33.事件の始まり
――三十五年前。
セージとルナという仲の良い羊飼いの夫婦がいた。植物にも詳しかった二人は、薬を煎じて村人に処方し、それは良く効くと評判だった。
しかし、ある日突然、王命により薬の取り扱いが資格制になった。薬を処方する為には王都で試験を受ける必要があるという。
「王命なら仕方ないな」
「そうね。村の人たちの為にも薬を処方できる人がいた方がいいわ。大丈夫よ。きっと受かるわ」
受験費用もそれなりに掛かった為、セージ一人が受験に挑んだ。周りは苦戦していたが、セージにとっては簡単な問題だった。
当然受かると思っていた。
「不合格?そんな馬鹿な!試験はちゃんと解いたはずだ!」
「薬を扱うには知識だけではいけない。高潔な人格がいるのだ」
試験官にそう吐き捨てられ、門の外へと追いやられた。呆然とその場に座り込む。合格したと喜ぶ男たちの多くが教会の人間だった。
「セージ、落ち込まないで。国なんてそんなものよ。いつだって身分や立場が物を言うの。これからは羊飼いだけで頑張りましょう」
「ああ、そうだな。ルナ。お腹の子もいるしな」
ルナの膨らんだお腹に耳を当てているうちに、自然と心が穏やかになった。
そうだ。ルナとお腹の子がいれば、それでいい。
ある日の深夜。ドンドンドンと扉を叩く音がして、慌てて二人は玄関へと向かった。五歳くらいの子どもを抱いた女性が必死の形相で立っている。
「すみません!子どもが熱を出して、助けてもらえませんか?」
「えっ。薬の処方は資格を持っていないと…。教会で診てもらってください」
「教会の薬は高額でとても…。お願いします!誰にも言いませんから!」
セージとルナは顔を見合わせたが、切羽詰まった母親の様子にたまらず薬を煎じた。
しかし翌日、村人たちが次々と二人の元に押し寄せてきて薬をせがみ始めた。病気による死者が出たことでパニックになったのだ。
「教会に追い返されたんだ!買えない者は来るなって」
「セージさんとルナさんしか頼れる人がいない!お願い!助けてくれ」
人の好い二人は頷き合う。
「困った時は助け合わないとね!人の為にできることがあるなら何だってやりたいわ」
「そうだな。村の人たちにはいつもお世話になっているし、何より命がかかっている」
二人は来た人、全員に薬を渡してやった。
病の流行も落ち着いた頃、王立騎士団がやって来て二人に書状を見せた。
「無許可で薬を販売していると聞いた!違法薬物の販売は大罪である!」
複数人で乱暴に二人を屋外に連れ出し、縄で縛りあげる。両手を縛られ、馬車に乗せられそうになる。
「待ってくれ!彼女は関係ない!俺が一人で作ったんだ」
「違います!私です!私が全部やりました!」
二人の言い分は聞き入れられなかった。無許可で薬を扱う者は全員が「魔女」であるとして教会が迫害したのだ。
裁判でも二人は庇い合った。
「薬を煎じたのは私です!彼は羊飼いの仕事をしていました!その間に私が薬を作ったのです!」
「違う!私が全部作っていた!彼女はこの通り身重なんです!薬を煎じるなんて無理です!あれは力がいるんだ」
裁判は一方的で、二人に言い渡された判決は「死刑」だった。
魔女狩りと称して処刑された人数はこの国だけで四千人にものぼった。
別々の牢に入れられ、その日を待つ。独房でルナのことばかり考えていた。
ある日、セージの牢の前に騎士がやって来て、その扉を開けた。
「私だけ釈放?なぜです?妻は?」
「彼女は罪を自白した。自分は魔女で悪魔と繋がっていると。人の好いお前を利用したのだと」
役人はセージの縄を解き、牢から出した。
「待ってください!嘘です!私が薬を作ったのです!釈放するなら彼女を」
何度訴えても聞く耳を持ってもらえなかった。悪魔と繋がるのは殆どが女性とされていたからだ。
呆然と牢の前を引きずられるように歩いていたが、ぴたと足を止め騎士に掴みかかった。
「おい!彼女はどこだ?彼女は魔女なんかじゃない!誰より優しくていつも人のことばかり気にかけてるような女性なんだ!なぁ、頼む。お腹には子どもだっているんだ!」
騎士が棍棒でセージを殴りつけたが、それでも何度もその足に縋りつく。セージの耳に聞きなれた声が届いた。
「セージさん!やめて!」
「ルナ!」
十名程の女性と一緒に、牢の中で手を縛られた彼女が立っていた。彼女は牢から出られたセージを見てホッとしたように微笑みかけた。そのお腹は以前よりも大きくなっている。
「あなただけでも生きて。人を傷つけてはいけないわ。誰かを憎みながら生きては駄目よ」
いつものように優しい笑みで彼女はそう言った。
複数の騎士が無理やりセージを引きずり歩かせる中、無我夢中で何度も彼女の名前を呼んだ。
その一か月後、ルナは他の女性たちとともに火で炙られた。セージはただただそれを目に焼き付ける。ごおっと燃える炎が天へと舞い上がった。
「見たかい、あのお腹。魔女の子どもが生まれていたらと思うとゾッとするよ」
「ああ。病気の蔓延もあいつらのせいだ!全員死ねばいいのさ」
セージはふらり、ふらりと左右に揺れながらその場を去り、二度と村にも戻ることはなかった。




