41.不穏な気配
「どうしたんです、オーウェン様。そんなにご機嫌で」
「別に」
誤魔化しても隠しきれない嬉しさが滲み出ているが、ステンはそれ以上尋ねることなく報告をした。降り始めた雨で、書斎の窓に水滴がついている。
「サイファ国の鉄の輸入量が増し、武器職人のギルドでは新規受注を控えだしました」
「サイファ国か」
オーウェンの目が鋭く光る。
「ええ。こちらも万全の態勢を整えたいところですが、いかんせんまだ軍の統一が難しい状況です」
「合同訓練を始めたばかりだからな。国の統一に納得いっていない者もいるだろう。上手く間に入ってくれ」
「はい」
スノー家の騎士たちも軍事訓練に参加しているが、色々あったせいでポール公爵家の騎士たちとは仲がよろしくない。
「ポール公爵家とキャンベル伯爵家の動向にも注視しろ。ここで裏切られたら全てが水の泡になる」
忌々しいユーゴの顔が脳裏をよぎり、手元にあった紙をクシャリと握りつぶした。
この戦争に勝てるか否かは四家がどれだけ一つになれるかに掛かっている。一つでも裏切れば負ける。
いまだに関税の撤廃や領地の在り方、公共事業の実施方法など諸問題に折り合いがつかず、不安定な状態だ。
きっとロベールも国の統一が進む前にケリを付けようとするはず。
時間がない。間に合うか?
いや、間に合わせる!
「今度こそ絶対に潰す」
オーウェンは囚人が捕らえられている塔へと向かった。ステンが後ろに続く。
周りを高い塀で囲まれた石造りの円柱形の塔で、この塔に入れられるということは「死刑」を意味していた。
かび臭く薄暗い塔の中は、足音が反響する。オーウェンたちを見るなり、囚人たちが鉄格子越しに無実を訴え始めた。
一際、大きな声が耳に届く。
「おい!その胸につけている紋章、お前王族だろう?」
視線だけを相手にくれてやると、首に巻きついた蛇のタトゥーと目が合った。シャーッとこちらを威嚇している。
男は鉄格子に両手をかけ、「おーい」とこちらを呼んでいる。
「無礼だぞ」
制止するステンの睨みにも動じず、尊大な態度で中指を立てた。
無視して通り過ぎようとしたところ、また横から違う声がする。
「出せ!出せ!出せ!出せ!」
がさついた声が耳障りだ。殺人犯、放火犯、強盗犯、人身売買犯。碌な人間がいない。口々に騒ぎ立てるのを無視して、目的の人物の牢の前までやってきた。
「ウノ。気分はどうだ?」
呼び掛ける前にウノは顔をこちらに向けていた。足音で誰か気づいていたのだろう。
「いいわけないでしょ。夜なんて寝れたもんじゃないし。何か用?何回来てもロベールについて知っている事なんてないよ」
「サイファ国についてはどうだ?」
「サイファ国?さあ、知らないね」
ウノは一瞬、眉根を寄せた。
隣国ではあるが、国の規模が同じくらいで、岩塩が取れる有名な地域があるというくらいの認識しかない。
「ロベールが次に目を付けたのがサイファ国だ」
「あのおっさんも懲りないな」
ハッと鼻で笑い、心底嫌そうに顔を歪めた。どうやらロベールによる精神支配から完全に脱却できたようだ。
「サイファ国とは戦争になるだろう。これ以上、俺たちのような被害者を出さない為にも、次で確実にとどめを刺す」
朧げにしか見えないはずのオーウェンの瞳に妖光を感じ取り、ウノの体が僅かに震えた。
オーウェンは鉄格子に左の手指を掛ける。
「なあ、ウノ。俺もあいつに長年操られてきた。からくりを知れば何とも愚かで腹立たしい。そう思わないか?何年にも渡って積み上げたものが一瞬で崩壊する怖さ、憤り、虚しさ。俺たちは今それを共有している。死ぬ前に全部話せ。また来る」
それだけ言い残しオーウェンはすぐにウノの視界から消える。気づけばステンの三メートル先を歩いていた。
「またな、ウノ。騎士団の皆も心配していたぞ。飯はちゃんと食えよ」
「うるせーよ」
壁を見つめ始めたウノに苦笑し、駆け足でオーウェンを追った。
☆
「ベアトリス、体は大丈夫?」
「ええ。平気よ」
あらから何度か体を重ねている。ベアトリスはベッドの上でゆっくりと体をオーウェンの方に向けた。オーウェンは裸で寝転がり、肘枕をしてベアトリスを眺めている。もう一方の手でベアトリスの髪を撫でた。
「オーウェン。最近、軍事訓練への参加が多いと聞いたわ」
不安げに目を細めるベアトリスに、柔らかい笑みを向ける。
「心配しないで。あくまで訓練だよ。戦争にならないように外交で何とかすればいいんだから」
「嘘ね」
ベアトリスがオーウェンの頬に右手を当て、そのままゆっくりと上半身を起こした。
「あなた、前線に出ようとしているのではない?死ぬかもしれないと思っているのでしょう」
「どうして…?」
否定とも肯定とも取れるような聞き返し方をしたつもりだったが、ベアトリスにじっと顔を覗き込まれつい逸らしてしまった。
「ほらね。あなた、自分が死んだ後のことを気にしているのでしょう?万が一あなたもお父様もいなくなったら私には後ろ盾がなくなるもの。だから子どもを作ろうとしているのでしょう?」
王家の血を継ぐ者を産めばベアトリスの地位が一時的にでも保証される。
「…………」
オーウェンは俯いた。真っすぐに見つめる彼女と目を合わせると心を読まれてしまいそうだ。
ベアトリスの言う通り、戦争になればあの男は真っ先に俺を殺しにくるだろう。
死後、もしジャックまでいなくなればベアトリスがどんな立場になるか分からない。その立場を絶対のものにしてあげたかった。それが一番の理由ではある。
でもそれだけじゃない。
万が一死ぬとしたら、自分の形跡を少しでも彼女の中に残したかった。俺が死んだ後に、誰かが彼女の隣に立つと想像するだけでおかしくなりそうだ。その方が彼女の為にはいいと分かっているのに…。
こんな醜い感情には気づかれてはいけない。
ごめんね、ベアトリス。
増々下を向いたオーウェンの掌の上に、ベアトリスが自分の手を重ねる。
「大丈夫よ。あなたは無事に帰って来るわ。ステンがついているじゃない。それに私、スノー家の騎士たちの間では勝利の女神と呼ばれていたのよ。オーウェンには私がいるのだから大丈夫に決まっているわ」
「はは。心強いな。……うん。そうだね」
ベアトリスを抱き寄せ、その肩に顔を埋めた。
絶対に生きて帰ってくる。この場所は誰にも渡さない!




