第35話 抵抗
「偽物……?」
理解が追いつかず、ただただジンの言葉を反芻する。
真実を突きつけられたシーナは、地面に膝をついて呆然としていた。
「嘘です……賢者様が偽物のはずが————」
「嘘をついているのはそこにいる詐欺師の皆さんです。賢者の扉を通って向こうの世界から来た人間達を捕まえて、すでに話を聞いています」
色々と聞きましたよ。
貴方達の組織、名声。
人を騙すことを生業とし、恐れられていた存在だということ。
そして、貴方が使う人を操る術のことまで。
「————興味深い話でしたが、私たちが聞いている賢者の話とは少々乖離があります。おそらくあの扉は賢者の世界とは繋がっていなかったのでしょうね」
ジンの言葉が信じられず、シーナはすがるようにアイスの方を見る。
だが、アイスは沈黙を保ったままだった。
その黒眼鏡の奥の瞳は、少しもシーナのことを見ようとしなかった。
「従って、その男は賢者でもなんでもないただの人間————魔力を一切感じないのも、ただの人間だからです。貴方はただの人間に単純な嘘で騙されていただけなのですよ」
ジンが話す事実に、シーナは虚な目で項垂れる。
嘘が露見する時ほど、虚しい瞬間はない。
アイス達の間に、居た堪れない空気が漂っていた。
「セラフィリア様は意地になって、賢者ではないものを賢者に仕立て上げ、家を騙そうとした。当主様が帰ってきたら、処罰を受けることでしょう」
「……!」
悔しそうに、セラフィリアは顔を顰める。
ジンの蜘蛛の糸は見た目以上に強靭なようで、身動きが少しも取れない。
彼女の宣告に対しても、為す術がなかった。
「あと————今回はとある実験も兼ねていました。この冒険者達に依頼という形で貴方達を誘い込んだのも、これのためです」
すると、ジンは自身の足元を指差す。
苦しそうに呻くクレイグの方に蜘蛛の糸を垂らした。
懐に入り込んだ糸が、例の禍々しい魔石を引き摺り出す。
黒い紋様が浮かび上がるその赤い石は、セラフィリアの魔法を封じている『魔封じの結晶』だ。
「魔法を封じる魔石です。当主様が以前から開発していたものですが、どうやら効果があったみたいですね」
「お母様が……!?」
ジンは白手袋をつけた細い指で、魔石をコロコロと手で転がす。
この魔石に関して、セラフィリアも何も聞かされていないようだった。
アストラ家の当主が秘密裏に開発を進めていたものだったのだろう。
「ご苦労でした————もう、あなたは用済みです」
「ちょ、ちょっと待ってくれぇ! 俺はあんたの言われた通りに————」
クレイグは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
ジンの足が強く振り下ろされ、クレイグの頭を踏み潰した。
その衝撃で大量の血痕が、ジンの足を中心に放射状に広がった。
虫を潰すかのように、いとも簡単に人が殺されたのだ。
「なんという……!」
あまりの衝撃的な光景にラガスも息を呑む。
人間を簡単に殺すことができるその力と冷酷さ。
そこにいるメイドの姿をした何かは、今まで出会ってきたどんなモンスターよりも怪物であった。
そして、ジンはアイス達に目線を戻す。
「さて、今度はあなた達です。魔女をたぶらかした罪で死んでもらいます」
「……はいそうですか、とはならねえよ」
リルが威勢よく受け答えするが、こめかみに一筋の汗が垂れる。
今までに感じたことのない緊張感がそこにあった。
少しでも動いたら殺されるかもしれないというプレッシャーが場を支配していた。
その時————アイスはリルと一瞬だけアイコンタクトをした。
一秒にも満たない時間だったが、長年タッグを組んできた相棒であればそれだけで十分だった。
そして、アイスが前に出る。
「————色々と勝手に言ってくれたが、それだけじゃまだ俺が賢者ではないっつう証明にはならねえな」
アイスはどんどん近づいていくが、攻撃の意思は見せない。
両手をあげて降参の意思を見せながらも、ジンとの距離を縮めていく。
「悪あがきですか? 無駄ですよ。貴方のお友達の話からは、賢者の要素の欠片も見当たりませんでしたから」
「生憎だが、俺の友達は全員嘘つきなんでね」
そいつが嘘をついているかもしれないし、そいつが俺の嘘を信じ込んでいるだけかもしれない。
俺の情報が真実であるという保証はどこにもない。
むしろ————てめえはただ扉から現れたというだけで、なんの力もない雑魚の言うことを信じるのか?
アイスは飄々とした態度のまま、挑発的な言葉を並べる。
「————それ以上、近づかないでもらえますか? 貴方の術の発動条件のうちの一つに、対象に触れなければいけないという条件があるのは知っています」
「それも嘘かもしれねえな。対象に触れなくてもあんたを洗脳できるかもしれねえし、なんならもう洗脳されてるかもしれねえ————あんたは俺にペラペラと喋らせるべきじゃなかったぜ。それだけで不確定要素が増えている」
あんたが取るべきだった行動は、俺に悟られる前に全員殺しちまうことだったのさ。
不適な笑みを浮かべ、意味深な言葉を並べ立てた。
澱みなく紡がれる言葉、迷いのない動きからは、恐怖や緊張といったものを一切感じない。
アイスに魔法的な力は何もないはずなのに、不気味なオーラがアイスの後ろで黒く渦を巻いているのが見えるようだった。
そして、いつの間にかアイスはジンのすぐ目の前まで歩いてきていた。
「そして、こうして俺と喋っている間にも、あんたを出し抜く作戦は既に始まっているかもしれねえぜ————ハルク!!」
突如、アイスは大声を出した。
すると、ジンの後方から気配がする。
気絶していたと思っていた冒険者の一人が、むくりと起き上がったのだ。
冒険者の男————アイスによって既に操られていて、アイスの合図によって再び覚醒した男は、ジン目掛けて何かを投げつけてきた。
無論、そんな見え見えの攻撃に当たるような相手ではない。
ジンはいとも簡単に反応し、冒険者の投擲物を蜘蛛の糸で切り裂いた。
だが、それだけでは終わらない。
投擲物は筒状のもので、糸によって切られた切り口から大量の煙が噴出した。
ジンの目の前で爆発し、周りを一気に白煙で覆われる。
煙幕によってジンの視界が失われた。
アイスは完全に気配を絶っており、ジンからは位置を把握することができない。
そして————これはアイスの知り得ない情報だが、アイス達は魔力を保持していないので、ジンが魔力感知を発動しても見つけることはできない。
「これが、狙いでしたか————奴はどこに……?」
人を操る術を使う男————ジンにとって最も警戒しなければならなかった標的を見失った。
この煙幕はそう長くは続かないだろう。
しかし、何も見えない状況で一瞬の隙を突けば、アイスがジンの体に触れることは不可能ではない。
真実はあやふやであったが、触れられれば術が発動することは確実であり、ジンはアイスの接近をなんとしてでも察知しなければならない。
ジンが常人よりも遥かに優れている感覚を研ぎ澄ませていると————ほんの少しの風の揺らぎを、背中側から感じた。
目には見えないほどの速さで振り向き、鋭い糸で切り刻む。
「!」
だが、それはアイスではなかった。
ジンが斬ったのは、アイスが着ていた黒いロングコート。
すなわち、囮だ。
アイスはその好機を見逃さなかった。
正面から白煙を掻き分け、ジンに迫る。
そして、右手をジンの顔面へと伸ばした。
「————!」
そこで、あり得ないことが起こった。
ジンの体が霞のように掻き消えたのである。
途轍もないスピードで移動したとかではなく、ただ溶けるように消えていった。
そして、気づけばジンは洞窟の入り口の方に移動していた。
「ただの人間にしては悪くない奇襲でした。ですが、やはり偽物————その手が私に届くことはありませんでしたね」
涼しい顔のまま、ジンはメイド服の裾を軽く叩く。
彼女の虚をつくことには成功したが、それも想定の範疇だったのだろう。
だが、千載一遇のチャンスを逃したにもかかわらず、アイスの余裕の表情には変化がなかった。
「確かにあんたには届かなかった。けどな————てめえの手元をよく見てみな」
そう言いながら、アイスはジンの手元を指差す。
すると————セラフィリアを拘束していたはずの糸が切れていたことに気づいた。
再び視線をアイス————もとい、その後方に戻すと、リルの手元にはナイフと拘束された状態のセラフィリアが握られていた。
リルがジンの元からセラフィリアを奪取していたのである。
「大事なもんは離しちゃいけねえな」
リルは一瞬の目配せで全てを理解し、アイスに合わせて行動した。
アイスとジンの一瞬の攻防の間に、人質を掠め取る————スリの天才であるリルにしか不可能な芸当であった。
アイスの動き全てが、大きな囮だったのである。
「よぉしベイビー、大人しくしてろよ」
「油断するなリル。まだ助かったわけではないぞ」
セラフィリアを拘束する蜘蛛の糸は、縄よりも丈夫なものではあったがリルのナイフで切れなくはなかった。
拘束が解かれ、アイス達は逃げる準備が整った。
あとは、入り口からなんとかして逃げられらばいいのだが————
「フフフ……フフフフフフフフフ————」
その時、ジンが不気味に笑いだす。
俯き加減で肩を揺らし、口元の冷ややかな笑みだけが見える。
彼女の笑い声は、次第に大きくなりながらも決して愉快ではなく、底知れぬ闇を含んでいるように感じられた。
やがて、ひとしきり笑った後、凍りつくような視線がアイス達に向けられる。
「確かに、我ながら回りくどいことをしてしまいました————貴方の言うとおりですね」
次の瞬間————ジンは魔力を全開放した。
「なっ……!?」
セラフィリアとラガスが目を見開く。
魔法について何の知識もないアイスとリルも、これは流石に異常だと分かる。
今まで感じたことのないほどの威圧感。
空中に漏れ出すエネルギーが、ビリビリと肌に突き刺さった。
本能が危険だと伝えている。
「貴方に悟られる前に、最初から皆殺しにすれば良かったのです」
ジンは正面に手をかざす。
すると、紫紺の光が彼女の両手の中心に集まり出した。
それが放たれれば、アイス達が無事ではいられないことは簡単に理解できる。
「こっからのシナリオはどうなってんだアイス!?」
「残念ながら————こっからは全部アドリブだ」
「ハッ! クソみてえな脚本だな!」
アイスとリルの二人は軽口を交わしてはいるが、表情にさっきまでの余裕はなかった。
セラフィリアは魔法が使えず、ラガスも満身創痍だ。
これ以上は本当に策がなかった。
「終わりです————『バスター・ストリング』」
ジンが魔法名を詠唱し、両手に溜めたエネルギーを解放した。
運に任せて、アイス達が思いっきり後方に回避しようとした————その時。
『カースド・エクスプロージョン』
赤黒い魔法光がアイスの近くで発現した。
眩くも怪しい光は、薄暗い空間の全てを照らしていく。
次の瞬間————洞窟の天井が爆発した。
「「!?」」
天井が崩れ、その衝撃で洞窟が揺れる。
それが石の防護壁となって、ジンの魔法を防いだ。
アイス達はジンの魔法をなんとか回避しようとしていたため、落石を避けつつ、ジンの魔法から逃れることができていた。
ただ一人を除いて。
「————シーナ!?」
セラフィリアが、石壁のこちら側に来ていない人間に気づき、声をあげる。
ジンの前にはただ一人、魔法を発動したシーナのみが残っていた。
「全く、本当に貴方は愚かですね」




