28.綻びの修復
「イザベラ。またチャールズ様とデートだったの?いいわね」
「あら、お姉様もユーゴ様とデートしているではないの」
「あれはそういうのではないわ」
夕食後、珍しく部屋に来たイザベラをお茶でもてなす。そんなことができるのも後何回だろう。
「あなたが結婚して、いなくなったら寂しくなるわ」
「そうでしょう。今のうちに私に優しくしてね、お姉様」
「しているじゃない」
クスクスと笑い、お揃いのカップを手に取る。ミント入りのお茶がスッと喉を通っていった。
「ねえ、お姉様。本当にユーゴ様と結婚する訳じゃないんでしょう?」
「どうかしら。家にとってどちらがいいか判断しないとね」
「オーウェンのことが許せない?」
「…怒っている訳じゃないの。薬のせいだと分かっているし。ただ以前のように戻れる自信がないの」
カップの中に情けない自分の顔が映っている。
信頼して笑い合っていたはずだったのに、一日で覆ってしまった。それに…。
『君は必要ない』
あの言葉がずっと刺さっている。実際、領地はオーウェン一人で対応できていた。人付き合いさえ元に戻れば私はいらない。
「お姉様。結婚して長く付き合えば嫌なことの一つや二つ必ずあるわ。それは相手がユーゴ様に変わってもきっとそう。だから一時的な感情で大切な人を失わないでね」
「あなた、まるで恋愛経験豊富なマダムのようね」
ベアトリスが苦笑する。
違うわ、お姉様。恋愛の全てを諦めたから見えるの。気づいていないのね、鎧のようなガードがオーウェンと一緒にいて無くなったこと。きっとユーゴ様では無理だわ。
「後悔して欲しくないの。意地を張ったりしないでね。壊れても一から作ればいいのだから。一人じゃないんだから、きっとすぐに直せるわ。一度オーウェンとちゃんと話し合ってみて。決めるのはそれからでも遅くないわ」
珍しく必死なイザベラにベアトリスも素直になる。
「…ええ。あなたがそこまで言うのなら、一度ちゃんと話し合ってみるわ。心配かけてごめんなさいね」
「約束よ。もう私はこの家からいなくなるんだから」
せめてお姉様だけでも幸せになってね。
「ベアトリス!今日は天気がいいからピクニックに行かない?」
「ピクニック?」
怪訝そうにベアトリスが繰り返した。ようやく雪が溶け、緑が芽吹き始めた頃だ。天気がいいとはいえ、まだ寒い。
「ブランケットもあるし、熱々の紅茶とサンドイッチとできたてのスコーンを持って、ちょっと散歩に行くだけ!寒かったらすぐに引き返せるし」
必死なオーウェンにベアトリスが小さく笑う。手には大きなバスケットとポットを持っていた。
「いいわよ」
「…えっ。いいの?」
いつものように断られると思っていたオーウェンは気が動転して言葉が見つからなくなった。オロオロする彼にベアトリスがすぐ背を向ける。
「あ…待っ」
「ぼさっといていたら置いて行くわよ」
さっさっと歩き出すベアトリスを追いかけ、裏庭を進む。森の入り口辺りで、ベアトリスがオーウェンを振り返った。
「ここにしましょう」
ベアトリスが指定した場所に布を広げ、二人で座った。一人分の間隔が空いている。オーウェンからブランケットを受け取り膝に掛けた。ピュウと吹く風はまだ冷たい。
目の前には小さな白い花がたくさん咲いている。
「スノーフレークよ。春の訪れを教えてくれる花なの。最近やっと咲いたのよ」
細長い葉とスズランのように下向きに咲いた花が特徴的だ。
「そうなんだ。咲いている事にも気づいていなかった。小さくて可憐な花だね」
「ええ。下を向いて少ししょげているようで健気さを感じるわ」
「本当だ」
何気ない会話のおかげで少しオーウェンの緊張が解れた。
「今、お茶を淹れるね」
オーウェンが茶を注ぐと、カップから湯気が上った。独特の爽やかな香りが広がる。熱々のそれを受け取り、口に含むと寒さが和らいだ。
「リンゴ?」
「当たり!アップルティーにしたんだ。少しだけお酒も入っているよ」
「そうなのね。温まって美味しい」
「良かった!」
すぐにシーンと会話がなくなり、お互いに気まずさを抱えて、紅茶だけが減っていく。
「あ、サンドイッチでも食べようか!」
「そうね」
黙々と食べてはたまに感想を言い合った。絶好の機会なのに、話さなければいけないことが後回しになっていく。それが余計に緊張を増幅させた。
「…ねえ、ベアトリス」
「何かしら?」
「…その…」
駄目だ。言いたいことが全然出てこない。オーウェンが目を彷徨わせていると、ベアトリスから質問がきた。
「あなた最近、騎士団の訓練に参加しているんですって?やめなさいよ、そんなこと」
「…嫌だ」
ジャックの許可がおり、エイジの元で剣や槍の訓練をしている。
「どうして?」
「…だってベアトリスと一緒にいられなくなる。俺がスノー公爵領に留まるには騎士団に入るしかないんだ」
俯くオーウェンはスノーフレークにそっくりだ。
「俺はベアトリスと離れたくない」
涙声で呟き、ついには膝に顔を突っ伏した。
「騎士団に入ったって一緒にいられるわけじゃないわ」
ぴくっとオーウェンの体が反応する。
「……ユーゴと結婚するから?」
オーウェンがふっと顔を上げた。仄暗い瞳が少し怖くなり、視線を外そうとしたところ、腕を掴まれる。
「嫌だ。やっぱり駄目だ!」
抱き寄せられ、態勢を崩した所をそのまま抱きしめられる。
「ちょっ」
「俺は結婚を白紙に戻したりしない!罵ってくれてもいいし、気が済むまで殴ってくれてもいい。何度だって謝るから、別れるなんて言わないで…。ベアトリスに捨てられたら生きていけない」
腕の力が強すぎて逃れられない。ドッドッという心臓はどちらのものかも分からなかった。
「い、いいから一旦離して」
「嫌だ。別れないって言ってくれるまで離さない!」
駄々っ子のように首を左右に振る。子どもっぽいところは変わっていない。
「お願い」と繰り返すオーウェンに根負けした。
「分かったわよ。考えておくから離して」
このままではずっと離してくれそうにない。それを見透かしたオーウェンの声が低くなる。
「…嘘。俺から逃げる為に言ってるだけでしょ?他の男の所へなんかいかないで」
「別に、ユーゴと結婚する気なんてないわ」
「…本当?」
ベアトリスの肩に手を置き、やっと体を離した。その瞳が潤んでいる。
「まあ状況次第では全くないとは言い切れないけれど。彼が惚れ薬について何か知っている可能性があったから探りを入れていたのよ」
「…え?」
「接触してきたタイミングが良すぎるってお父様が言うの。私も怪しいって思ったから」
「何でそんな危ない事するの?薬を飲まされたらどうする気!」
ベアトリスの肩を持つ手に力がこもる。
「大丈夫よ。飲み物も食べ物も口にしなかったから」
「そういう問題じゃない!…薬については俺が調べるから、もうそんな無茶しないで」
いつも俺のせいでベアトリスが危険な目に合っている。俺が頼りないから…。
「…ごめん」
「どうしてあなたが謝るのよ?」
「ベアトリスの役に立ちたいと思っているのに、いつも足を引っ張ってばかりで」
「そんな風に思ったことはないわ。自分を下げるの止めなさいよ」
「うん」
ベアトリスがいなくなってからずっと感じていた不安が嘘のように消えていく。掴んだ肩が温かい。
急に眠くなった。
ふらっと前に倒れそうになるのをベアトリスが支える。
「えっ。オーウェン?ちょっと、どうしたの?」
久しぶりにベアトリスに名前を呼ばれた。その声が次第に遠くなっていった。
「誰か!誰か来てちょうだい!」
オーウェンに圧し掛かられながら、必死で助けを呼んだ。
「睡眠不足ですね。あと、あまり食事を摂っていないようなので、目を覚ましたらスープでも飲ませてあげてください」
医者はそれだけ言うと部屋を出て行った。
「ありがとう。助かったわ、ラース」
「いえ。では、自分も外で待機しています」
ピクニック中、遠くから監視していたラースがすぐに飛んできてオーウェンを担ぎ上げ、部屋に運んでくれた。
ベッドで眠るオーウェンは顔が青白く、目の下の隈がひどい。少し痩せたように感じる。久々にじっくりと顔を見てやっとそれに気づいた。
イザベラの言う通り、ちょっと意地を張り過ぎたかもしれないわ。
眠るオーウェンの手を握って寄り添った。




