐くシエラにやはり苛立ちを覚えるが、挑発だと分かっているので取り合わない。
やはり、こいつも多くは語らないようだ。
自分の力に圧倒的な自信を持っている————だから語る必要はない。
アイスといい、厄介なものだ。
「————もう限界! いつまでモクモクやってるんだよぉ〜〜!」
リーヤが白煙が満ちる劣悪な空気に耐えきれず、部屋から飛び出した。
溺れそうになった人が水面に顔を出すかのように、外で新鮮な空気を補給している。
それを見たシエラが、呆れた顔をした。
「だらしないねぇ。こんなんで音をあげていたら、パブロの職場じゃ窒息するよ」
そう言いながら、シエラはまた煙管に火をつける。
分勝手なところは、やはりアイス達の仲間だと、セラフィリアは改めて感じる。
「あの子————シーナが行ったところでしょ。かわいそう……」
ミュガが乾燥しそうな目をゴシゴシとこすりながら、哀れむように呟いた。
そういえば、シーナがパブロについていき、現実世界の方へと行ってから随分と経った。
実はシーナとは大した話もできないままに分かれてしまったのだが、今どうしているだろうか。
シエラも言っていた————変化に副作用はつきものだと。
その言葉が、今になって不吉な響きを持って蘇ってくる。
きっと、あの子はその変化の真っ只中だ。
セラフィリアも一度この目で見た異世界の情景は、こちらの世界のものとはまるで違い、戸惑いの連続だ。
それでも、明るく振る舞おうとする姿が目に浮かぶ。
とても優しくて、お節介で、天然なあの子は、本当に大丈夫だろうか。
セラフィリアは、この世界の向こう側にいる、小さい少女に思いを馳せる。
窓の外に広がる空は、この世界とあの世界を隔てる境界のように見えていた。
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