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勝ち気令嬢、年下の第二王子を育て上げます  作者: 松原水仙


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4.崩壊

 城の廊下をザッザッと早足で歩く。ベアトリスの言葉が何度も何度も頭をよぎり、周りのことなど目に入らなかった。


「オーウェン様?」


 不思議そうに名を呟くその声は。


「……トロイか」

「どうされたのです?ベアトリス様のところにいらっしゃったのでは」


 後ろから急いで駆け寄ってくる。


「止めだ。あんな女、顔も見たくない」

「一体何があったのですか?とりあえずお部屋へ戻りましょう」


 いつも通りトロイは優しかった。五歳の時に母が死に、隣で慰めてくれたのもトロイだった。孤独だった王城で、彼だけが唯一、心を許せる人間だった。


「お茶を淹れましたよ」


 好きな茶葉、量、濾す時間、完璧にオーウェンの好みを把握している。


「そうだ、オーウェン様が好きなキウイを切ってきましょう」

「いや、いい」


 立ち上がろうとするトロイを止めた。


「珍しいですね。オーウェン様がそんなに落ち込むなんて。ベアトリス様と何かありましたか?私で良ければ話を聞きます」

「…何もない。自分の無能さに呆れただけだ」


 トロイは目を丸くする。


「無能さ、ですか?」

「ああ。お前も知っているだろう、俺の無能さを」


 トロイはオーウェンの隣に座り込み、その手を握った。


「私はオーウェン様が無能だろうが何だろうが、あなたを尊敬していますし、あなたを愛しています。そんな風に自分を責めないでください」

「…ああ。そうだな」


 何度もその台詞を聞いた。

 するりとトロイに掴まれた手を離す。


「すまないが、今日は一人になりたいんだ。もう出て行ってくれ」


 そのままソファで横になり、絶望に顔を覆った。


 ☆


 次の日、陛下から呼び出しを受けた。


「オーウェン。スノー公爵家から逃げ帰ったというのは本当か?」


 ぎろりと睨まれる。恐かったはずのその顔を見ても何とも思わなかった。


「…本当です」

「お前は本当に何をやっても駄目だな。王家の恥だ。いいか、スノー公爵家は大諸侯の一人だ。婚約破棄でもされてみろ。城から追い出すからな!レオはあんなに優秀に育ったというのに…」


 ため息をついて呆れる陛下を無言でやり過ごす。


「分かったら部屋に戻ってベアトリス嬢へ謝罪の手紙でも書け!」



 戻る途中、トロイを見つけた。

 南棟は王とレオが主に使っているメインの棟だ。オーウェンは北棟で殆どの時間を過ごしている。


 どこへ…?


 人の出入りの少ない奥の部屋へと進んでいく。きょろきょろと後ろを確認する仕草を見せた。思わず飾りの陶器の壺の陰に隠れる。城には二百五十室あり、入り組んだ造りになっていて後を追うには好都合だった。


 トロイが入った部屋のドアに耳を当て、声を拾う。


 この声は、兄上?


 嫌な予感がした。立ち去れと脳が叫ぶのに、同時に知るべきだとも思っている。


「またオーウェンは父から呼び出されていたね」

「ええ。スノー公爵家から逃げ帰って来たと陛下に伝えたので」

「お前のおかげで父もオーウェンの無能ぶりに呆れているよ。いつも本当によくやってくれている」

「有難いお言葉です」

「スノー公爵家は厄介な相手だ。結婚後もオーウェンの見張りをしっかりと頼むぞ」

「もちろんです。レオ様のお役に立てるなら、どんなことでもやってみせます」


 静かにその場を離れる。


 ああ、俺は何て馬鹿なんだ。


「あら、オーウェン殿下?どうされたのです、こんな所で」


 不意に使用人に声を掛けられ、驚いて振り返った。


 ああ、終わった。


 きっとこの声は部屋の中まで届いているだろう。「何でもない」と残し、急いで廊下を歩く。南棟と北棟を繋ぐ回廊までやってきた。風が吹き抜ける。


「オーウェン様!」


 トロイだ。案の定、声は聞こえていたようだ。


「お待ちください、オーウェン様」


 外の明るさのせいで、影がより濃くなる。光が当たっているのは足元だけだ。


「先程のお話、聞いていらっしゃいましたよね?」

「…聞いていたら、何だ?」


 何の感情も見せず、トロイと視線を絡ませる。


「あれは、違うのです!レオ様にオーウェン様が目を付けられないよう、上手く間に入ろうとしたのです!断じてあなたを裏切っていたわけでは」

「そうか。随分と親し気だったが?」

「違います!私があなたを裏切るわけがない!信じてください!」

「でも俺を無能に仕立て上げた」


 試すように、下からじっと覗き込んだ。それをトロイはしっかりと受け止める。


「それは…。あなたの為だったのです!有能だとレオ様に排除されてしまう…。分かってください。この方法しかなかった…。レオ様は恐ろしい方なのです」


 切実な声で訴えるトロイに、オーウェンは顔を緩ませる。


「俺の為、か。そうだよな。お前はいつも俺の為に動いてくれているもんな」

「そうです!私は小さい頃から、オーウェン様の為だけに生きてきました。第二王子が王太子に暗殺されるという話はよくあります。私はあなたの身をどうしても守りたかった!私にとってあなたがどれだけ大切か」


 約十年、オーウェンとトロイは同じ時間を過ごしてきた。


「オーウェン様。正直、私はオーウェン様がベアトリス様のお屋敷へ行くことに反対でした。ベアトリス様に何か吹き込まれたのではないですか?」

「ベアトリスに?」

「ええ。ベアトリス様はオーウェン様を孤立させて取り込もうとしているのです。スノー公爵家は王家の土地を不当に奪った敵ですよ。どうぞ他家の者に心をお許しになりませんよう」

「…俺が他人に心を許すなどあり得ない」

「それを聞いて安心しました。オーウェン様。私は常にあなたの味方です。どうかこの先も一緒にいさせてください。あなたをこの城で一人にしたくないのです」

「トロイ…」


 フッと笑ったオーウェンに、トロイの緊張も解ける。


 オーウェンは顔を両手で隠して笑い出した。その声が大きくなる。


「フハハハハハハハハッ!」


 初めて見る笑い方に、オーウェンに手を伸ばそうとしたトロイの動きが止まった。


「オーウェン様…?」

「あー、可笑しいな、トロイ。ハハッ。俺の間抜けさも、お前のクズさもなっ!」


 それだけ言うとくるりとトロイに背を向け、北棟へ歩き出した。



 ――クソがっ!



 湧き上がる激情が体中で暴れ回る。




『それから、――本当にあなたを大切に思っているのなら、知恵をつけさせた上で馬鹿の振りをさせるはずよ』



 馬車に乗り込んだ時に聞いたベアトリスの言葉が何度も胸に刺さった。


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