第48話 欺くということ
「この野郎! 大人しく————ごはぁっ!!」
威勢のいい大男が鳩尾に蹴りを喰らって、その場にうずくまる。
狭い路地裏に無数の足音と荒くれ者の罵声が飛び交っていた。
泥を散らしながら、一斉に男達が走り抜ける。
それを悉く跳ね返しているのが、セラフィリアだった。
動きやすくするために、魔女のローブの裾を大きく引きちぎっており、足の素肌が見えている。
セラフィリアは銃のグリップの部分で敵を殴り飛ばしていた。
元より弾数はマガジンに装填されていた分しかなく、射撃回数には限りがある。
それを考慮し、セラフィリアは銃を鈍器として扱っていた。
それに、これなら狙いを澄ませて敵に銃弾を当てるよりも簡単だ。
「くそっ! こ、こいつつええ!」
セラフィリアは途轍もない勢いで敵を薙ぎ倒していく。
魔女は、人間よりも上位の存在。
魔法は封じられているものの、その肉体、運動能力は常人をはるかに凌ぐ。
「跪け!」
「ぐわああっ!!」
セラフィリアは追っ手の最後の一人を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
衝撃で男の意識は刈り取られ、そのまま動かなくなった。
「今のうちだシーナ! 急ぐぞ!」
「は、はい!」
セラフィリアの邪魔にならないように、影に身を潜めていたシーナに声をかける。
何も知らない異世界の道を、二人は脇目も振らずに走り抜ける。
いくつか邪魔が入ったが、目的地はもうすぐだ。
シーナがそこまで遠くに連れていかれなくてよかった。
これ以上離れていたら、こんな奇天烈な世界で彷徨うことになるところだった。
二人はそのまま走り続け、ついに例の倉庫までたどり着いた。
この建物の奥に、『賢者の扉』がある。
「————見えた。あそこだ」
セラフィリアは前方に指を差した。
自分達の世界の方から見た扉は、石でできたとても神々しいものであった。
だが、こちらの世界では、飾り気のない無骨な鉄の扉。
変わった形の取手をしており、所々錆びている。
だがその扉を開けた先は、セラフィリア達の世界に繋がっているはずだ。
「慎重にあそこまでいくぞ。誰にも見つからないように————」
セラフィリアはそこまで口にして————背後にいる気配に気がついた。
銃口がこちらを見据え、撃鉄を起こす瞬間だった。
「あぶない!!」
セラフィリアは咄嗟に、シーナを連れて前に飛ぶ。
その勢いのまま、遮蔽に転がり込むと同時に、さっきまでセラフィリア達のいたところが弾ける音が聞こえた。
「————鼠が逃げ出したとかって聞いて来てみりゃ、メスのガキが二人いるだけじゃねえか」
太くしわがれた声が、倉庫に響く。
邪悪さを感じさせる声だ。
セラフィリアは遮蔽から片目だけ覗かせ、こっそりとその声の主を盗み見る。
なんだ? あの男は?
大きな体に褐色の肌。
爬虫類のように目がぎょろぎょろと動く。
今まで見て来たこの世界の人間とは、明らかに異質だ。
まるで巨大な獣がそこにいるのかと錯覚するほどの、刺々しい雰囲気を醸し出していた。
「おいアーロン、てめえ————」
「邪魔すんじゃねえよ三下ども、これは俺の獲物だ」
アーロンと呼ばれた大男は、自分の仲間にも威圧を振り撒いていた。
そして、大股でこちらに近づいてくる。
こちらに歩み寄る気配を察知しながら、セラフィリアはシーナに耳打ちした。
「シーナはここに隠れて、隙を見て賢者の扉に入れ」
「セラフィリア様は……?」
心配そうな顔を浮かべるシーナ。
ここに来るまでセラフィリアは戦い続けている。
魔法も使えず、慣れない武器を使っての戦闘であるため、いくら常人以上の身体能力を持っていると言っても。体には相当の負担がかかっているだろう。
それでも、ここでただ逃げの選択をすること以上に、愚かなことはなかった。
「私は————あの男を引きつける」
その方が、二人で行動するよりも生存率が高いと判断した。
私ならこの男を倒して、無事に元の世界に戻ることだってできる。
セラフィリアはシーナに背を向け、遮蔽を飛び出した。
アーロンはそれにとんでもない反射神経で反応し、銃を撃つ。
放たれた銃弾が、セラフィリアのローブを掠めた。
たまらずセラフィリアは、コンテナの裏に転がりこむ。
「せいぜい踊ってみせろ、俺を楽しませてくれよ?」
アーロンは生身で堂々と倉庫の通路を歩いていた。
表情からしても、男の余裕ぶりが見て取れる。
正面から立ち向かうのはどう考えても危険だ。
セラフィリアは音も立てずに、遮蔽から遮蔽へと素早く移る。
そして、敵の背後を取った。
(今だ!)
遮蔽から飛び出し、銃撃しようとした。
しかし、アーロンはまるで後ろに目がついているかのように、セラフィリアが踏み出そうとしている先を正確に打ち抜いた。
「!?」
セラフィリアはたじろぎ、攻撃のタイミングを逃す。
「そんないい匂いを醸し出してたらバレバレだぜぇ? 俺を食ってやろうとするメスの芳醇なにおいがよぉ!」
アーロンはそう言いながら、セラフィリアの隠れている場所を撃ち続ける。
少しでも顔を出せば、確実に銃弾が当たってしまうほど的確な射撃。
身動きもろくに取れない。
セラフィリアは再び、別の場所に移動することを余儀なくされる。
息を殺し、アーロンに気づかれないように倉庫内のコンテナを移動している————にも関わらず。
「ぜ〜〜んぶ見えてるぜぇ? 足の運び方がなってねえなぁ!?」
アーロンの銃口は見えないはずのセラフィリアを確実に追尾していた。
身を隠して移動しているにも関わらず、奴の銃撃が完全にセラフィリアの行動を支配する。
銃を突きつけられていうプレッシャーが、セラフィリアの神経を着実に削り取る。
この男、とんでもない嗅覚だ。
こちらの殺気を感じ取っているのか?
それに加えて尋常じゃない銃裁き。
結構な距離が空いているのに、完全に奴の間合い。
セラフィリアの銃の扱いでは、絶対に勝ち目はなかった。
どうする? また後ろに回り込むか?
いや、きっとそんなことをしても結果は同じだ。
なにか、この状況を打開する策を考えなければならなかった。
「もう終わりか〜? 抵抗せずに出てくりゃ、命だけは取らないかもしれないぜ? 命だけだけどな」
下品な笑い声を上げながら、アーロンは銃を乱射する。
笑っている間も、奴の照準は全くブレず、警戒が解けなかった。
銃撃戦においては、セラフィリア以上に戦いに慣れている。
こんな圧倒的に不利な状況で、セラフィリアは思いの外、落ち着いていた。
不思議な感覚だ。
今まで、魔法という圧倒的な力を持っていたセラフィリアには、何か策を労するという必要は全くなかった。
だが、自分よりも明らかに実力が上の存在と対した時、正面からぶつかっても勝てないと分かった時、頭を使って有利な状況を作ることを考えなければならない。
すなわち、相手を欺く必要性が出てくる。
きっとリルは圧倒的な戦闘センスに加え、常に頭を使って相手を騙し、有利な状況を作り続けている。
だから強い。
セラフィリアが最初に戦った時、勝てなかった要因はそこにある。
私も————奴を見習って、頭を使わないとな。
セラフィリアは冷静さを保ちながら、辺りを見渡す。
倉庫内はセラフィリアの見たことのない様々な鉄の部品が、至る所に格納されていた。
しかし、銃のような武器はどこにも落ちているようには見えない。
手に持っている銃の残弾数は、恐らく残り二発。
これだけで、セラフィリアは戦うしかない。
この状況の有利不利。
彼我の戦力差。
そして、セラフィリアのここに来た目的と勝利条件————
やはり。
もう、こうするしかない。
「シーナ! 逃げろ!!」
セラフィリアは大声を出して、どこかにいるシーナに呼びかけた。
それと同時に、遮蔽から飛び出して一直線に走り出す。
「はああああああああっ!!」
喉から力強く声を迸らせた。
ただでさえ嗅覚の優れた相手に、自分の場所を知らせるかのような愚行。
自分を仕留めてくれと言っているようなものだ。
しかしそれが、セラフィリアの真の狙いだった。
「……いいねえ。そういうの、嫌いじゃねえぜ」
にたあっと笑いながら、アーロンはゆったりと正面に銃を構え、引き金を引いた。
ズドンと、銃声が倉庫に響き渡る。
すると————セラフィリアの足がもつれ、前から地面に倒れ込んだ。
「がははははっ! 泣かせるじゃねえか……二人じゃ生き残れないと察して、自分を囮にしたか」
だが、いい判断だ……頭を使ったなぁ。
アーロンは満足そうに笑い、自分が獲った獲物の元に向かう。
「げへへ……その面でも拝ませてもらおうじゃねえか」
下卑た笑みを浮かべながら、アーロンは乱暴に撃ったセラフィリアの体を踏みつける。
そのまま、ゴロンと仰向けにひっくり返した。
その瞬間————セラフィリアは胸に隠し持っていた銃の引き金を引いた。
「なっ!?」
セラフィリアの放った銃弾は、アーロンの肩を貫いた。
初めてアーロンの顔が驚愕と苦痛で歪み、体勢が崩れる。
セラフィリアはローブを脱ぎ捨て、素早く立ち上がった。
「こ、このアマ……鉄板をローブの下に仕込んでやがったのか!?」
アーロンは反撃しようと銃を構えようとする。
しかし、この距離は既に銃の間合いにあらず。
とてつもない素早さで、セラフィリアはアーロンの銃を蹴り上げた。
一瞬で懐に潜り込み、アーロンの腹に銃を突きつける。
セラフィリアはそのまま、零距離で最後の引き金を絞った。
「ごほおっ!?」
腹のど真ん中で爆発した弾丸は、確実にアーロンの腹に穴を開けた。
アーロンは後ろによろめき、膝をついてうずくまる。
大量の血を、床に吐き散らしていた。
勝った————
勝てる見込みが決して高くない相手の思考を上回った。
思考を巡らせて、相手の慢心を引き出し、格上に勝利する。
これこそが、リル達がやっていた詐欺師の戦い方。
アーロンは何も策がないと思っていた相手に油断し、完全に騙されたのだ。
「はあ……はあ……よし、これで————」
これで、危機は去ったか、のように思われた。
それがセラフィリアの慢心だったのである。
「このくそがあっ!!」
「!?」
突如立ち上がり、ノーモーションで振るってきたアーロンの拳が、セラフィリアにクリーンヒットした。
あまりの衝撃にセラフィリアの体が浮き上がり、地面を十数メートルほど転がる。
「この俺がそんな弾一発で死ぬと思ったか……!? ああん!?」
目を血走らせ、鬼のような形相をしたアーロンがそこに立っていた。
どうして撃たれたにも関わらず生きているのだ……?
この男、常軌を逸している……!
常人を遥かに超えるタフさ、そして痛みを怒りに変える忍耐力。
それが、セラフィリアの想定を上回ったのだ。
「ぐちゃぐちゃにして殺してやる……!」
アーロンはだくだくと溢れ出る腹の血を手で抑えながら、こちらに歩み寄る。
セラフィリアもダメージを負っているので、アーロンと交戦する気力はないに等しい。
銃の残弾も尽きてしまっており、もう抵抗する術が残っていなかった。
万事休すか————と思いかけた瞬間。
「セラフィリア様! こっち!」
シーナの高い声が、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
顔を上げると、小さい手でなんとかアーロンの手下と思わしき男にしがみつき、道を空けようとしているシーナの姿が目に入った。
「な、なんだこのガキャ————」
「こっちです! 早く!」
シーナが必死に道を空けようとしているその先には、『賢者の扉』があった。
セラフィリアがうまくここまで逃げ切れることを信じて、シーナはここに飛び出してきたのである。
「早く————きゃあっ!」
「いい加減にしやがれ! 死ねこのガキ————」
男はシーナを引き剥がし、怒りのままに銃を向ける。
それにセラフィリアは咄嗟に反応し、空になった銃を思い切り男の頭に投げつけた。
「ぐあっ!!」
セラフィリアの投擲が男の後頭部に当たり、一発で気絶する。
そのままシーナの元に走り、その手を引いた。
「このまま逃げるぞ!」
「は、はい!」
二人は道の空いた『賢者の扉』までの道を全力で走った。
後ろから、アーロン達の怒号が聞こえる。
「おい! てめえら逃すんじゃねえ! そいつらを必ず殺せえええ!!」
セラフィリアはもう完全に丸腰だ。
ここで立ち止まっても、撃ち殺されるだけ。
銃弾に当たらないことを祈って、二人は走り続けた。
頬や肩、そして足元に銃弾を掠めながら、突き進む。
そして、セラフィリアとシーナの二人は、元の世界へと続く扉をくぐり切った。
*
「待てごらああ!」
アーロンとその手下達は、怒りに身を任せたまま、獲物が通った扉の方へ向かう。
奇妙な感覚を感じた後、アーロン達はその扉の先に進んだ。
「あん……?」
扉の先には、なんとも異質な光景が広がっていた。
その空間は、壁に掛けられている松明のみで照らされていて薄暗い。
ひび割れた石煉瓦の壁には窓が一つもなく、カビの匂いが充満していた。
まるでこの空間だけ古い時代のものなのではないかと思わせるほど、さっきまでの光景とは違っていた。
「おい! あそこだ!」
部下の一人が、前方に指を差す。
その方向には、アーロンを怒らせたメスの兎が、鉄格子の前で立ちずさんでいた。
「ゲヘヘ! 逃げるのを諦めたのかぁ? 確かにこれ以上は逃げ場なんてなさそうだしなあ!?」
アーロンが涎と血が混じった液体を溢しながら、化け物じみた表情でセラフィリアの方へと近づく。
しかし、当の獲物は無反応で、抵抗も何も見せない。
ただ、手をグーパーと動かしているだけだった。
何か、力が戻ったのを確認するかのように————
「そのまま大人しくしてろぉ? お前が泣き喚いて許しを乞うまでブチ犯してやる……そして、手から順に切り落としていってなぁ? それから————」
『口を閉じろ————』
突如、頭の中に響くような声が、その場にいる全員に聞こえた。
その声はどこかこの世のものではないかのように木霊し、腹の奥底に沈むようで、アーロンを黙らせるには十分だった。
だが、異変はそれだけではなかった。
「お、おい……なんだ……こりゃあ……?」
周囲の様子が次第に変化していく。
古い牢獄だと思っていた場所が、徐々に赤黒く変色し、至る所から炎が吹き出し始めた。
まるで地獄のような様相に変化する。
この世のものとは思えない光景、異世界へと迷い込んだかのような感覚に、アーロン達の体は完全に固まった。
徐々に熱く、徐々に威圧感が増していく————
『愚かな人間共よ————遊びは終わりだ』
目の前でただ立ちすくんでいたはずの獲物が不自然に宙に浮き上がる。
すると、彼女の足元から豪炎が現れ、体の周りを包み込んだ。
その瞬間、ボロボロだった服装が、魔法使いのような黒いローブ姿へと変化する。
赤く光る目が、アーロン達を見下すかのように向けられていた。
なんだ、こりゃあ……?
俺は、一体、何を相手にしていたんだ……?
アーロンは熱気が渦巻くその空間で、絶対に叶わない相手をただぼうっと見つめていた。
『貴様らと相対するは伝説の魔女————己の愚かさを呪い、燃え尽きよ————!!』
頭に響き渡る声が、『死』を宣告した。
体はピクリとも動かせず、完全にアーロン達はその人ならざる存在の領域に囚われていた。
神々しいとすらも感じるほど途轍もない存在が、右手に持っている杖を大きく振り上げる。
『ハーデス・フレイム』
その呪文を耳にした瞬間、アーロン達は、跡形もなく燃え尽きたのである。




