30.誘拐
「昨夜は一緒に食事したんだ!寝る前まで確かにいた!」
「落ち着け。闇雲に動いても意味がない。今、目撃者を探させている」
ジャックは椅子に腰かけ、湯気の立ったお茶を飲んでいる。アイリスは静かに泣き、イザベラは先程カップを倒した。ベアトリスが誘拐されたことで二人とも動揺を隠しきれないでいる。
使用人がいつものように朝食を用意し始め、テーブルの上には次々とお皿が置かれていく。食欲をそそる香りすら不快に感じた。
「オーウェン、今のうちに食べておけ」
ジャックに促され、渋々座る。目の前にはパンに卵、サーモンのマリネ、蒸した海老。
情報が入った時に備えて、今はしっかり食事を摂らなければいけない。渋々とフォークでサーモンを刺し、味がしないそれを胃へと流し込む。
ノックもそこそこにステンが顔を出し、ジャックに近寄る。オーウェンは机に手をついて立ち上がった。
「報告します。昨夜、北門を見張っていた騎士二名が不審者を追いかけ、一時的に持ち場を離れたことがあったとのこと。犯人は逃げる時に松明を捨て、暗闇に乗じて逃走。恐らくその時にもう一人の仲間が堂々と門から出たものと思われます。馬車で移動しているようで、不審な馬車の跡をラース率いる第二騎士団が追っています。第三騎士団は聞き込みを、第四騎士団にはマットが中心となりマクレル公爵領を守るよう伝令を送りました。我々、第一騎士団がここを守ります。明らかに騎士団のミスです。申し訳ございません」
「謝罪を聞くのは後だ。犯人が誰であれ、ここに攻め込んでくる可能性も否定できない。守りを固めろ」
「はい!」
ステンはそのまま部屋を出て行った。
犯人もベアトリス様を誘拐してタダで済むとは思っていないだろう。混乱の隙を狙われる可能性は十分にある。
オーウェンは焦る気持ちを抑え、じっと耐えた。手のひらに爪が食い込み白くなっている。
考えろ!
騎士たちが見張りをしているこの屋敷で、部屋から門までどうやって連れ出した?
昨夜、ベアトリスは不自然に早く眠気を催していた。
…何らかの薬の影響だった?
人を眠らせる薬なんて聞いたことがないが、惚れ薬や毒薬を作った人間と同一人物が裏にいるとしたら…?
だとしたら、いつ、どうやって飲ませた?
考えれば考える程に一つの結論に導かれていく。それは――犯人は外部の人間ではない、ということ。
どう考えても外部犯には難しい。
オーウェンは苛つきで顔を顰め、無意識に左手の人差し指で頭を軽く叩く。
誰だ?
犯人は見回りの経路と時間を事前に把握していた。それにここの騎士たちから逃げ切るなんて、余程訓練を受けていないと無理だ。ベアトリスを運ぶ役も同様に腕に自信がないと難しい。
ということは、犯人は騎士だ。
でも駄目だ。それでは容疑者が多すぎる!
考えろ!
俺とベアトリスは昨夜ともに食事をした。ベアトリスだけに睡眠薬を飲ませたならば、皿に薬を盛ったということ。
厨房で作り、小窓に置かれた料理を、厨房の外にいる召使が運ぶ。小窓は人が通り抜けできないサイズなので、顔を見られることなく薬を皿に盛ることは誰にでも可能だ。
皿…?
そうだ、皿だ!
俺の皿は白で、ベアトリスの皿は黒。初見の人間がベアトリスを狙ったのならば白い皿をベアトリスの皿だと思ったはずだ。でも犯人は黒い方がベアトリスだと知っていた…。
なぜなら屋敷で一緒に食事をしたことがあったから…?
オーウェンの首筋を冷汗が流れた。
つまり、犯人はスノー騎士団の団長、副団長を務めるステン・ラース・ロジャー・エイジ・ウノ・マットの六人のうちの誰かだ!
「くそっ!」
誰だ?
いや、そんなことより、ラースとロジャーを行かせて良かったのか?あの二人の内のどちらかという事はないか?攻め込んでくるというのなら屋敷から離れた二人が一番怪しい!
「やっぱり俺もベアトリスを追います!」
「駄目だ!今から行っても間に合わん。将になる人間が軽はずみに動こうとするな」
「でも…!」
ジャックに目で諭され、どかっと音を立てて座った。テーブルの上で両手を組み、顔を覆う。
くそっ!
ベアトリス、どうか無事でいてくれ…。
☆
何も見えないのに光だけ感じる。ベアトリスは目隠しに猿ぐつわをされ、後ろ手に腕を縛られていた。
何よ、これ?
とりあえず寝たふりをしていた方が良さそうだと判断してから、どれくらい時間が経ったのだろう。
「ああ、起きたんだ?寝た振りしても寝息で分かるよ」
その声は!
「んーん?」
「ハハ。何言っているのか聞き取れなかったけど多分正解。そう、僕だよ」
ユーゴの面白そうな声が耳に届く。
「んんんん!んん!」
「ごめんね。もう少しそのままでいてね。俺の領地に着いたら全部外してあげるから」
髪を触られる気配にゾッとする。
俺の領地ですって?つまり今、私はポール公爵領に向かっているということ?
ポール公爵領はベアトリスの屋敷から北東へ二百キロほど進んだ所にある。領地に入ってからでは逃げるのは難しい。今しかない!
「んんー!んんんん!」
全力で馬車の外に向けて叫ぶ。
「無駄だよ。馬車の音で聞こえないよ。君が素直に僕の求婚に応じてくれていれば、こんなことしなくて済んだのに」
耳元で話され、ぞわっと毛が逆立った。
誰か、助けて!
がくん、と馬車が揺れた。落ちそうになるのをユーゴに抱きとめられる。
「おおっと!もう来たか」
ユーゴの立ち上がる気配がし、そのまま座席部分に寝かされた。
「すぐ戻って来るから、そこで大人しく待っていてね。外は危険だから出ちゃ駄目だよ」
がちゃりと鍵の閉まる音がした。床を這いずり、肩を使ってドアを押しても開く気配がない。後ろ手でドアを探り当てるも開かない。
どうして外側から鍵を掛ける仕様になっているのよ?
大人しくその場で待つ。逃げるにはドアが開いた瞬間を狙うしかない。外では叫び声と馬の暴れる音に交じり金属音も聞こえてくる。その振動に合わせて馬車も不安定に揺れた。
剣で戦っている?目が見えないと全然わからないわ。
揺れと迫ってくる叫び声に耐え、暫くしてやっとドアが開いた。
今だ!
ドアを開けた相手に体当たりし、外に這い出ようとするも後ろから抱き上げられた。
「んー!」
じたばたと体をくねらせて何とか逃れようとする。
「ベアトリス様。私です。ラースです」
ラース?
耳元で静かに囁かれた聞き知った声に、安堵で体の力が抜けた。同時に少し離れた場所からも聞きなれた声が聞こえてくる。
「ねえ、全員で戦っても双方に犠牲がでるだけでしょ?一対一の大将戦にしない?」
ロジャーね!
提案相手はユーゴだろう。二人が話している間にラースはベアトリスを下ろし、目隠しと猿ぐつわを外す。手のロープを切ると「失礼します」と、いきなりベアトリスを抱きかかえ、馬に乗せた。ラースもその後ろに乗る。
「ロジャーが敵の目を引き付けているうちに逃げますよ!」
「え、だって大将戦って」
「しっ。喋ると舌を噛みます」
言うや否や、全速力で馬を飛ばした。
「逃げるぞ!追いかけろ!」と背中越しに声が聞こえる。ラースが敵を次々と剣で追い払っていく。ベアトリスは体を小さくして必死に馬にしがみついた。
次第に敵の声が聞こえなくなり、馬のスピードが遅くなる。街中に戻ってきたのだ。
「恐い思いをさせてしまい申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
「ないわ。ありがとう。それよりロジャーが心配だわ!私はどこかに隠れておくから、あなたも戻って」
ハラハラと後ろを振り向く。大分離れてしまったが、今から戻れば間に合うかもしれない。
「大丈夫ですよ。ロジャーのことなら心配いりません」
「でも!槍試合でロジャーはユーゴに負けたのよ?それにユーゴが大将戦を拒否して乱闘騒ぎになったら数で負けるわ」
「それはあり得ません。ユーゴは受けますよ。そしてロジャーが勝ちます。ベアトリス様は心置きなくお休みください。追手が来たら全力で走れるよう暫く馬を歩かせて休ませますので」
冷静なラースにベアトリスの不安も静まってきた。今は彼らを信じよう。
無事で戻ってね、ロジャー!




