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幻獣召喚士  作者: 湖南 恵
獣たちの王国
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九 ミスリル

 時は初夏である。

 船曳街道は未舗装なので、雨が降らない限り土埃が舞う。


 ユニは夏毛に生え変わっているとはいえ、ライガの毛皮の上に跨っているから結構汗をかく。

 そこに土埃が付着するものだから、半日も歩くとどろどろになった。


 そこで二人は毎日一、二度水浴びをした。

 常に川沿いを歩いているので、水浴び場所を探すのに苦労はなかった。

 二人は女同士という気楽さもあって、一緒に川で水を浴びた。


 アスカの裸体はさすがに見事なもので、肩幅が広く筋肉が盛り上がっている。

 どこか古代の彫刻作品を思わせる美しさがあった。

 ぜい肉が一切なく、背中や腹に筋肉がどうついているのかが一目でわかった。

 あまり豊かではないひかえめな乳房だけが柔らかそうで、そこだけ異質な感じがする。


 川の水で汗を流し終えると、アスカはプレートアーマーの内側を洗い、乾いた布で丹念に拭き取った。

 彼女が腕を動かすたびに、二の腕や肩、脇腹の筋肉がごりごりと動くのが面白かった。

 ユニも衣服や下着を洗濯しながら、もう一つ気になっていたことを尋ねた。


「そのプレートアーマー、いつも着ているけど暑くないの?」


 実を言うと、プレートアーマーの最大の弱点がそこなのだ。

 金属で密閉された空間で激しく動けば大量の汗をかく。換気はほとんど期待できない。

 それが夏季だと一層凄まじいことになる。


 直射日光で熱せられた金属がどれだけ熱くなるか、そしてその内部がどんな地獄となるか、容易に想像できるだろう。

 かつて騎士の装甲の主役がプレートアーマーだった時代、夏場の戦場で熱中症のために気を失い、敵に首級を上げられた者が珍しくなかったのである。


 ところがアスカは涼しい顔で答える。

「ああ、これは大丈夫なんだ。

 夏場だと鎧を着ていた方がかえって涼しいくらいだぞ。

 ほら、そこに干している胸当に触ってみろ」


 言われるままに、ユニがぱしゃぱしゃと水音を立てて岸に上がり、鎧に触れてみると、確かにひんやりとしている。

 七月の午後、直射日光に当て続けていたとはとても信じられない。


 ユニが目を丸くして驚いていると、アスカはその表情を愉快そうに眺めている。

「な、言ったとおりだろう?」

「どういうことなの?」

 ユニは好奇心の塊りとなっている。


「この鎧はミスリルなんだよ」

「ミスリルって……魔法物質の?

 まさか!

 だって、そんなの国宝ものじゃない!」


「あはは、いやさすがに純製じゃないさ。

 合金だよ。ミスリルはせいぜい二割程度しか入っていない」

「そっ、それだって王族や大貴族じゃなきゃ手に入らないでしょう」


 ユニが驚くのも無理はなかった。

 ミスリルあるいはミスリル銀と言われる鉱物は〝魔法物質〟と言われている。

 その性質が一般の物理法則を超越した存在だからだ。

 この世界でも存在するのだが、金などとは段違いの希少性があり、恐ろしく高価な代物だった。


 ミスリルの鉱脈はエルフ族しか見つけることができず、その加工はドワーフ族にしかできないと言われている。

 やっかいなことにこの両者は仲が悪いことで知られており、エルフの手からドワーフにミスリルが渡り、加工されること自体稀だった。


 さらに言えば、この世界に少数存在するエルフ族やドワーフ族は人間とほぼ没交渉の存在で、ますます人間世界にミスリルがもたらされる可能性を低くしていた。


 各国の王室などに伝わる〝国宝〟とされるミスリル製の武器や防具は、ほとんどが龍族が収集していたものである。

 それこそめったにないことだが、人間の英雄が龍を倒したり、何らかの理由で龍が死んだり、棲家を放棄した際、彼らが集めていた宝物の中にミスリル製品が見つかることがある。


 したがって、例え二割しか混じっていないとしても、ミスリル合金のプレートアーマーを一般の騎士が持つなどあり得ないことなのだ。


「これはフロイア様から戴いたものなのだよ。

 いくら私でも、これが貴重なものだということは理解している。

 だからこそ、普段から身に着けているのだ。

 それが一番安心だろう?

 こんなもの家の長持に入れておいて外出するなんて、恐ろしくて私にはとても出来ない相談だ」


 なるほど、世間では体を鍛えるためだとか、鎧フェチだとか、いろいろ勝手な想像がまことしやかに語られていたが、そういうことかとユニは納得した。

 確かに大金を金庫に入れておいて盗まれる心配をするよりも、自分の懐に入れて持ち歩いた方が安心するだろう。


「それにしても、フロイア様はどこからこんなものを手に入れたのかしら?」

 ユニの疑問は当然である。


「ふふっ、ユニ殿でもわからぬか?

 フロイア様は蒼龍帝だぞ?」

「……あ! ひょっとしてグァンダオのお宝?」

「そうらしい」


 そこでアスカは笑顔を引っ込めて真顔になる。

「ユニ殿は信じてよいお人だと思ったから打ち明けた。

 わかってもらえるとは思うが、このことは内密にしてほしい」


 ユニは重々しくうなずく。

「わかった。でも、一つ条件があるわ」

「条件?」

 アスカの顔が少し曇った。


 ユニはにっこりと笑って言う。

「あたしのことを信じてくれるって言うのなら、〝ユニ殿〟はやめて。

 ただのユニでいいわ。

 殿なんか付けられたら、お尻の穴がむずむずして気持ち悪いのよ!」


 アスカは声を上げて大笑いした。

 ともに旅をして二週間、彼女のこんな笑い声は初めて聞いた。


「ははは、わかった。

 ならば私もアスカでいい。

 さん付けは私も気持ちが悪い。

 お尻の穴は何ともないがな……」

 そう言うと、再び笑い声があがる。今度はユニも一緒だった。


 アスカによれば、ミスリル合金の鎧は軽く、強度も上がるが、二割程度の混入率ではそう劇的なものではないらしい。

 ただし、断熱効果は純ミスリル製のものと遜色がないらしく、夏涼しく冬暖かいという、まさに魔法の鎧であるらしい。


 水浴びを終えた二人は替えの衣服を身に着け(アスカはもちろんプレートアーマーを着込む)、街道に戻る。


 街道脇の木陰では、ライガがだらしなく寝そべり、長い舌をだらりと垂らしてハアハアやっていた。

 隣りでは木に繋がれたアスカの馬がのんびりと草をんでいる。


「あんたも水浴びすればいいのに」

『やなこった』

 ライガはそれだけ言って、のそりと身を起こす。

「ほんっと、あんたたちの風呂嫌いって徹底してるわねー」

 ユニは溜め息をつきながらライガに跨った。


 アスカも愛馬を木に繋いでいた紐を解き、街道上まで曳いてきてから馬上に跨った。

 カチャカチャという鎧の金属音が、どことなく高貴な響きに思えてくるのだから、人間とは現金なものである。


      *       *


 二人は並んで街道を進む。

 アスカの馬はカッポカッポというリズミカルな蹄の音を立てる。

 一方のライガはほとんど音を立てない。


「ねえアスカ、そういえばフロイア様はどうしてその鎧をくださったの?

 何かのご褒美なのかしら」

「ああ、稽古相手の、いわばバイト料だな」

「稽古相手?」


 アスカの説明はこうだった。


 先代の蒼龍帝が消失し、新たな蒼龍帝を迎えることになった第四軍の兵士たちは、フロイアに熱い期待を寄せていた。

 何しろまだ十八歳、しかもメイナード侯爵家の令嬢であり、噂では魔導院一の美少女だという。


 か弱く可憐な姫将軍をお守りする高潔な騎士。これこそ軍人を志した自分の本懐ではないか。

 むくつけき男どもが己が夢想に酔い、興奮しないわけがなかった。


 ところが現実はまるで違っていた。

 確かにフロイアは弱冠十八歳、侯爵家令嬢であり、美少女であり、噂は真実だった。

 ただし、身長は百八十センチを超す大女であった。


 しかも武芸全般に秀で、中でも剣術、槍術、格闘術が三度の食事より好きだという、困ったお嬢さんだったのである。


 フロイアは公務の傍ら、暇さえあれば鍛錬と称してこれらの稽古を所望した。

 最初こそ兵士たちは〝我こそは〟と稽古相手に立候補したが、すぐにその愚かさを思い知らされた。


 フロイアは冗談抜きに強かった。

 女性だから手加減をせねばと思って彼女の前に立った男たちは、数合も打ち合わぬうちに「全力を尽くさなければ殺される」と恐怖した。


 ほとんどの男たちは五合と持たずに叩き伏せられた。

 さすがに教官を務める者や武術大会で上位に勝ち残った者たちは最後まで立っていたが、皆鍛錬が終わる頃には息も絶え絶えとなった。


 さらに格闘術に至ってはフロイアが最も得意とするところで、特に彼女は関節技の名手だった。

 これには教官連中も、赤子の手を捻るように組み伏せられてしまった。


 稽古で使われたのは訓練用の刃を潰した剣や槍であったが、青あざならましな方で、捻挫、脱臼、骨折といった被害者が続出した。

 次第に蒼龍帝の相手をしようという者が減っていき、目に見えてフロイアの機嫌が悪くなっていった。

 そんな時に白羽の矢が立てられたのがアスカだったのだ。


 アスカは入隊して六年目、すでに中尉に昇進し、その化け物じみた技能と体力は、第四軍で知らぬ者がいない程だった。

「一体、フロイア様とアスカではどっちが強いんだ?」

 当然起こる疑問だった。


 アスカは女性相手に剣を振るう趣味はないと固辞したのだが、男どもはフロイアに「実はわが軍にはこういう者がおりまして……」と耳打ちをした。

 その結果、欲求不満の塊りとなっていたフロイアはアスカを指名して、訓練試合を行うことを決定した。


 一応、建前としては第四軍内の訓練大会という名目で、技量の優れた者同士の模範試合をするというものだったが、もちろん主目的は蒼龍帝とアスカの一騎打ちである。


 その日、蒼城の広大な試合場は立錐の余地もないほどの人で埋め尽くされていた。

 勤務の兵士はもちろん、城外で訓練中の兵士や休暇中の兵士までが押しかけ、この世紀の一戦を見逃すまいとしたのだ。


 前座の試合は淡々と進み、ついに最後の一試合となった。

 フロイアは事前にアスカが得意とするのが剣術であることを側近から聞き出し、試合種目は剣術が指定された。

 このあたりは彼女の公正なところだった。


 その試合は未だに第四軍の語り草となっている。


 水を打ったように静まり返る試合場で対峙する二人の女性。

 どちらも並みの男を軽々と凌駕する体格を誇っていた。

 フロイアはロングソードを両手で握って構える。

 一方のアスカは幅広のブロードソードを右手に、左手は盾を構えている。


 審判の「始め!」の声とともにフロイアが低い姿勢で飛び込んだ。

 その勢いの激しさに誰もが息を飲む。


 地面すれすれから斜めに振り上げられた剣が、アスカの脛を狙う。

 アスカがブロードソードを地に突き刺すような勢いでその剣を阻むと、フロイアは即座に跳ね上がった剣で袈裟懸けの一撃を放つ。

 アスカはそれを左手の盾で受け止めたが、「ガンッ!」という鈍い金属音とともに左腕に伝わった衝撃に戦慄した。


 大きいとはいえ、自分よりも体格が劣る相手のどこにこんな力があるのか……。

 それは彼女にとって、嬉しい驚きだった。


 アスカは盾で相手の剣を弾き上げると同時に、右手のブロードソードを横薙ぎに払う。

 「ブンッ!」という風切り音が響き、襲ってくる剣圧をフロイアは両手で握った長剣でどうにか受け止めた。

「これが片手で放つ一撃か? 何だこの化け物は!」

 今度はフロイアが驚愕する番だった。分厚い革手袋をしている両手がジンジンと痺れている。


「ガンッ! ゴッ! ギャン!」

 一合、また一合と打ち合う剣と剣、剣と盾があげる悲鳴のような金属音だけが試合場に響いていた。


 観客は誰もが歓声を上げるどころか、息をするのさえ忘れていた。

 目を凝らしていないと打ち込みの軌道が見えない。

 瞬きを忘れて見開く目に、激しい打ち合いで飛び散る金属片が飛び込んでくるような錯覚を覚える。


 二人はもう二十合以上打ち合っていた。

 もはや互いの剣は刃こぼれしてボロボロになっている。

 二人は肩を大きく上下させ、荒い息をしている。

 どちらも明らかに限界を迎えていた。


 その時、アスカが大きく踏み込んだ。

 左手の盾をフロイアに向かって投げ捨て、相手が避けようとして体勢を崩したところへ、両手で持ったブロードソードが横薙ぎに襲う。

 フロイアは長剣で受け止めようと身構える。

 再び剣と剣が打ち合うかと思われた直前、ブロードソードの軌道が突然変わった。


 横に振られた剣が、いきなり上方向に跳ね上がったのだ。

 アスカの恐るべき膂力でなくては不可能な、無茶苦茶な動きだった。

 彼女は肩と腕のあたりで「ぶちぶちっ」と筋繊維が断裂する音を感じていた。


 フロイアは間一髪で顔をのけぞらせてその剣を交わす。彼女もまた顎の先の皮膚が切り裂かれたのを感じていた。


「今しかない!」

 相手の剣先が顔を掠めて上空へ消えていくのを感じたフロイアは、相手の懐に飛び込んで必殺の突きを放とうとした。


 瞬時にアスカはその突きを自らの肩で受け止め、その間にブロードソードを打ち下ろして相手を唐竹割に切断するという決断を下す。


「そこまでぇーっ!」

 審判が裂帛の気合を込め、腹に響くような声で叫んだ。


 フロイアのロングソードがアスカの胸を貫こうとする直前でピタリと止まる。

 アスカのブロードソードがフロイアの頭蓋を粉砕する直前で微動だにしなくなる。

 お互いとんでもない膂力がなければ成し得ない芸当だった。


「この勝負、引き分けとする!」

 再び審判が大声で宣言すると、二人は互いに剣を引き、がくりとその場に膝を突いた。


 一万に近い観衆は、自分たちが息をしていなかったことを突然思い出し、大きく深呼吸をする。咳き込む音があちこちでする。

 やっと肺に酸素が供給され、審判の宣言から数秒遅れて地鳴りのような歓声が沸き起こった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーっ!」

 怒号のような歓声はいつまでも鳴りやまない。


 アスカとフロイアはやっと立ち上がり、互いに手を差し出して握手をしようとした。

 ところが二人とも手を差し出したはいいが、ぷるぷると手を震わせたまま、指を開けないでいる。

 剣を握った形のまま、指が硬直してしまったのだ。


「許せ、アスカ。

 私の手が言うことを聞かんのだ」

「私の手も同じでございます。フロイア様」


 フロイアは握手を諦め、そのまま両手を大きく広げ、アスカの巨体を抱きしめた。

「私は嬉しいぞ。わが軍にお前のような者がいたとは……」


 アスカも同じ気持ちだったが、それを失礼のないように言葉に表すことがとうとうできなかった。


 この試合の後、アスカは蒼龍帝専属の稽古相手を指名され、その報酬として与えられたのがミスリル合金のプレートアーマーだったのである。

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