第36話 最後の姿
「シーナ! おいシーナ!」
リルとセラフィリアの声が、天井が崩れたことによってできた天然の石壁の向こうから聞こえる。
崩れた石はジンの強力な魔法によって焼き焦げていた。
だが、シーナ自身とその後ろ側だけ黒く変色していない。
シーナは天井を爆破すると同時に、自分を魔法の防御で守っていたのだ
しかし————それ以上、シーナは魔法を維持することができなかった。
「————ガハッ」
突然、シーナが吐血した。
膝をつき、苦しそうにえずく。
シーナの肌には、黒い紋様が浮かび上がっていた。
「随分、刻印が出ていますね。ここまで相当無理をしたでしょう。あれほど魔法を使うなと言っておいたのに」
ジンは蔑むように冷たく言い放つ。
シーナの体に浮かび上がる黒い紋様————『魔封じの魔石』に刻まれているものと同じであるそれは、まるでシーナの生命力を吸うかのように、首から顔に至るまで侵食していた。
「魔法を使うな……?」
ジンの声は、落石で隔たれた向こう側にも届いていた。
壁の向こうで、リルが反芻する声が聞こえる。
うまく隠せていただろうか。
私のこの醜い呪いを————
「生まれながらにして、魔法を使えない呪いを身に宿す————魔女の家の出来損ない。ましてや賢者の従者になろうだなんて、烏滸がましいにも程がありますね」
まあ、賢者も偽物だったことですので、ある意味お似合いかもしれませんが。
ジンは皮肉を付け足す。
魔女家に生まれたということは、大前提として魔法使いであることを求められる。
逆に言えば、魔女家で魔法が使えない人間は、人間として扱われない。
シーナが牢獄で暗い生活をしていたのも、それが原因だった。
「それにしても分かりませんね。あの賢者は偽物であるとよく分かったでしょう。どうして庇うような真似をするのですか?」
「……私にも……分かりません」
シーナは自分の行動の理由に、明確な答えを持ち合わせていなかった。
どうしてこんなことになったのだろうか。
私はこの世に賢者が存在すると、本気で信じてきた。
この人が賢者の扉から現れた時、神様が生きる希望を与えてくれたのだと思った。
でもそれが、全部偽りだったなんて————
ここまで真実を突きつけられていながらも、シーナの体は勝手に動いた。
魔法を使ってはいけないという体に刻まれた本能を無視し、魔法を実行した。
一体どうして、何の思い入れがあってそんなことをしたのだろう……
「————いずれにせよ。こんなことをしても無駄でしたね。入り口はここに一つしかない。ただの延命措置に過ぎません」
洞窟の入り口はジンの後方に一つだけだ。
逆方向は完全に行き止まりなっており、抜け道はない。
シーナの落石によって、アイス達を閉じ込めた形になってしまった。
すなわち、目の前のジンをどうにかしないことには、状況を打開できなかった。
「私が……通しません……!」
シーナは訳も分からずにそう口走っていた。
ジンを止めると宣言したシーナだったが、呼吸も絶え絶えで膝をつき、顔色も悪い。
そんな状態で、ジンと戦うのはあまりに無謀だった。
「本当に、どうしようもない出来損ない————生きる価値のない馬鹿ですね」
「そうでもないぞ?」
その時————後方から突如声が聞こえた。
山積みになっっている岩の一部が、ボロボロと崩れる。
土煙の中から現れたのは、ラガスであった。
「シーナ殿が体を張ってくれたおかげで、こうして繋がったのだ。決して無駄などではない」
「ラガス様……!?」
どうしてこちらに……?
かなりの量の落石のはずであり、そう簡単にはこの天然の石壁に穴を開けることはできないはず。
ラガスが出てきた場所をよく見てみると、穴は空いていなかった。
落石から逃げ遅れて下敷きになっていたところを、自力で脱出したのだろうか。
あるいは————こうなることを予期してあえて逃げださずにいた……?
「色々あったが、ここでお主を倒せば万事解決だ」
ラガスは大剣と大楯を構え、ジンと相対する。
しかし、先のクレイグとの戦闘で、体にはいくつもの傷を負っている。
剣も盾もあらゆるところが歪み、ボロボロだ。
とてもじゃないが、この状態でジンに勝てるとは思えない。
「ラガス様……その傷では危険です!!」
「大丈夫だ。お主が繋いでくれた我らの運命、我がなんとかしてみせる!」
ラガスは頑として、シーナの前から動こうとしない。
その威勢の良さとは裏腹に、肩で息をしており、立っているのも辛そうであった。
いくらシーナでも、目の前のラガスが虚勢を張っていることは分かる。
このままでは……ラガス様が————
「くそがっ! あたし達にはどうにもなんねえ!」
石壁の向こう側で、リルが叫ぶ。
アイス、リル、魔法の使えないセラフィリアの三人では、この障害を越えることは不可能だ。
「全員揃って愚かもいいところです」
ジンの表情からは、薄い笑みすらも消えていた。
ラガス達の無駄で無謀な抵抗に嫌気が差してきたのだろうか。
真顔のまま、ゆっくりとラガスの方に近寄っていく。
「チャンスをあげましょう。そこをどけば、貴方だけは見逃してあげてもいい」
武器も構えず、ただ歩みを進めているだけにも関わらず、ジンには隙の一つも見当たらない。
妙な動きをすれば、すぐに首を掻っ切られるのが容易に予想できる。
洞窟内には、ヒールが地面に当たる音だけが、冷酷に刻まれていた。
ラガスは、しばし目を閉じる。
大きく息を吸い、肺から全ての空気を吐き切った。
そして、覚悟を決めたかのように目を見開く。
「断る」
次の瞬間————ラガスの胸が裂かれた。
ジンが右手の指をピンと弾いただけで、強靭な蜘蛛の糸がラガスを切り裂いたのだ。
「ラガス様ぁ!!」
上級冒険者であるラガスの鋼鉄の体に、いとも簡単に深い傷をつけた。
大量の血が噴水のように溢れ、地面に落ちる。
しかし、深傷を負ってもなおラガスは踏みとどまり、剣を構えることを止めなかった。
「もう一度聞きましょうか? そこをどいてください」
「断る……」
再び、ジンの攻撃がラガスを襲う。
防御不可能の攻撃をもろにくらい、体から鮮血が飛んだ。
ふらふらとよろけるが、未だ倒れることはない。
鋼の精神で、ラガスは意識を保っていた。
「まだ分からないのですか? 貴方が身を挺して守ったとしても、結局この洞窟の出口は一つしかなく、セラフィリア様達はここまで自力で来るしかない。私はここで待つだけで目的を達成できるのです」
貴方がやっているのはただの犬死にです。
ジンが呆れたように言葉を並べたて、現実を突きつける。
お前の行動は無駄だ、ただの延命措置に過ぎないと。
ラガスが今ここにいる理由を真っ向から否定する。
しかし————ラガスはそんな真っ当な理屈で動いているわけではなかった。
「それでも! 我がここを動くことは断じてない!! 理屈ではない! 冒険者の矜持を持って、我は最後まで仲間を見捨てない!!」
次の瞬間————ラガスの腕が飛んだ。
丸太のように太いらガスの腕が切断され、宙に飛ぶ。
時の流れがゆっくりと流れ、ラガスの腕が地面に落下すると同時に、一気に動き出す。
「ラガス様ぁあ!!」
あまりのダメージに、ラガスはとうとう膝をつく。
大量の血が流れ出て、ラガスの足元に血溜まりができるほどだった。
まごう事なき、致命傷だった。
すぐに処置をしなければ、出血多量で死ぬことは免れない。
「これで私が何もしなくても、貴方は死にます。そして、セラフィリア様を連れ戻し、賊を殺す」
フッ————フッ————とラガスが異常な呼吸を繰り返す。
いつ、息が止まってもおかしくなかった。
ラガスの命を賭した守り。
一歩たりともその場を動かなかった、仲間を守るという信念。
それは全て無駄だったのだろうか。
意味のないことだったのだろうか。
いや————そんなことはない。
『ミカエラ・ヒーリング』
その時、綺麗な緑色の光が宙を舞い、ラガスの患部を覆う。
シーナが顔中に黒い紋様を発現させながら、ラガスに回復魔法を施したのだ。
「シーナ殿……!」
アイスが言っていた。
アイスの術は、対象者の本質を歪めるものではないと。
すなわち、彼の信念、それから来る行動は全て、心の底から思っていることだ。
それがシーナに勇気をくれる。
自分が生きていていいのだと、言われているようだった。
仲間としての存在価値があるのだと、言われているようだった。
朧げな光が段々と薄くなっていくと、ラガスの腕から漏れ出ていた血が止まっていた。
「ラガス様は……いきて……」
黒い呪いの紋様で、顔を真っ黒にしたシーナは目を閉じる。
そして前から倒れ込み、動かなくなった。
「シーナ殿————シーナ殿!?」
ラガスの問いかけにも反応しない。
彼女の長い銀髪が、まるで散ってしまった花のように、無造作に地面で揺れていた。
「————本当に愚かですね」
ジンは徐に蜘蛛の糸を伸ばす。
その糸はまるで生きているかのように動き、シーナの体に巻き付いた。
「おのれ……シーナ殿を返せぇ!」
ラガスは声を振り絞るが、体は動かず、シーナがジンの元に引き寄せられるのを見ていることしかできない。
ジンはシーナを糸で引き上げ、手で担ぎ上げた。
そして、次はお前だと言わんばかりに、再びラガスの方へと向き直った。
その時だった。
「……?」
ジンの後方から気配がする。
バタバタと集団が迫ってくるような音だ。
洞窟の入り口から入ってきたのは、冒険者の集団だった。
「おいおい、こいつは一体どうなってやがる……!?」
その冒険者達は、全員、ブロンズ、シルバーのプレートをつけていた。
すなわち、クレイグに騙され、いいように操られていたアベントの下級冒険者達であった。
「あれは? ラガスか?」
「おい、聞いてた話と違うぞ」
「クレイグ……さんはどうした?」
冒険者達は、訳の分からないこの場の状況に困惑していた。
ラガスは思った、これは好機だと。
この瞬間に彼らと協力すれば、突破口が開けるかもしれない。
確かにジンはかなりの強敵だが、これだけの数を相手にすれば、否が応でもアイス達への注意は逸れる。
渾身の力を出して、アイス達が脱出できる道を作り、あわよくばシーナを奪還できる————かも知れなかった。
シーナに回復してもらったこの体、可能性はゼロではない。
「おい、お主達! その女は我の大事な仲間を連れ去ろうとしている! 冒険者ならば助けてくれ!」
ラガスは冒険者達に叫ぶ。
しかし、彼等は混乱の最中におり、ラガスの救援をまともに受ける余裕がなかった。
「なんだと!? 意味分かんねえよ!」
「依頼はどうなったんだ? ラガス!」
彼等はクレイグから貰えるはずだった報酬の事を気にしていて、それ以外を完全に頭から拒否していた。
駄目だ。
これではあの冒険者達を動かすことはできない。
彼らが動いてくれるには————もうなんでもいい。
ラガスはなんとか頭を働かせ、なりふり構わずに口から出鱈目を生み出した。
「クレイグは死んだ。その女が殺したのだ! お主らの報酬を全て奪い取って逃げるつもりだぞ! だからそいつを止めろぉ!」
「なんだとラガス!? 間違い無いんだな!?」
「おい! そこのメイドが俺達の金を奪ったらしいぞ! 許せねえ!」
ラガスの一声により、冒険者達は一気にやる気になり、ジンに対して武器を構え始めた。
総勢50名以上の冒険者が出口を塞ぐ。
鼠一匹出られないほどの密な防壁が、そこに出来上がっていた。
これでなんとか希望を繋ぎ止められる。
ラガスはジンが冒険者達とやりあっている間に、まずはこの石壁を破壊しようと動き出そうとした。
「————面倒になってきましたね」
その時、ジンが溜め息をついてそう呟く。
冷めた彼女の雰囲気が、ラガスの動こうとする意思を凍り付かせた。
ジンは自分の手をグーパーと何度か握り直し、そして、石壁の向こうにいるセラフィリアに向かって話しかける。
「セラフィリア様、一旦、日を改めましょう」
「は?」
このタイミングで引くというのか。
まだ、セラフィリアを連れ戻すという目的は果たされていないのではないか。
ラガスの疑問に答えるかのように、ジンは懐から『魔封じの結晶』を取り出す。
「この魔石がある限り、どうせ貴方はアストラ家に戻らねばならない。でなければ魔法を使うことはできないのですから」
セラフィリアの魔力は、未だあの禍々しい石に封印されたままだ。
封印を解くにはジンを追いかけ、アストラ家に戻る必要がある。
すなわち、ジンはその魔石を回収した時点で目的を達成していたのだ。
「のこのこと逃すと思うか? シーナ殿を置いていけ!」
ラガスは仲間を取り戻すために、なんとか立ち上がる。
そして、無事な右手で大剣を持ち、ジンに向けた。
後ろの冒険者達も、金を持ち逃げされまいと臨戦体制を取っている。
しかし————そんな状態でも、ジンは顔色一つ変えることはなかった。
「さて、ここは一つ、景気良く終わりと致しましょう」
ジンは右手を空に掲げ、パチンと指を鳴らした。
すると————まるで手品のように、何もないところから金貨が現れた。
それも一つだけではない。
至る所から、金貨が現れ、雨のように舞い散る。
その事にいち早く反応したのは、冒険者達だった。
「「金だ!!」」
冒険者達は目を血走らせて、一気に洞窟内へと押し寄せた。
地面を舐めるように落ちた金貨をかき集め、涎を垂らしている。
クレイグによって金の亡者にされた冒険者達。
その醜い末路がそこにあった。
「お主達————気をしっかり持て!」
ラガスが必死に声をかけるが、聞く耳を持たない。
既に出口のの包囲網は完全に崩れてしまっていた。
そして、ジンがシーナを連れて、洞窟の出口からゆっくりと出ようとしていた。
「ふざけるなぁ! 待てい!!」
ラガスは必死に追いかけようとする。
しかし、冒険者達の金貨を求める波に飲まれ、身動きが取れなかった。
「待て! 逃げるではない!! 待てえええええええ!!」
ラガスの声も虚しく、ジンはシーナを連れて、冒険者の波の奥へと消えていってしまった。




