7.仕組まれた罠
オーウェンが留学してから二年が経とうとしている。妹のイザベラは花嫁修業として王家でメイドの仕事をすることになった。
「イザベラもオーウェンちゃんも元気かしらね。特にイザベラ。あの子にメイドの見習いなんてできるのかしら」
「イザベラは愛想こそないですが、器用なので心配ないですよ」
母アイリスとのティータイムはいつもこの話題になる。
「あなたたちの結婚式の準備もしないといけないわね。ドレスはもう頼んであるけど」
「まあ、オーウェンが本当に帰ってくるのか分かりませんけどね」
「あら。来るわよ。不安になることないわ」
「不安になどなっていません!」
クスクス笑うアイリスに、不機嫌そうに眉を顰める。
「そろそろレオ様とカミラ様のお子様が生まれる頃ね。早いわねぇ」
「そうですね。そうなれば王都も盛り上がるでしょうね」
レオは結婚前、半年に渡る海外領の視察に行っていた。軍事や政治にも積極的に参加し、国民の人気も高まっている。
「オーウェンちゃんはそれまでに帰ってこられるかしら?オーウェンちゃんが帰ってくればあなたの仕事も楽になるのにね」
「大したことないです。このくらい私一人で十分です」
先程まで、ベアトリスは報告書に偽りがないか、書斎で過去の資料と照らし合わせ確認作業をしていた。ジャックに任される仕事も増えてきている。とはいえ、それもオーウェンが婿にくれば、オーウェンに託されるだろう。
ベアトリスは後継ぎとはいえ、女だ。あくまで婿を取る前提での後継ぎで、もし父ジャックがいなくなれば、オーウェンがスノー公爵家の「顔」として認識される。
だからこそ無能な相手が良かった。相手が無能ならば例え「顔」が自分じゃなくても成果は全て自分のものだと実感できると思ったから。
ほんと小さいわね、私。
フフッと昔の自分を嗤い、紅茶を飲んだ途端、ノックと同時に扉が開いた。
「入るぞ」
ジャックの声に少しの緊迫感を感じ取り、背筋を伸ばす。アイリスも何事かと腰を浮かせた。
「どうされたの、お父様」
「カミラ王太子妃が出産された」
「まあ、おめでとうございます!」
二人で喜んだのも束の間、ジャックが恐い顔つきでベアトリスを見た。
「すぐに亡くなってしまったそうだ。しかも赤子の頭部が信じられない程に小さかったらしい」
「えっ…」
それ以上、言葉を紡げなかった。
アイリスも口を押さえたまま、動けずにいる。
「…もしかすると出廷を求められるかもしれない」
「は?なぜです?」
立ち上がって、ある可能性に気づく。
「まさか。…毒?」
ジャックと目が合う。そうだ、と目が言っていた。
「…そんな。まさか!」
「だが、可能性はある」
冷やりと背筋が凍った。
王家での流産、死産、夭逝は、毒物が原因ではないかと実しやかに囁かれている。それに加えて奇形児となれば、騒ぎになるのも当然だった。
「毒だったとして、証明などできないでしょう?出廷だなんて!」
「証明ができないからこそだ。適当な薬を持ち出されたら、こちらも反証できない。妊婦に飲んでみろとは言えんからな」
「そんな…。死産なんて珍しくないです!それに、そもそもどうして私なのです?」
「勿論、お前だけじゃない。王位継承に関わる全ての人間に疑いが掛かっている。意味が分かるな?」
王位はそのうち現王からレオに移るだろう。もし、そのレオに子ができなかった場合、いずれベアトリスとオーウェンの子が王位を継ぐ可能性が高い。
「…そんな」
ベアトリスは口元を押さえた。
「毒じゃなくても、これを機に王家が我々を嵌めてくる可能性もある」
ジャックが危惧しているのは、むしろそちらだった。イザベラが王家で働いているのも都合が悪い。
「待って!お父様。私たちはまだ結婚すらしていないのよ?」
「ああ。だからまだ反論の余地はある。しかし、出廷を視野に入れ、対策を考えろ」
ジャックの読み通り、ベアトリスは王立裁判所に出廷を命じられた。裁判官は王や、王の息のかかった役人たち。完全に不利だった。
「ベアトリス・スノー。レオ王太子殿下とカミラ王太子妃のお子が亡くなったことは知っているだろう。しかもその子は普通の状態ではなかった。お前はカミラの妊娠中に、何度か王城を訪れているな?」
「ええ。カミラ妃殿下の話し相手にと、呼ばれましたので」
「つまり、毒を入れる機会はあった」
「いいえ。私は彼女の飲み物や食べ物に一切触れておりません。全て彼女の侍女たちがサーブしていました」
「しかし隙を見て入れることもできる。もしくはお前の妹イザベラが混入させたか」
「大勢の目をかいくぐる必要があり、私には難しいです。それにイザベラが王太子妃付きの侍女ではないことはご存知のはずです」
あくまで堂々と主張を続ける。あの時は私をはじめ複数の令嬢がいた。その分、侍女の数も多かったはず。毒を入れられたとすれば侍女たちか?
「スノー公爵領では毒草を育てているな?」
「私どもの領地で育てているのは毒草ではなく薬草です」
「しかし、使い方ひとつで毒になるではないか」
「薬草に関しては厳しく管理しています。スノー家の人間でも簡単に持ち出しはできません」
その後も質問は続き、全てに真摯に答えた。終わる頃にはさすがのベアトリスも疲弊していた。
審判の結果が出るまで数日間、ベアトリスは王城にてを言い渡される。イザベラも同様に隔離された。左右を騎士に囲まれ、まるで犯罪者になった気分だ。
回廊と歩いていると、カミラがすごい形相で走って来て、ベアトリスの頬を打った。
「アンタでしょう?この悪魔!ふざけるな!私の子を返せ!」
ベアトリスは頬を押さえながら、抗議する。
「何するのよ!私がそんなことするはずないでしょう?」
「嘘つけ!本当は王太子妃の座を狙っていたんでしょう?だから殺したんだ!」
「思いあがらないで!いらないわよ、そんな地位!」
「返せぇ!返してよ、私の子!」
掴み合いになる前に、騎士が二人を離す。カミラはベアトリスを睨みつけながら泣いていた。
カミラ…。
傲慢で気位の高いカミラがこんな姿を見せるなんて。
ベアトリスは彼女を落ち着かせようとゆっくりと言葉を発した。
「…落ち着いて。私じゃないわ。そもそも私に毒を入れる機会がなかったのはあなたも知っているでしょう。身近な人でないと難しいわ」
カミラはごしっと強く涙を拭い、ベアトリスを睨み続けた。
「冷静な状態ではないわ。侍女を呼んできてちょうだい」
騎士に命じると、二人は顔を見合わせ、そのうちの一人がすぐに走り出した。彼が連れてきた侍女とともにカミラは部屋へと連れ戻された。
「絶対許さないから!」
彼女の言葉を背に受け、歩き出す。城内へ入り、廊下を進む間も脳は忙しなく動いた。
国王はスノー公爵家との結びつきを喜んでいた。自発的に嵌めるような真似はしないはずだ。それにカミラのあの態度。まるで私が犯人だと確信しているようだった。
王を唆し、カミラに嘘を信じ込ませることができ、ベアトリスを排除する必要がある人物――それは、目の前のこの男しかいない。
ベアトリスは、廊下の端に立つレオと視線を絡ませた。ゆっくりと廊下を歩き、お互いに近づく。
「やあベアトリス嬢。こんなことになって残念だ。まさか君が容疑者の一人になるなんて」
「私も驚いているけれど、義兄になるレオ殿下の為なら喜んで捜査に協力するわ。この度はご愁傷様でした」
「そうだね。今回は残念だったけど、また何人だって産ませればいいから。その為にも犯人を今捕まえておかないとね」
カミラがあんなに取り乱しているっていうのに、この男は…!また産ませればいいですって?
「カミラが、君が犯人だと言うんだよ。何か知っているなら法廷できちんと告白して欲しい。君の良心に期待しているよ。そうすれば君も救われるはずだ」
つまり、自白すれば処刑は免れるということ。どうあっても私を犯人に仕立て上げたいようね。
「残念ながら、私には心当たりがさっぱり。当然ですわ。私は犯人ではないんですもの。カミラ様はお子を亡くしたばかりで、冷静な判断ができる状態ではないのでしょう。しかし、優秀なレオ様なら真実が見えているはずですわ」
「優秀な」の部分を強調したことで、レオの顔から笑みがすっと消えた。しかし、すぐに元に戻る。
「ベアトリス嬢。私は君を義妹として大切に思っている。力になれることがあればいつでも言ってくれ。私は何だってしてみせるよ。妹のイザベラ嬢のことも心配だろう。ではこれで失礼」
横を通り過ぎてくレオを横目で追う。
オーウェンから寝返るなら釈放するって?舐められたものね。
レオは笑いをかみ殺すに必死だった。
「国の英知」とも呼ばれる博学者ロベールに相談した甲斐があったな。確かにこの方法なら幾らでも罪を着せることができる。
白髪に長い白髭、何層も皺の刻まれた赤褐色の肌に、鋭い目を悟られぬよう穏やかに下げた目尻を思い浮かべる。
ロベール。なんて恐い男だ。
クックッと喉元で笑う。
あー、もし留学から帰ってきて自分の婚約者が処刑になると聞かされたら、あいつは一体どんな顔をするだろう。こんなに愉快なことはないな。
何もできず、ただ絶望の中で彼女の最後を見届けた後は、お前を処刑してやるよ!オーウェン!




