9.オーウェンが語る事件の真相
再度の出廷を命じられたベアトリスは、罪状が読み上げられるのを呆然と聞いていた。
「よって、ベアトリス・スノーには死刑を言い渡す」
何ですって!あれからまだ一週間よ?
たらりと汗が一筋流れた。
「お待ちください!娘にありもしない罪を着せようと仰るのか?」
「スノー公爵!ベアトリス嬢が罪を犯した以上、貴殿も無罪とはいかない。罪状が決まるまでは牢で大人しくしていてもらおう」
「お父様!」
そのまま二人は牢へと連れて行かれた。
王は内心でほくそ笑んだ。潰せなかった大諸侯のうちの一人を、やっと葬れる。これほど簡単だとは。これまで何を恐れていたのか。既に裏で手を回し、スノー公爵に協力しようという輩はいない。こちらにはカミラ嬢の父キャンベル伯爵がついている。それだけでもスノー公爵が持つ兵力を上回る。それに将来の王太子を殺したのだ。大義名分もしっかりとある。完璧だ!
地下は暗く、酸素が薄い気がした。おまけにかび臭く空気がどんよりと滞っている。石造りの壁は冷たいし、固いベッドは屋敷のそれとは全く違う。
噓でしょ?こんな所で過ごせって言うの?もしこのまま処刑されたら、末代まで呪ってやる!
ベアトリスが憎々し気に唇を噛んだ時、騎士を下がらせたレオが顔を出した。優雅に椅子に座って牢の中にいるベアトリスに微笑む。
「やあ。ベアトリス嬢!ついに処刑判決が下ってしまったね。しかし、こんなことになっても顔一つ見せないとは、オーウェンも薄情な奴だ。まあ当たり前か。助けに来たら彼まで捕まってしまうからね。見捨てられたわけだ」
蝋燭の灯りが、顔を歪めて笑うレオを映す。
「だから義兄の私に頼めばいいと言ってあげたのに。馬鹿だね、君は。今更君を助けることはできないよ?」
「誰があなたに助けてって言ったのよ?王太子になったのに、いつまで七歳も下の弟にコンプレックスを抱いている気?」
どこからか吹いた風が蝋燭を揺らし、一瞬レオの顔がぐにゃりとして見えた。
「…誰がコンプレックスを抱いているって?」
「あなたよ。だからトロイを差し向けたのでしょう?劣等感を抱かせて自発性を奪い、オーウェンはまんまと操り人形になった。見事に計画通りだったわね。――私が現れるまではね」
挑発するように上目遣いで見やると、レオは下を向いて笑い出した。
「くっははは。ベアトリス嬢。…確かに君は邪魔だ。今までのオーウェンなら留学なんて決して言い出さなかったよ。一生を僕の奴隷として過ごさせてやるはずだったのに」
「それがあなたの素なのね」
薄笑いを浮かべるレオは悪魔にとりつかれたかのようだ。
「トロイを殺したのもあなたでしょう?」
「まさか!彼は僕に取り入る為に勝手にオーウェンの情報を横流ししてきたんだよ。よくあるんだ。ほら、僕は王太子だからね。でもオーウェンにバレた事で、もう城にはいられないと悲観してしまったのかな。何も死ぬことはなかったのに。優秀だっただけに残念だ」
罪悪感の欠片もなく辛そうな表情だけ作って見せた。
「それに君は何か勘違いをしているようだけれど、僕にとってオーウェンはただのおもちゃだよ。コンプレックスだなんて勘違いは心外だな。だってそうだろ?僕はオーウェンをいつでも殺せる。今回みたいにね。その僕がオーウェンにコンプレックス?ハハッ。面白いことを言うね」
「見栄を張ったって、自分は騙せないわよ。オーウェンの有能さばかりが目について、自分の無能さに絶望してしまいそうなんでしょう?どす黒い感情で胸がいっぱいになって潰されそうだから、優秀だって自分に言い聞かせているのよね?惨めね」
同情するような声音が余計にレオの胸をざわつかせた。
「違うって言っているだろう。誰が無能だって?無能なのは牢に入れられて何もできないお前と、国にすら居場所を失くしたあいつだろうが!」
無言で見つめてくるベアトリスから逃れるように、背を向けた。
「いいか?もうすぐお前は死ぬ。地位も名誉も財産も全部奪ってやる!いい気味だな。女のくせに出しゃばるからこんなことになるんだ。僕が国王になったらお前みたいに傲慢な女どもの進学を禁止してやる!」
「は?他の人たちは関係ないでしょ!」
「学校なんかで学んだりしたから生意気になるんだ。男と同等にでもなったつもりか?お前たち女は、黙って男に従っていればいいんだよ!」
そう吐き捨て、レオは去って行った。
どんっと力いっぱい壁を殴る。
「もし死んだらあの男だけでも呪い殺してやるわっ!」
赤くなった手の痛みも気にならなかった。
もう何日経ったか分からない。窓のない地下牢は朝と夜の感覚も奪ってしまう。
お腹空いた…。
最近は一日に一つのパンしか出されなくなった。空腹になると弱気になるようだ。
牢の隅で膝に顔を埋める。
指揮官である父ジャックが捕らえられた今、騎士たちだけで領地を守るのは無理がある。
どうしてこんなことに…。ぼんやりとオーウェンの幼い顔が浮かんできた。
そうよ!あいつのせいよ!どこで何やってんのよ!結婚して婿に領地を乗っ取られることはあっても、結婚前に乗っ取られるなんてあり得ないでしょう!次あったら殴ってやるわ!
誰かが地下へと降りてくる音が聞こえ、身構える。
騎士二名が牢の前で立ち止まった。
「ベアトリス・スノー。三日後の処刑を前に、罪人であるお前に会いたいという者がいる」
…誰よ?いや、そんなことより、三日後?あと三日で私は死ぬの?冗談じゃないわ!
後ろ手で両手を縄で括られ、乱暴に連れ出される。
「痛いわ!歩けるから触らないで」
「そうはいかない。お前に拒否権はない」
両側から挟まれ王のいる部屋へと歩かされた。窓の外が真っ暗で、夜だと気づく。辿り着いたのは窓のない応接間。政治において重大な決定をする際に使われる部屋だ。
王を含む諸侯たち十名ほどが長方形の机を取り囲むようにソファに座っていた。全員、神妙な顔をしていて空気が重苦しい。
その後ろ、壁際で余裕の表情で足を組むレオの隣には、心労のせいか痩せて目元が窪んだカミラが人形のように着座している。
「入れ」
騎士に促され中に入ると、用意されていた壁際の椅子に座らされる。続けざまにドアが開いた。
「お父様!イザベラも!」
ジャックとイザベラがベアトリスの横に静かに腰かける。こんな時でも堂々と気品を失わないジャックに感化され、いつもの落ち着きを取り戻した。
「元気そうだな、ベアトリス」
「お父様こそ。お元気そうで安心しましたわ」
痩せた互いを見やりながらも、余裕の挨拶をする。
「イザベラも…。心配していたのよ」
「ご心配なく、お姉様。呪いの言葉を塀の石垣に毎日掘っていました」
淡々と怒る彼女に安心する。いつものイザベラだ。
二人に会えるのもこれが最後かもしれない。顔を見られて良かった。泣いてしまいそうになるのを堪える。
ノックの後にドアが開き、背の高い若い男が一人、顔を出した。部屋に入ってくるなりベアトリスに駆け寄り、抱きついてくる。
「ベアトリス!」
「ちょっと!」
不敬な男に抗議の声を上げるが、手を縛られているので抵抗できない。
「会いたかった!遅くなって、ごめん!もっと早く来たかったのに、準備に手間取って」
「誰よ、あなた?いいから、さっさと退きなさいよ!」
「俺だよ!オーウェン!もう忘れちゃったの?」
ウルッとしているその顔を、まじまじと観察し、あんぐりと口を開けた。
……オーウェンですって?
ベアトリスよりも二十センチほど高い背、大人っぽい整った顔立ち、低い声、頬にかかる少し長めの金髪、肩を掴む大きな手。
これがオーウェン?
記憶の中のオーウェンと全く違う姿に、「嘘よ…」と思わず声が零れた。
「嘘じゃないよ!帰ってきたんだ」
ベアトリスたちの縄をナイフで切り、自由にした。一気に手が軽くなる。
「ああ、縄の跡が…。ごめんね」
オーウェンがベアトリスの右手を取り、頬を付けた。
「何を勝手なことをしているんだ!おい、この男を取り押さえろ!」
叫んだのはレオだ。しかし、締め切られた部屋には騎士はおらず、入ってくる気配もない。
「おい!」
ドアに向かって叫ぶレオを無視してオーウェンが話し始める。
「これより王太子レオと王太子妃カミラの子の死の真相について話をしよう」
オーウェンは低い声でそう告げると、諸侯たちの前に歩みを進めた。ざわっと諸侯たちが顔を見合わせる。
「真相だと?真相はもう法廷で明らかになっている!お前たちが私の子を殺したんだ!」
レオが人差し指をオーウェンに向けた。
「薬で、ですか?」
「ああ、そうだ!」
「オーウェン。私たちはスノー公爵がいなくなった後の国のことを話し合いに集まったのだ。刑も既に確定している。お前がどうしてもレオやカミラ嬢に直接謝罪をしたいというから少しの場を設けたのだぞ?」
「そうですよ、殿下。いや、もう殿下の称号もなくなるでしょう。私の娘の子を殺したんだから!」
カミラの父キャンベル伯爵が王に同意し、オーウェンを睨む。
「いいえ!スノー公爵家は無実です」
「法廷の結果を覆そうと言うのか?馬鹿なことを言うな、オーウェン!私を侮辱する気か?」
怒鳴りつける王を無視し、オーウェンは諸侯の一人に資料を渡した。
「何だ、これは?」
諸侯たちが次々と同じ資料に目を通していく。すぐにその手が止まった。
「大変でした。このデータを集めるの」
オーウェンに資料を渡されると、レオはすぐにそれをパラと捲った。
レオが凍りついたのを確認し、オーウェンが続ける。
「兄上、ご結婚前に海外領に視察に行かれたそうですね?それも結構な大所帯で」
都合が悪いと判断したのか、それとも驚きで声が出せないのかレオは何も言わない。
「…何なの?その紙には何て書いてあるの?」
カミラが死人のような瞳で尋ねると、レオは資料を破り捨てた。
「嘘だ!こんなの」
「嘘ではないです。ともに遠征に行った騎士のフェルを覚えていますか?」
「…いいや、知らないな」
「では同じく騎士のトラヴィスはどうです?」
「騎士の名などいちいち覚えていない!」
ぜいぜいと息を切らせながらオーウェンを睨む。
「そうですか。まあいいでしょう。記憶力の悪い兄上でもさすがに将校であるハディス殿のことはご存知でしょう」
「…………」
「おや、ご存知ない?それはさすがに王太子としてどうなのでしょうね?」
「うるさい!」
カミラがゆっくりとレオの捨てた資料を拾い、大きく目を見開いた。
「…何よ、これ?ねえ、これどういうこと?」
「名を言った彼らは全員、兄上と同じ時期に奥様が懐妊し、その全員の子が残念ながら亡くなりました」
その場の全員が言葉を失う。
「死産は珍しくないですが、あまりにも時期が被り過ぎている。不審に感じた私は、過去に同じ海外領に遠征した人々の子がどうなったのかを調べました。案の定、同じ遠征先から戻ってすぐに懐妊した子どもは流産、死産、または大きくなる前に亡くなっている率が高かった。その子もまた、通常より頭が一回り小さかったそうです」
「……それって」
カミラがだらりと手を下ろし、資料が床にばさりと広がった。
「また現地でも同様の例が見られたと報告がありました。偶然でしょうか?」
オーウェンが諸侯を見渡すと、全員が下を向いて目を合わそうとしない。
「偶然なはずがない!つまり兄上とカミラ嬢の子は薬物ではなく、何らかの病により亡くなったと考えるのが自然です。無罪のスノー公爵家はすぐにでも釈放すべきです!」
オーウェン…。
あんなに頼りなかった後ろ姿が、今やこんなに大きく見える。
「…お前か…お前のせいで」
誰も聞き取れないような小さな呟きがカミラの口から発せられた。
「お前のせいで!ふざけるな!お前が言ったんだろう、ベアトリスのせいだって!知っていて私を騙したのかっ?私の子を返せっ!」
カミラがレオに馬乗りになり、ぎゅうぅと両手で首を絞める。うぅと苦しそうな呻き声がレオから漏れた。
「カミラ!」
止めに入ったのはベアトリスと、カミラの父ャンベル伯爵だ。後ろから羽交い絞めにして、レオから引きはがす。レオはゲホッと何度も咳をし、ひゅううと大きく息を吸った。
「殺してやる!」
「…お前、僕を誰だと思っているんだ?王太子だぞ!」
「うるさい!何が王太子だ!よくもっ」
「落ち着いて、カミラ!こんな男、殺すだけ無駄よ!」
「そうだ!それにこの男は何らかの病気に感染している可能性が高い!近づかない方がいい!」
キャンベル伯爵の言葉を皮切りに、レオの周りに空間ができた。
「おい!僕は正常だ!そんな目で見るな!僕は有能なんだ!そうですよね、父上!」
レオが縋るように右手を伸ばすと、全員が王の方を向いた。王は蒼ざめて視線を彷徨わせている。
「父上!」
「黙れ!役立たずがっ!お前がオーウェンとスノー公爵の仕業だと吹き込んでくれたおかげで恥をかいたわっ!この状況をどうしてくれるっ!」
ヒステリックに叫ぶ王に、レオが唇を震わせる。
「父上…?あなただって名案だと喜んでくれたではないですか?証拠だって」
「そんなことを言った覚えはない!証拠を捏造したのもお前だ!私は彼らが犯人なら捕らえるしかないと判断しただけだ!お前が無能なせいでっ!」
「…そんな」
レオが伸ばしていた手を、ぱたりと床に落とした。もう頼れる人はいないと気づいたのだ。
「大変ですっ!」
ノックもせずに顔を出した騎士に、王が喚く。
「今度は何だ!」
「城が…スノー公爵家の騎士たちに取り囲まれています!」
「何だと?」
ジャックは優雅に足を組んで、状況を楽しんでいた。その姿を視界に入れた王が、再度騎士に叫ぶ。
「騎士を全員集めろ!城の中には一人も入れるな!」
「…それが」
「早く行け!」
「第一騎士団と第二騎士団は出払っており…。その」
「何だと!城から離れるなとあれほど言っただろうがっ!」
「スノー公爵領の騎士が攻め込んできたという情報が入ったのです!大勢が火を持って町から城に近づいてきていたので、慌てて出陣しました」
「もういい!第三騎士団以下で対応しろ!」
「それが……武器庫が…放火され…」
小さな声だった。彼は既に戦況を見切り諦めていた。
その様子に王も、さっきまでの威勢を失くす。
「そんな…」と力なく呟いたきり、命じるのを止めた。
「おやおや、どうされたのです?陛下ともあろうお方が、そんな情けない顔を臣下に晒して。早く指示を出してあげなければ」
ジャックの声に王が震える。
「……スノー卿。此度の事は完全に我々の間違いであったことを認める。だから兵を収めてもらえないだろうか。この通りだ」
頭を垂れた王に、ジャックが笑いかける。
「それは今からの話し合い次第でしょうね。つまりあなた次第ですよ、国王陛下」
笑みを濃くしたジャックがどこからか契約書を出し、王に差し出した。
「私も武力行使はあまり好きではない。これにサインを」
王はすんなりとサインをした。諸侯たちはそれを見守るしかない。これは不当な処分への当然の抗議だ。この状況では彼らも何も言えないということをジャックは理解していた。
諸侯たち全員の理解を得たうえで、王家の領土の半分がスノー公爵領となり、王太子の座がレオからオーウェンに移った。自分の地位を守る為にレオを完全に捨てたのだ。レオは塔に監禁されることとなった。
それに伴い、今までレオのものだった公爵領がオーウェンのものとなる。その他、多額の賠償金を含め、あり得ない条件でも王家は吞むしかなかった。もう内容が頭に入っていなかったのかもしれない。
「命拾いしましたね」
ジャックが王のすぐ背後から耳打ちすると、王は恐怖で膝から崩れ落ちた。




