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勝ち気令嬢、年下の第二王子を育て上げます  作者: 松原水仙


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27.イザベラ

 オーウェンがスノー邸で休んでいると、小さなノックの音がした。夜更けに近い静まり返った時間だ。


 ベアトリス…?


 慌てて開けると、イザベラが立っていた。


「ごめんなさいね、お姉様じゃなくて」


 つかつかと部屋に押し入り、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「…あの…」


 イザベラは視線でソファに座るよう促すが、オーウェンは入り口に立ったまま動かない。


「さすがに、こんな時間に部屋で二人はまずいよ」


 声を潜め、イザベラに出ていくよう伝えるも意に介した様子はない。


「あなたと私で何が起こるって言うのよ?」

「それはそうだけど…」

「ちょっと話があるの」


 強引なところはベアトリスに似ている。観念してソファに座る。


「あなた、薬が切れた振りをして何か企んでいるんじゃないでしょうね」

「違う!」

「しっ!気づかれてしまうわ。ではお姉様を取り戻しに来たの?」

「……それも違う。話したと思うけど、俺かベアトリスが狙われている可能性が高いから心配になっただけで…俺はもうベアトリスの隣に立つには相応しくない。そもそもベアトリスは最初から俺のことが好きなわけじゃないし」


 どんどん声が小さく暗くなっていく。一つだけ灯った蝋燭の灯りでは彼の不鮮明な輪郭しか見えないが、うなだれているのは分かった。


「どうしてお姉様があなたを好きじゃないと思うの?」

「皆言っていた。こんなことになってもベアトリスは平気そうだったって」


 自嘲気味の声に震えが混じっている。


「あなた、まだお姉様のことが分かっていないのね」


 馬鹿にしたようなイザベラの声に少しムッとする。


 分かっているよ、ベアトリスのことなら。だから辛いんじゃないか。


「お姉様はね、恋愛に関しては超のつく鈍感なの。自分の好きを自覚するのに十年はかかるの。だから今はまだ平気でいられるのよ。でも十年後に気づくわ。あなたの事が好きだったんだって」

「は…。そんな、俺に都合のいい話…それにそうだとしても、もう」

「信じなくても別に構わないけど。私はお姉様に後悔して傷ついて欲しくない。幸せになって欲しいのよ。あなたもお姉様の隣に違う男が立っているなんて耐えられないでしょう?」


 グッと言葉に詰まる。


 耐えられない…!かと言って彼女から離れることもきっと俺にはできない。だから彼女を陰から守れる騎士になろうと決めた。


「覚悟を決めて。相応しくなくても縋りつきなさいよ」

「…でもベアトリスはきっと俺を許してはくれない」

「何百回でも縋りついて謝ればいい。お姉様は領地が第一だから、提案次第で受け入れてくれるわ」

「俺の元に戻って来てくれるなら、何だってベアトリスにあげるよ!領土を広げたいならそうするし、充実させたいなら外国から有名な建築士や職人、音楽家や学者を呼んできてもいい」

「それを私じゃなくてお姉様に言いなさいよ」

「そんな、図々しいこと…」

「嫌ならいいけど、今すぐ腹を括らないとお姉様は本当にユーゴ様と結婚してしまうわよ」

「え…結、婚…?」


 くらりと眩暈がした。


 ではあの指輪は…。


「ええ。ユーゴ様から結婚の申し込みがあったの。保留にしているけどね。まあこれ以上は何も言わないわ。じゃあおやすみなさい」


 呆然とするオーウェンを置いて「邪魔したわね」、と外から静かに扉を閉めた。



 ☆



「おはよう、ベアトリス!」

「朝からレディの部屋の前で待つものじゃないわよ」


 オーウェンがドアの前でバスケットを差し出した。小麦と焼いたお肉の良い香りがする。


「朝ごはんを一緒に食べようと思って。ベアトリスの好きなクロワッサンとチーズオムレツ、ソーセージにフォカッチャやレバーパテもあるよ!」

「有難いけど朝食は自室で食べるわ。朝日をたっぷりと浴びながら一人で食べる朝食の美味しさを、誰かさんが教えてくれたから。どうもありがとう」


 鉄壁の笑顔で断られた。バスケットを持ったままポツンと部屋の前に残される。

 時間を置いて、また部屋のドアを叩いた。


「ベアトリス!領地の改善案を考えてみたんだ。一緒に確認してくれない?」

「あなたの領地なのだから好きにすればいいわ」

「俺はベアトリスと一緒に領地を良くしていきたいんだ!」

「一人でできることを二人でやるなんて時間の無駄よ。わざわざ確認なんて必要ないわ。あなたは私よりずーっと優秀なのだから。それにもう私には関係のない場所だわ」


 書き上げた大量の書類は受け取ってすらもらえなかった。

 部屋から出てきたベアトリスにめげずに話しかける。


「ベアトリス!歌劇場でオーケストラの演奏があるんだって。一緒に行かない?」

「行かないわ。貴族たちに面白おかしく私たちの事を話されたくないし」


 オーウェンがシャーロットを愛妾にしている事は公然の事実だった。


「…そのことは俺がちゃんと説明するから」

「説明なんて無駄よ。嫉妬に狂った私がシャーロット様を追い出したって賑やかな話題の提供になるだけ。見に行きたければ新しい愛人でも作ればいいわ」


 にっこりと微笑み、さっさと歩いてどこかへ行ってしまった。泣き出しそうになるのを堪える。



 落ち込むオーウェンに声を掛けたのはイザベラだった。

 庭園のベンチに案内し、お茶を用意する。


(けしか)けたのは私だけど、あんなに冷たくされてよく声を掛けられるわね」

「…冷たくされて当たり前だよ。俺は何カ月もベアトリスに信じられない仕打ちをした。数日で許してもらえるなんて思ってない。でも一%でも望みがあるのなら諦めたくない」

「…一%でも」

「そう。イザベラ嬢の言う通りだ。今必死で縋りつかないと。俺は彼女の隣に誰かが立つなんて耐えられない」

「イザベラでいいわ。ま、せいぜい頑張りなさい。望みは薄いだろうけど」


 静かに紅茶を飲むイザベラに目を細める。


「ありがとう、イザベラ」


 オーウェンの実直さに、クールなイザベラの胸が、ちりっとざわついた。



 ☆



「イザベラ様。どうしたんです?こんな夜更けに呼び出すなんて」


 ステンが日頃から誰も寄りつかない書斎に、ひょこっと顔を出した。カーテンが閉め切られた部屋を、二台の燭台がぼんやりと照らしている。

 ステンが扉を閉めたのを確認し、イザベラが抱きついた。


「おっと!」


 驚いて身を引こうとするが、力いっぱい抱きついてくるイザベラに観念した。


「何があったんです?」

「お父様がね、見合い相手を探してきたの。もう何度か会っているし話も進んでいる。来月には結婚しようって話になっているの」

「良かったじゃないですか。好みの方ではなかったのですか?」


 軽く言うステンに唇を噛む。


 私があなたを好きなことに気づいているくせに…!


「ジャック様が見つけた相手なら間違いないですよ。あの方はイザベラ様やベアトリス様のことを大事に思っていらっしゃいますから」

「そんなこと知っているわ!」


 見た目も家柄も財力も能力も性格も、何の問題もない相手だ。


 でも違うの…。私が好きなのは…。


「抱いて」

「…は?」


 予想もしていなかった言葉に、ステンは二の句が継げなくなる。


「ちょーっと落ち着きましょうか。ね?」


 ステンがあやすようにポン、ポンとイザベラの背を二回叩き、距離を取ろうとするが、イザベラが絶対に離すまいと手の力を込める。


「止めて!子ども扱いしないで!」


 おいおい。まいったな…。


「領主様の大事な娘に手を出せる訳がないでしょう?そんなことしたらここにいられなくなりますよ」

「誰にも言わないわ!」

「そういう問題じゃなく…。大体、こんな三十半ばのおっさんのどこがいいんです?髪もぼさぼさだし髭も生えてるし」

「全部よ!」


 顔も声も大きな体も、強いところも頼りがいのあるところも、目線を合わせて話してくれるところも、自然体なところも、さり気ない優しさも全部好き。

 ずっと、あなただけが…。


「…気持ちは有難いですがね。俺は平民あがりでマナーも知らない粗野な人間ですし、まして二十歳ほど年も離れている。俺が親ならそんな男に娘をやれないですよ」

「親なんて関係ないわ。私だって家の状況は分かっている。今の状況じゃ、お姉様が再婚して子どもを作るのはまだ先になる。私が早く結婚して子どもを産まないといけないわ。そんなこと、ずっと前から知っているの。結婚して欲しいなんて言わない…。最後に抱いて欲しいの。初めてはあなたじゃなきゃ嫌なの。お願い」


 ふう、という声が聞こえ、顔をあげると、困った顔をしたステンと目があった。


「来月には結婚するんでしょう?万が一、俺との子ができたらどうするんです?」

「結婚したらすぐに初夜だもの。一カ月くらい分からないわ。初めてで血が出ない人もいるっていうし、彼の髪も黒いから。どちらの子か分からなければ、あなたの子だと思って育てられる。それだけで生きていけるの。それが相手への裏切りでも構わない。地獄に落ちてもいい。お願い、ステン。お願い…」


 緊張から泣き出すイザベラの頭を撫でる。子どもの頃から何度そうしたか。

 落ち着くのを待って話し出した。


「駄目ですよ。俺にとってもイザベラ様は特別で大切な方だ。俺なんかが汚せません。結婚を目前に不安になっているだけです。大丈夫。イザベラ様は必ず幸せになれますよ。考えても見てください。あと二、三十年もすれば俺はジジイですよ。若い自分の横にジジイが立っているなんて嫌でしょ」


 いつもそうやって、私が大切だと言いながら突き放すのね…。


「もういいわ」


 泣きながら震える声を出し、ステンから離れる。


「忘れてちょうだい」


 ドアを開けて駆け出した。



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