38.ジャックの反対
「駄目だ!」
凄味のある声でジャックがステンを睨みつける。びりびりした空気が書斎に流れた。ソファに座ったジャックにイザベラが詰め寄る。
「お願いよ、お父様!ステンを愛しているの!」
「駄目だ!何度も言わせるな。チャールズ様にはお前の体調が崩れたと伝えてある。数日頭を冷やしてから向こうへ行け」
「嫌よ!他の人と結婚なんてできないわ。私はステンと結婚するの!」
目の前で繰り広げられる親子喧嘩にステンのどっしりとした声が割って入った。跪いてジャックに頭を垂れる。
「申し訳ございません、ジャック様。イザベラ様に恋愛感情を持つなど…。騎士として失格です。どんな罰でもお受けします」
「騎士の精神があるのならばイザベラに手を出したりはしない!お前は団長だろう?クビだ!出ていけ」
「ステンが出ていくなら、私も家を出るわ!」
「そんなことが許されると思うか?薬まで勝手に持ち出しておいて!」
激しいやり取りに、ドアの向こうで耳を当て聞いていたベアトリスは慌てる。
「どういうこと?イザベラってステンが好きだったの?チャールズ様は?」
「…気づいていなかったのはベアトリスくらいだよ」
オーウェンが呆れる。
「そんなことより、このままでは二人で家を出てしまいそうだ」
中では口論が続いている。
ベアトリスたちの後ろにいる他の騎士団の面々も、困ったことになったと頭を抱える。
「まさかステン団長がねぇ」
滅多なことで表情を崩さないロジャーも腕を組んで「うーん」と思案顔になっている。緩い三つ編みが今にも解けそうだ。
「クビは当然だ。第一騎士団の団長ともあろう人間が自分を律することもできないとは」
ラースが眉根を寄せる。騎士に許されるのは相手を想うことまで。領主の娘と深い仲になることなど決して許されるべきではない。
「こんな時に色恋の話かよ」
「こればかりはなぁ。しかし相手がイザベラ様とは。他の騎士への影響もすごいだろうな」
マットとエイジが壁に凭れて、同時にため息を吐いた。
部屋の中では激しい言い合いが絶えず聞こえてくる。
「あー、もう聞いていられないわ!」
ベアトリスが我慢できずにノックして返事も待たず室内へ飛び込んだ。ぎょっとした他の面々が後を追う。
「お父様!イザベラとステンの結婚を許してあげて」
「ベアトリス。誰が入っていいと言った?」
ジャックの威圧感に体が凍りそうになるが、イザベラの隣に歩み寄る。
「イザベラがこんな風に我儘を言うなんて、今までなかったわ。それだけステンのことが好きなのよ!」
「だから何だ?チャールズ様の家は貿易業でのし上がった富豪だ。どちらが家の為になるかは明らかだろう」
「イザベラの幸せが一番だわ!」
「ベアトリス。いつからそんなに甘いことを言うようになった?一介の元騎士と結婚して何になる?庶民だぞ?イザベラが苦労するのが目に見えている」
イザベラがステンの左腕にギュウッと抱きつき、吠える。
「苦労したっていいわ!ステンと一緒にいられるなら他はいらないの」
「お前はまだ子どもだ!二十年後、三十年後を想像してみろ。ステンの方が早く死ぬ。家を出て庶民になったお前がどうやって一人で生きていく?」
睨み合う親子の様子に、ステンが真剣な顔で答えた。
「ジャック様。私は確かに庶民です。イザベラ様と不釣り合いであることは承知しています。しかし、俺が死んだ後もイザベラ様が困らないくらいの生活費は必ず用意します。不自由しない暮らしはお約束します。その為なら何でもやります!どうかイザベラ様との結婚を認めて頂けないでしょうか」
「話にならん!何をしている。全員持ち場に戻れ!」
ジャックはギロッと騎士たちに視線を送り、部屋を出て行った。勢いよく閉められたドアに怒りが現れている。
静まり返った空気の中、ステンがイザベラと向き合った。
「すみません、イザベラ様。俺が貴族ならこんなに反対されることもなかったのに」
「止めて!私は嬉しいんだから。お父様が認めてくれなくてもステンがいてくれるだけでいいの」
イザベラがステンの腕に顔を寄せる。二人の気持ちは場にいる全員に伝わっている。しかし立場を考えれば複雑で、騎士たちは困惑の表情を浮かべ沈黙したままだ。
オーウェンはジャックの気持ちも理解できた。
大金持ちで将来有望な貴族の後継ぎ息子と、三十代の騎士。そりゃあ娘には前者に嫁がせてやりたいよな。
でもイザベラが幸せになれるのは…。
「ステン。俺の元で働かないか?」
オーウェンに全員の視線が集中した。ステンは意外な言葉に目を丸くしている。
「ここをクビになったんだからいいだろ。信頼できる人間が欲しかったんだ」
「オーウェン…」
イザベラが泣き出しそうな顔でオーウェンを見上げる。ステンが首を軽く振った。
「有難いお言葉ですが、そんなことをしたらジャック様の反感を買うでしょう。お気持ちだけいただきます」
「別にいいさ。メリットの方が大きいからな。ステンならば絶対に裏切らないだろう?そういう人間が欲しかったんだ。まあ考えておいてくれ」
暫くこの話は保留になり、ステンはジャックから謹慎を言い渡された。
「オーウェン、ありがとう」
夜、オーウェンが廊下を歩いていると、イザベラが廊下の壁に寄りかかるように待っていた。
「ベアトリスを説得してくれたのはイザベラだろ?そのお礼だよ。俺が声をかけなくてもステンほどの腕前なら引く手数多だろうけどね」
今までの稼ぎも相当なものだったはず。比べるチャールズが完璧すぎるだけで、ステンだって優良物件だ。
「でも他の領地に行ったらお姉様たちにはもう会えなくなるわ。だから手を挙げてくれたんでしょう?」
「イザベラがいないとベアトリスが寂しがるから。家出する気満々に見えたし。ベアトリスに似て案外、頑固なんだね」
「家系なのよ」
そっぽを向いたイザベラに、フッとオーウェンが笑う。
「でもステンは君に家出なんてさせないと思うよ。何回でもジャック様を説得にかかるんじゃないかな」
「連れ去ってくれればいいのに」
「はは。大事にする方法は人それぞれ違うから」
「何よ、それ」
「まあ、信じて待ってみなよ」
翌日もステンはジャックに頭を下げに来た。髪を撫でつけ髭を剃ったステンは見た目がぐんと若返っている。
「謹慎の意味も分からなくなったか?」
冷たく突き放されても諦めることはなかった。次の日も、その次の日も、毎日毎日ジャックに頼み込み、五十九回目で漸く許しが出た。
「お父様…」
イザベラが泣き出す。ステンがその肩を引き寄せると、すぐにステンに抱きついた。イザベラの背に手を回しながら、ジャックに宣言する。
「生涯をかけてイザベラ様を幸せにします」
この頃には騎士たちもステンを応援するようになっていた。ジャックがそれを待っていたのかは誰にも分からない。




