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スイートホーム  作者: 水嶋陸


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20/34

変化の兆し/Side神楽木響也


 年が明け、年末年始休暇を終えると仕事に忙殺される日々が戻ってきた。


 見合い相手の女性――藤崎香織(ふじさきかおり)は次の約束は急がないと気遣ってくれたが、あまり長く待たせるのは申し訳ない。予定を調整し、一月中旬の週末に会うことにした。



 当日昼頃、待ち合わせ場所の東銀座に到着し指定されたレストランへ向かうと、開店前にも関わらず長蛇の列ができていた。左右を見渡し藤崎の姿を認める。


 淡いブルーの膝丈コートを羽織り、白いマフラーを巻いた藤崎は清楚な雰囲気の落ち着いた美人だ。ストレートの長い黒髪は陽光を浴び、輝くような艶を放っている。


 「藤崎さん」


 歩み寄って声をかけると、こちらに気付いた彼女はパッと表情を明るくした。


 「神楽木さん! こんにちは。お店、迷わずに来れましたか?」


 「はい。寒い中お待たせしてすみません。早めに家を出たのですが、一足遅かったようですね」


 「たまたま私が先に着いただけなので気にしないで下さい。邪魔にならないよう列に加わりましたが、予約してますし並ぶ必要ないんですよ」 


 屈託のない笑みを向けられ、厚意に感謝した。こういう場合は男性側がプランを立てるのが好ましいだろうとリクエストを尋ねた時、気になるお店があると予約してくれたのだ。


 「店探しから予約まで、何もかもお任せで恐縮です」


 「いえいえ。来てみたいと思ってたお店なのでちょうど良かったです。お忙しい中、時間を作って下さってありがとうございました。またお会いできて嬉しいです」


 「こちらこそ。予定を合わせて頂いて感謝しています」


 二人の間に穏やかな空気が流れる。年末年始はどう過ごしたかなど当たり障りのない会話を始めたところで店が開き、間もなく店員に呼ばれた。


 南イタリア――ナポリ近郊の小さな街をイメージしたという店は天井が高く、黄色を基調にした内装で明るい。厨房に近いテーブル席に通され着席すると、藤崎がメニューを広げた。


 「ここはアラカルトの種類が豊富でどれもお勧めですが、もしよかったら週末限定のランチコースにしませんか? 前菜がついてきて、パスタかピザを選べます。食後にはカフェとデザートが」


 「いいですね。それにしましょう」

 

 料理を注文し、ほどなくして前菜が運ばれてきた。有機野菜とフルーツトマト、柑橘類のサラダにイタリア各地の生ハムが添えられて彩り鮮やかだ。


 食事を楽しみながら、さり気なく藤崎を観察する。


 話し方や所作に育ちの良さを感じるが、気取った様子はない。共に過ごす相手が心地良く過ごせるよう配慮ができ、まっすぐな眼差しに誠実な人柄が滲み出ていて好感を抱いた。


 前菜を食べ終える頃、見計らっていたように熱々のピザがサーブされた。色んな味を楽しもうと、それぞれ注文したピザを分け合う。


 比較的薄い生地のピザは表面がサクッとしていて、中は弾力がある。特にトマトソースが絶品で程よい酸味の中にすっきりした甘さがあり、何枚でも平らげてしまえそうだ。


 (帆花が喜びそうだな)


 瞳を輝かせながら「美味しい!」と頬張る姿が思い浮かび、笑みが零れる。涼しい顔を崩さなかった響也が慈愛に満ちた表情を浮かべ、藤崎はドキッとした。


 「今、何を考えてらっしゃるか聞いてもいいですか?」


 好奇心の混ざった声で訊かれ、響也は意識を引き戻された。


 「妹はとても美味しそうに食べるんですよ。それを思い出していました」


 「まぁ。そういえば神楽木さんには妹さんがいらっしゃるんでしたね。確かお名前は……」


 「帆花です。この春大学を卒業して社会人になります」


 「そうでしたね。どんな子か聞いてもいいですか?」


 「帆花は思いやりのある優しい子です。周りを気遣って自分の意見を飲み込む遠慮がちな面がありますが、一度心に決めたことは貫き通す芯の強さもあります」


 「自慢の妹さんですね。写真をお持ちでしたらぜひ拝見したいです」


 「かまいませんよ」


 ナイフとフォークを置いてスマホを取り出す。藤崎はおしぼりで手を拭き、丁寧に受け取った。そして画面を見た途端、「可愛い!」と瞳を丸くした。

  

 「色白で目がパッチリしてて、お人形さんみたい! 浴衣姿で旅館……ご旅行ですか?」


 「はい。帆花の誕生日を祝った時の写真です」


 「二人とも素敵な笑顔。仲の良いご兄妹ですね」


 「そうですね。友人には過保護過ぎると呆れられています」

    

 くすっと笑い、藤崎はスマホを返した。


 「帆花ちゃんのこと大切にされてるんですね。神楽木さんみたいに優しくて、頼りになるお兄さんがいたらすごく自慢しちゃう」


 「光栄です。藤崎さんはひとり娘ですよね。ご両親の愛情を一身に受けて成長されたのを感じます」


 「ええ。両親はとても可愛がって育ててくれたので感謝しています。おかげでひとりっ子でも寂しくありませんでしたが、子供の頃は兄弟に憧れたものです」

   

 終始和やかな雰囲気で食事が進み、お互いの仕事やプライベートについて語り合った。食後のコーヒーを胃に収める頃には、十分な満足感に包まれていた。


 


 会計を済ませて店を出ると、解散には早い時間で周辺を散策することになった。


 街中をゆっくり歩きつつ、藤崎がショーウィンドウの展示物を眺めたり、店に入って商品を手に取るのを見守る。


 彼女の希望で立ち寄った雑貨店では少しの間別行動になり、何気なく店内を見回した。アンティーク調の髪飾りが目に留まって釘付けになる。帆花が愛用している物と似ていたのだ。


 『昴さんに貰ったの』


 帆花のはにかんだ笑顔が脳裏に蘇る。胸がチリッと火傷したように疼いた。


 クリスマスパーティーの日。内に秘めていた魅力を惜しげなく開花させた帆花が、香り立つような美しさを湛えて昴と寄り添う姿を見た瞬間、衝撃が体を貫いた。


 男が女を着飾らせる時は大抵の場合、下心がある。ただ帆花は男慣れしておらず、昴を信頼しているからこそ警戒せずに着飾られ、誘われるままパーティーに参加したのだろう。


 理屈は分かるが、言いようのない苛立ちを覚えた。親密な距離感で、当然のようにエスコートする昴にも腹が立った。


 大切な宝物を奪われた気がして思わず拳を握り締めたが、波立つ感情に蓋をした。余計な一言で水を差し、幸せそうな帆花の笑顔を曇らせたくなかったからだ。


 帆花は必ず守ると誓った。その想いに揺らぎはない。しかし帆花は成長し、近い将来この手を離れていく。いずれ結婚すれば、守る役目を引き継ぐ立場であることも理解している。


 それなのに――これまで知らなかった激しい感情が芽生えて、未消化のまま胸に塞がっている。


 (昴に……いや、誰にも渡したくないと思うなんてどうかしてるな)


 眉間に皺が寄り、ため息が零れた。


 「――……さん。神楽木さん? 大丈夫ですか?」


 横から声がして我に返る。藤崎が気遣わしげにこちらを見上げていた。彼女の存在を忘れていた失態に気付き、己を戒める。


 「すみません、少し考え事をしていました」


 「そうですか。よかった、体調が悪いわけじゃないならいいんです」

 

 優しい笑みを浮かべ、藤崎は腰の後ろで両手を組む。響也は口角を上げた。


 「目当ての品は見つかりましたか?」


 「残念ながらここにはありませんでした。でも私、こういうお店は何時間いても飽きないくらい大好きなんですよ」


 「なるほど、確かに色々な物が置いていて見応えがありますね。藤崎さんのお好きな物、もしくはお勧めがあれば紹介してもらえませんか?」


 響也が興味を示し、藤崎は嬉しそうに応えた。

  

 「好きなものは沢山ありますが、最近は天然石が気になっていて勉強中です。このお店にもあるので、よかったらご覧になって下さい」


 藤崎が手差しする方へ視線を移すと、天然石コーナーが設けられていた。


 アクセサリー等に加工されたものや、掌に収まる小ぶりの石が陳列されている。それらを物珍しげに眺めていた時、藤崎が耳に髪をかけながら近付いてきた。


 「ご存じかもしれませんが、誕生石というものがあるんですよ。神楽木さんは何月生まれですか?」


 「五月です」


 「五月ならエメラルドですね。エメラルドは叡智を象徴する石として知られていて、知的な職業の人々に愛されてきたそうです。それから愛の力が非常に強く、恋愛成就、幸せな結婚のお守りとして有効だとも言われています」


 「さすがお詳しいですね」


 「まだまだ初心者ですよ。でも一度気になり始めるととことん調べたくなる性質なんです。ちなみに帆花ちゃんのお誕生日はいつですか?」


 「十一月です」


 「それならシトリンです。えーと……ありました。これです」


 示されたのは、金星を彷彿とさせる神秘的な石だった。


 「シトリンは商売繁盛と富をもたらす幸運の石として大切にされてきたそうです。太陽のエネルギーを持ち、癒やしにも優れています。心身のバランスを安定させてくれるので、仕事や勉強でイライラしたり、プレッシャーに負けそうな時に身につけるのがお勧めです」


 「お守りのようなものですね」


 「はい。気の持ちようかもしれませんが、あると心強いと思いますよ。手頃な値段ですし、お土産にいかがですか? シトリンに限らず帆花ちゃんの好きそうなものがあれば」


 温かい心遣いに、響也はふっと目元を和らげる。


 「ありがとうございます。せっかくなので少し見て回ってもいいですか?」


 「もちろんです。他にも気になる石があれば遠慮なく声をかけて下さいね。私もよさそうなものを見つけたらお持ちします。一緒に、一番良いと思えるものを見つけましょう!」


 言って、藤崎は宝探しを始める少女のように笑った。




 買い物をして店を出る頃には夕方に差しかかっていた。休憩がてらカフェに入るか藤崎に訊くと、それなら日比谷公園に行きませんかと誘われ、承諾した。


 休日の日比谷公園は家族連れやカップルの姿が目立ち、穏やかな時間が流れている。赤く染まった太陽の光が斜めから差し込み、木々の長い影を浮かび上がらせていた。


 響也は自販機で二人分飲み物を買い、大噴水広場のベンチに腰かけるよう促した。藤崎は両手で飲み物を受け取って礼を告げ、深呼吸する。


 「都会の中に自然がある環境っていいですよね。喧噪に呑まれそうになっても、ほっとする瞬間があって」


 「そうですね。職場の近くにこういう場所があればいい気分転換になると思います」


 「神楽木さんがお勤めの会社は六本木にオフィスがあるんですよね? 華やかなエリアで羨ましいです。私なら毎日会社帰りに寄り道して散財しちゃうかも」


 冗談交じりに笑った後、真剣な面持ちで響也に向き直る。


 「ご両親のこと、帆花ちゃんの保護者になられた経緯を伯母様にお聞きしました。これまでずっと帆花ちゃんを養ってきたんですよね。家族だからといってなかなかできることじゃないと思います」


 「伯母がどのようにお伝えしたか分かりませんが、俺は俺自身の願いで帆花を引き取りました。保護者として彼女を守り、支え、導くのは当然の責任です」


 鋼のような意思の強さを秘めた眼差しに射抜かれ、藤崎は息を詰めた。


 「……迷いがないですね。私は一度こうと決めても、上手くいかなかったり、辛い目に遭うと心が揺れて弱気になってしまう。だから神楽木さんが大変な決意を貫く覚悟と行動力がある人なんだと知って、ぜひお会いしたいと思ったんです」


 「ご期待を裏切っていないことを祈ります」


 「そんな。裏切るどころか期待以上ですよ! 正直気後れしています。有名企業にお勤めでご容姿に恵まれているだけでも周囲の女性は放っておきませんよね。お人柄まで素敵だなんて完璧じゃないですか」


 賞賛の言葉を受け、響也は短い沈黙を経て微笑した。

 

 「あまり美化しないで下さい。仕事にかまけて家事はほとんど妹に任せきりですし、休日打ち込むような趣味もない。


 家と会社の往復生活で、女性を喜ばせるような話題のデートスポットも、洒落たレストランの情報も長い間更新できていません。たいていの女性は退屈で愛想を尽かすと思いますよ。理想のパートナーには程遠いでしょう」


 「それは……人によるんじゃないでしょうか。少なくとも私は夢を見させてくれる人じゃなく、現実をしっかり見据えて、困難を共に乗り越えられるパートナーを求めています」


 藤崎はまっすぐ響也を見据えた。


 「神楽木さんとは二度しかお会いしていませんが、あなたの意思の強さ、そして家族に対する愛情深さに触れてとても惹かれています。もし私のことがお嫌でなければ、結婚を前提にお付き合いして頂けませんか?」


 突然の告白に驚かされた。藤崎の態度から好意を感じ取っていたものの、このタイミングで踏み込んだ関係を望まれたのは予想外だった。


 しかし心は動かない。頭の中はひどく冷静だった。


 結婚相手に望むものはそう多くない。仕事柄留守がちになるので、一人の時間を苦とせず自ら楽しみを見つけて過ごせる女性が好ましい。


 あとは極端に経済観念や価値観に隔たりがなければ上手くやっていける自信がある。ただ、ひとつだけ譲れない条件があった。


 (帆花を家族の一員として受け入れ、愛してくれる人かどうか。確信に至るにはまだ彼女を知らな過ぎる)


 熱のこもった眼差しを涼しい表情で受け止め、響也は慎重に口を開いた。


 「そんな風におっしゃって頂けるのは光栄です。藤崎さんのことは魅力的な女性だと思っています。ただ、重要な決断になりますしもう少しお互いの理解を深めてから結論を出しても遅くないかと」


 相手に寄り添う柔らかな口調だが、要望に応えたわけではない。藤崎の双眸に落胆の色が滲んだ。


 「ごめんなさい、急ぎ過ぎましたね。すぐにお返事を頂けなくてもかまいません。私の気持ちはお伝えした通りなので、前向きにご検討頂けると嬉しいです」


 気持ちを切り替えるように浮かべられた笑顔は自然で、気まずさを感じさせなかった。大人の対応に安堵する。


 藤崎が立ち上がり、同じように腰を浮かせた。藤崎は響也が携えている小さな紙袋に視線を落とす。


 「帆花ちゃんへのお土産、喜んでもらえるといいですね」


 「喜ぶ顔が目に浮かびますよ。ご助言を頂いて感謝しています」


 「私こそ! 贈る相手のことを考えながら想像を膨らませて、どれにしようか悩む時間は楽しかったです」 


 ――――響ちゃんの喜ぶ顔を考えながら選ぶのは、すごく幸せな時間だよ。


 帆花の笑顔が瞼に浮かび、藤崎に重なった。


 とても優しい目で、愛おしげに見つめられた藤崎は心臓が跳ねた。しかし何かに気付いたように表情を曇らせ俯く。


 「神楽木さんは……」


 続く言葉を待っていると、彼女は思い直したように「いえ、何でもありません」と微笑む。


 「そろそろ帰りましょうか。今日はとても楽しかったです! ありがとうございました」


 「こちらこそ。駅までお送りします」


 藤崎の背に軽く手を添えて歩き出すと、薄闇に包まれた公園に、ぽつぽつと白い外灯がともり始めていた。


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