8.ベアトリスの過去と醜い嫉妬
与えられた部屋は窓がなく閉塞感がすごい。
イザベラは大丈夫かしら?気丈な子ではあるけれど心配だわ。お父様を待つしかないわね。
理屈が通らないなら武力行使しかない。
しかしもし勝利しても、不当な武力行使とみなされるだろう。それは他の貴族たちにスノー家への侵攻理由を与えてしまうに等しい。できれば避けたい最終手段だ。
どうしてこんなことに…。
ベアトリスは足を組んで、ソファに凭れた。
侮っていたわ、嫉妬の醜さを。
レオの抱える黒い感情には身に覚えがあった。
☆
十一歳で入学した王立学校での話。
国内唯一の共学校だったが、女子は一割にも満たなかった。学校は男の行く場所で、女は家で学ぶものという風潮があるからだ。何度馬鹿にされたか分からない。
「何しに来たんだ?女が学んだって意味ないだろう。結局男が領主になるのに。女は家にいるもんだ」
「そもそもここは国一のエリート校だぞ。女が受かるわけない。金の力で入学したんだろ」
入学時はずっと男どもの蔑んだ視線や言葉に苦しんだ。悔しかった。
合格できたのは必死で勉強したからだし、婿がいようがいまいが私が家をしっかり管理してみせる!能力でならアンタたちにだって負けてない!
毎日深夜まで勉強に励み、成績も一位か二位しかとったことがない。それでも認められることはなかった。――女というだけで。
「あんなガリ勉のところへ婿にいく男の顔が見て見たいぜ」
「女のくせに気強すぎ。必死になって勉強して馬鹿みたいだ」
うるさい!
勉強して成績上位に入れば二年次からエリートクラスに入れる。そこに選ばれれば、こんなクラスともおさらばできる。
成績表が張り出されたある日、ある男がベアトリスに声を掛けてきた。
「ベアトリス嬢。成績一位だって?すごいじゃないか!」
「ありがとう」
「僕は二位だったよ。次は君に勝てるよう頑張る」
笑顔の眩しい彼は、ベアトリスといつも成績一位の座を競い合っているポール公爵家の息子ユーゴだった。
クラスメイトが彼に話しかける。
「ユーゴ、すごいじゃないか!僕も見習わないとな」
「君の努力が報われて嬉しいよ」
「ありがとう、皆。でも一番すごいのはベアトリス嬢だ!」
彼がそう言うと、しんと空気が冷たくなり、視線が突き刺さった。
「たった五点差だろ!それに彼女のは実力かどうか怪しい。点数を金で買ってるって噂だぜ」
「俺は女だから先生が点数を甘くつけてるんじゃないかって聞いた」
ユーゴが男たちを宥める。
「そんなことないさ!彼女の実力だ。男や女なんて関係ない。僕たちは対等なんだから。な、ベアトリス嬢」
満面の笑みを向けてきたユーゴに、どろっとした感情が溜まる。
対等…?対等ですって?女というだけで見下される私と、男というだけで褒めそやされているお前が?
「ベアトリス嬢?」
何も言わないベアトリスを不審に思い、声をかけると、彼女はさっと背を向けた。
「次の授業があるから。失礼」
その後ろ姿に男たちの野次が飛ぶ。
「ほらな。本当だから何も言えないんだろう」
「とっとと止めちまえ!」
クソどもがっ!胸に渦巻く不快感は吐き出されることはなく、大きくなり続けた。
一年終了間際、ついにエリートクラスに選ばれた者が発表される時がきた。
ずっとこの時の為に頑張ったんだから、大丈夫。年間通して成績一位だったのは私なんだから。
ベアトリスは信じていた。
「エリートクラスに移動するのは、ユーゴ・ポール」
「え…僕が?」
先生の声が遠くで聞こえた。
どうして?というベアトリスを代弁したのは皮肉にもユーゴだった。
「先生。僕よりもベアトリス嬢の方が、成績が上だったかと」
「ああ。成績だけならそうだが、エリートには人間性も必要だ。様々なことを加味した結果、今回はユーゴ。君に決まった」
クラスの男子が騒ぎ出す。大半はベアトリスを揶揄したものだった。
「当然だ!ユーゴ以外いないって」
「まさか自分が選ばれるなんて思ってなかっただろうな?」
「女が選ばれるわけがないだろう!だから言ったんだよ、無駄な努力すんなってな」
唇をこれでもかと噛んで涙を堪える。
寮に戻ろうと庭を歩いていると、後ろから呼び止められた。
「ベアトリス嬢!」
ユーゴだった。十メートル先から走ってくる。一番顔を見たくない相手だ。体を横に向けたまま、視線を逸らす。
「何か用?」
「良かった、会えて!その、お礼が言いたくて」
「…は?」
予想外の言葉に思わず顔を見てしまう。
「ベアトリス嬢がいなかったら、僕はこんなにいい成績取れてなかったと思う。ライバルがいるって思ったから頑張れたんだ。本当にありがとう!」
無邪気に笑う目の前の男を、殺してやりたくなった。クラスの男子は全員嫌いだが、お前が一番嫌いだ!
「どういたしまして。おめでとう、良かったわね」
そう微笑むと、ユーゴはぱぁと顔を明るくした。
ベアトリスが次の言葉を放つまでは。
「…なんて、言うと思う?ふざけんじゃないわよ、この無神経男!私たちが対等ですって?対等の結果、最終的に選ばれたのはアンタだって?そんな訳ないでしょ!女って言うだけで蔑まれて悪口言われまくって、能無しって決めつけられて!こっちがどんだけ努力して一位になったって全然認められない!そりゃあんたはいいわよね、男っていうだけで二位でもすごいって褒められて!」
ユーゴは驚いた顔をしている。そりゃあそうだろう。内容もさることながら、ベアトリスは感情を抑えきれずボロボロ泣きながら叫んでいるのだから。我ながら、なんてみっともない。だけど言葉も涙も止められなかった。
「人間性が足りない?私だって男だったらアンタみたいに能天気に笑って、周りとも上手くやれていたわよ!女っていうだけで侮辱されて無視されて、会話も碌にできないのにどうやって人間性を発揮するのよ!いい?私たちは全然対等なんかじゃないわ!そういう不平等の甘い汁を一番すすっているアンタが、二度と対等なんて口にするんじゃないわよ!分かったら、今後一切話しかけないでよね!」
それだけ言うと、爆速で走り去った。
あの時のあの男に対する感情こそ嫉妬なのだろう。自分ではコントロールができないほどの強い感情だった。
しかし、この時に感情を爆発できたおかげで、気づけたことがある。
それは、ベアトリスに比べ、他の男たちが平凡だったことである。つまり彼らもまたベアトリスに嫉妬していたのだ。
彼らも女に負けて恥ずかしかったのだろう。有能な女の敵は、無能な男だと思い知った。
それに気づいた時の可笑しさときたら。
そうよ、ユーゴですら所詮は二位の男。一位はこのベアトリス様なんだから、何も気にすることなんてなかったのよ!
この気づきを境に、肩の力が完全に抜けたベアトリスは男たちの暴言が気にならなくなった。いつもの陰口が始まった時に、立ち上がって誰にともなく叫ぶ。
「負け犬ほどよく吠えるって言うわよね?せめて黙っていればそれ以上の恥をかかずに済むのにね!」
ベアトリスはにっこりと微笑み、静まり返った教室をゆっくりと後にした。
その後、学校側にそれまでの侮辱に関する報告書を提出し、彼らは一カ月の奉仕活動を命じられた。
以上、回想終わり。
若かったわね、私。
でもこの経験があったからこそ嫉妬の恐さがわかる。
ユーゴもエリートクラスに編入したけど、誰かに嵌められて結局普通クラスに落とされた。ユーゴに嫉妬したのは、ベアトリスだけではなかったのだ。
人を嵌める前に気づけて良かったわ。誰かを殺すほど嫉妬心を抱くのは、きっと苦しいでしょうね。可哀そうにね。
全てを手にしたような顔をしている王太子の満ち足りない内面に同情した。




