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勝ち気令嬢、年下の第二王子を育て上げます  作者: 松原水仙


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37.イザベラの結婚

 朝食を食べにファミリールームに入ると、すでに家族が勢ぞろいしていた。

 ベアトリスにおはようのキスをして席に着く。フルーツの盛り合わせにサラダ、コーンスープ、卵とハムのガレット、ベーコン、温野菜、ヨーグルトがテーブルの上に並んでいる。

 ナプキンを膝にかけるなり、ジャックが低い声音でオーウェンに話しかけた。


「ロベールが逃げたそうだ」

「えっ!」

「ポール公爵家の騎士たちが彼の家に向かったが一足遅かった。作戦の失敗に気づいたんだろうな」

「では、どこへ」

「国外以外ないだろう。厄介なことにならないといいが」


 国外へ逃げられた以上、追うことはできない。あと一歩のところまで追いつめたのに!


 蚤のように宿主を変え生き続けるロベールに、オーウェンは唇を噛む。ジャックも渋い顔をしている。誰も朝食に手をつけず重い空気が流れた。


 それを変えるように明るいベアトリスの声が部屋中に響いた。


「考えても仕方のないことなら、やめましょう!もうすぐイザベラがチャールズ様に嫁ぐのだから」

「そうね!寂しくなるわねぇ」


 アイリスが頬に手を当て、悲し気な表情をすると、イザベラが「大袈裟ね」という風に苦笑した。焼きトマトを飲み込んでから断言する。


「大丈夫よ、お母様。それほど遠くないし。私、絶対に幸せになるから」

「イザベラ…。そうね。あなたが幸せになるなら悲しんでいては駄目ね」


 ベアトリスがガレットを切る手を止める。卵の黄身が流れ出しているのも気にせず、イザベラに視線を送った。


「チャールズ様ならきっと幸せにしてくれるわ。とても素敵な人だったもの」

「ええ。楽しみだわ」


 イザベラは静かに紅茶を流し込んだ。





「じゃあね、イザベラ。体には気を付けるのよ。式には皆で参加するから」

「ええ、お母様。ありがとう!」

「イザベラ。落ち着いたらまた遊びにきてちょうだいね」

「お姉様。必ず行くわ」

「幸せにね」


 家族全員に見送られ、イザベラはチャールズが用意した馬車に乗り込んだ。荷物は馬車一台分という少なさが、イザベラの性格を物語っている。

 空気に温かさが混じり始めた頃だ。日差しが眩しかった。


「それではね」


 微笑むイザベラはあっさりと別れを告げ、旅立っていく。その馬車が列になった騎士たちの間を通り過ぎる。最後の見送りだ。

 その中に誰がいるのかなんて確認することもせず、ただ前を向いて住み慣れた屋敷を後にした。


 馬車が見えなくなるまで見送ったベアトリスたちは少しの切なさを感じながら屋敷へと戻る。騎士たちも同様に列を崩し、騎士棟へと歩いて行った。


「イザベラ様が結婚とはなー。相手が羨ましいぜ」

「バーカ。俺たち騎士なんて相手になるかよ」


 それもそうか、と笑う声が響く。

 ステンが騎士棟に足を踏み入れると、中でエイジがごそごそと棚を漁っていた。動く度に、ぴよんと赤髪が跳ねる。


「あれ?おかしいな」

「どうした?」

「ここに保管してあった惚れ薬がないんだ。ジャック様に頼まれていたのに。おーい、誰か!惚れ薬がどこにあるか知らないか?」

「惚れ薬ならジャック様に頼まれたって言うんで、イザベラ様にお渡ししましたけど」

「何だとっ!」

「え、ステン?どうした…」


 突然、表情を変えて駆け出したステンに、エイジたちは何事かと目を見合わせた。





「~♪~~♪」


 鼻歌を歌いながら窓の景色を眺めるイザベラの表情は安らいでいた。もうすぐ幸せになる自分の生活を想像しては心を躍らせる。

 こんな気持ちになれたのは久々だった。

 そろそろ領地を抜けようかという時、馬車が急に止まった。ぐらっと一瞬、体が揺れ前のめりになる。


 何かしら?


 怒鳴り声が聞こえ、ドアに手を当ててそろっと窓を覗いた。


 何かトラブル?よく見えないわ。


 しばらくの言い争いの後、聞き知った声が耳に届く。


 ステン?


 まさか!と思いつつも、自分が彼の声を聞き間違うはずはない。


「イザベラ様!」


 窓ガラス越しにステンと目が合った。ドクンと胸が鳴る。

 勢いよく開けられたドアの前に、思い人の姿があった。伸びっぱなしの黒髪に、無精ひげ。逞しい体に訓練用の騎士服を纏っている。


「来ないで!」 


 薬を取り返しに来たんだろうということは、すぐに知れた。そうでなければ彼が追いかけてくるはずない。


「お願い。見逃して!お金ならちゃんと返すから」

「いけません!副作用でおかしくなる人もいるんです。こちらに渡してください」

「いやよ!おかしくなったっていいの!帰って!」

「イザベラ様…」


 呆れたようにため息を吐くステンから顔を背ける。


 分かっているわよ、こんな子どもじみた真似。


「イザベラ様。帰りましょう」

「帰らないわ!私はチャールズ様と幸せになるの」

「薬を使ってですか?」


 振り返って見たステンの顰め面に怒りと幻滅が混じっているような気になって、カッとなって言い返す。


「悪い?あなたに関係ないでしょ!薬のことならお父様に直接謝罪するわ。もう放っておいて!」

「放っておけるわけないでしょう!」


 グッと掴まれた腕に意識が集中してしまう。振りほどこうと暴れてもビクともしなかった。


「放してってば!」

「一緒に帰りましょう」


 聞き分けのない子どもに言い聞かせるような声音に、腕を掴まれたまま大人しくなる。


 あなたはいつもそう。残酷なのよ。


 横を向いて泣くのを堪える。

 大事に扱われる度に、彼と私の気持ちが交わることはないのだと思い知らされた。


「帰らないわ。だからもう私に構わないで。私はもうスノー家の人間ではなくなるのだから。あなたに守ってもらう必要なんて、もうないの」

「あなたが誰と結婚しても、私にとってあなたは最優先に守るべき人ですよ」

「余計なお世話よ!さっさと帰って。迷惑だわ」

「この結婚は取りやめてもらいましょう」

「は?何言っているの。私はチャールズ様と結婚するの!チャールズ様を好きになって、チャールズ様と幸せになるわ!」

「そんな幸せ長く続きませんよ。オーウェン様もすぐに正気に戻ったでしょう?」

「うるさい!あなたに関係ないわ!一瞬でもいいの。私だって誰かと両想いになってみたい。愛し愛されるって感覚がどんなものなのか、一度くらい味わってみたいのよ!」


 ついに泣き出した。


 オーウェンに愛されているお姉様が羨ましかった。私だってあんな風に幸せそうに笑ってみたい。


 うっ、うっ、と顔を覆うイザベラに、たまらず馬車に乗り込んだ。乱暴にドアを閉め、驚く彼女を抱きしめる。

 それは子どもにするような優しい抱き方ではなかった。

 イザベラの涙はすっかり引っ込み、ぽかん、と口を開けたまま、体が固まる。声も出せず、ただただ全身でステンの熱を感じて息が止まりそうになった。


「イザベラ様」


 ステンが正面からイザベラを見つめる。熱がこもっているように見えるのは、気のせいだろうか。


「イザベラ様。私はスノー騎士団を辞めます」

「えっ」

「領主の大切なご令嬢に手を出したとあっては、示しがつきませんから」

「…それって」

「ただ、そうなると俺は無職です。三十代、無職で、寝泊まりするだけの狭い家しかありません。このままチャールズ様と結婚すれば地位名誉金贅沢な毎日が手に入る。それを捨ててでもこんな男と添い遂げる気はありますか?」

「私を試しているの?」


 ステンはジッとイザベラを凝視している。


 そんなの…。


「最高だわ!」


 今度はイザベラからステンに抱きついた。初めて見せる笑顔だった。

 ステンはしっかりと抱きとめる。



 ああ、俺もしかしたら、ジャック様に殺されるかもな。


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