26.ベアトリスを追って
「いつまでそうしてる気?」
部屋に閉じこもり、椅子の上で膝を抱えたオーウェンに、ウノが呆れ顔になる。あれから五時間は経過しているが、ずっとこの状態だったのだろう。
「うるさい。勝手に入って来るな」
どうやって開けたのか、部屋に足を踏み入れている。
「飯の時間だよー。これ以上、使用人を困らせないでね」
側らまでやってきたウノを無視したま、顔を上げようとすらしない。
「あの二人は放心状態でとても何か話せるような感じじゃないから、また日を改めて尋問するよ。惚れ薬の出所が分かればいいね」
「分かったら相手を殺してやる」
「おー、こわ」
雨が窓を強く打って流れ落ちていく。時折聞こえる雷で窓ガラスが揺れた。
「薬のせいだって言えば、ベアトリス様は許してくれるかもよ?」
ビクッと体が震えた。許してくれる?俺を?
オーウェンの脳に自分の声が大きく響く。
「愛人を連れ込んでも構わないし、城から出て行ってくれてもいい」
「管理くらい俺一人でもできる。元々君は必要なかったんだよ」
「義務だ何だと、君は本当に面白味に欠ける。堅苦しくて支配的で傲慢で、自分の思い通りにしないと気が済まない」
それは間違いなくオーウェンが放った言葉だった。留学中、人の心理について詳しく学んだ。相手のコンプレックスや弱点を見抜き、どうすればダメージを与えられるかを知っていた。
わざと傷つく言葉を選んでベアトリスに浴びせた。
「許してくれるはずがない」
弱弱しい声は再び降り出した雨音にかき消された。
☆
シャーロットの父と兄に何を尋ねても、おかしくなったように「シャーロット」と繰り返すばかりで話にならない。
その上、二人が死なないよう食事や水も摂らせなければならないし、妙な行動をしないよう四六時中、見張る必要があった。
完全に貧乏くじだな。これは裁判所の役目だろう。
マットはため息を吐いて、左手で目元を押さえる。
「おい、今、全て話せば女の遺体を教会で弔ってやる。話さなければ森に捨てて獣の餌にするぞ」
痺れを切らし、そう脅すと漸く白状した。
薬はパーティーで譲ってもらったこと。男については全く知らない人物で、最初は疑っていたが、実際に飲んだ人間が豹変したことで信じたこと。
二人はどうしてもシャーロットを幸せにしてやりたかったと何度も後悔の涙を流した。
マットがオーウェンの部屋を訪ねた時も、オーウェンはまだ座り込んでいた。
「おい。話を聞いてきたぞ。惚れ薬は貰ったんだと。でも経路を辿るのは難しそうだ。一つ言えるのは、あんな高価な薬を目的もなしに他人に譲るなんてあり得ないってことくらいか。って、おい!」
その報告を聞くや否や、すぐにマットの横をすり抜け階段を駆け下りた。
だとすれば狙いは俺か、もしくはベアトリス…!
オーウェンはすぐに馬を走らせ、スノー公爵領へと向かった。ちょうど馬の世話をしていたウノが、駆け去るオーウェンを慌てて追いかけ、必然的にマットは城に留まることになった。
☆
「あら、マクレル公爵ではないの。お久しぶりね」
屋敷の前で馬を止めると、たまたま外にいたベアトリスの母が、領地の名でオーウェンを呼んだ。柔らかい雰囲気はそのままに静かな怒りが滲み出ている。
「…ご無沙汰しております。ベアトリスとお話ししたいことがあります。中に入れてもらえませんでしょうか?」
「それならわざわざ足をお運びいただかなくても書面を送ってくだされば良かったのに」
ふふふ、と扇子で口元を覆うアイリスに、オーウェンは何も言えず俯いてしまう。
「あら、その様子だと、どうやら薬が切れたのかしら。でも困ったわ。ちょうど出かけているの。中でお待ちになる?」
今まで通されていた家族用のファミリールームではなく、応接室へと案内された。
「ベアトリスを傷つけてしまい申し訳ありませんでした」
オーウェンはソファに座りもせず、頭を下げた。神妙な声音にアイリスも怒りが静まる。
「座ってちょうだい。あの子なら案外けろりとして帰って来たから大丈夫よ。あなたも被害者だと分かっているのに、ちょっと意地悪しちゃったわ。こちらこそごめんなさいね」
ベアトリスは陽が沈む前に戻って来た。応接室にノックの音が響く。
「ベアトリス様をお呼びいたしました」
「入ってちょうだい」
ドアが開いてすぐ目に飛び込んできたオーウェンに、ベアトリスの動きが止まる。
アイリスがすっと席を立ち、ベアトリスの背を押して部屋に押し込み、外からドアを閉めた。
オーウェンは立ち上がるも、言い淀んで下を向いてしまう。
ベアトリスは向かいのソファに座り、にっこりと笑ってみせた。
「何か御用かしら?結婚を白紙に戻す件なら喜んでサインするわ」
「違う!……ベアトリス。今までの俺の言動を謝罪したい。本当にごめんなさい」
何度もシミュレーションしたのに絞り出した声も、手も震えていた。
ベアトリスは目を見開いた後、視線を横に逸らした。足を組んで肘をつく。
「いらないわ。謝罪なんて」
唇を震わせるオーウェンを横目で確認し、目を宙にやる。
「話はそれだけ?なら失礼するわね」
立ち上がった、その手にはルビーの指輪がない。代わりにあったのは、深い蒼のサファイアの指輪。
「それ…」
そんな資格はないのに、口に出してしまっていた。こみ上げる吐き気をグッと耐える。
視線に気づいたベアトリスがハッとしてもう一方の手で指輪を隠した。
先程までユーゴにデートに誘われ、街へ遊びに行っていた。指輪は着けてくるよう頼まれたものだ。
ベアトリスがフッと鼻で笑う。
「仕方ないでしょ。誰かの物になった人をいつまでも馬鹿みたいに待っていられないもの。待つのは嫌いなの。それに愛人を作っていいと言ったのは、あなたなのだから」
「…そう、だよね。うん。分かっている。全部、俺のせいだから」
自嘲気味に笑おうとするも泣きそうになった。
「ではね」
「あっ、待って!薬のことだけど、あの親子は誰かに貰ったって。だから」
「知っているわ。目的は分からないけど、私たちを別れさせたい人がいるってことでしょ?とっくに知っていたわ。私の話なんて信じないでしょうから伝えなかっただけよ」
パタンとドアが閉まり、オーウェンは一人になった。
☆
まさかシャーロットが死ぬとはな。
予想外の展開にマントの男は天を仰いだ。満天の星が浮かんでいる。
「いいか、シャーロット。もし惚れ薬の効果が切れたらオーウェンにこの薬を飲ませろ。臭いはきついが苦しまずに死ねる薬だ。裁判ではオーウェンが自殺したと言えばいい。オーウェンを殺さないと、お前たち家族は全員死刑になるからな」
オーウェンを殺させる為の薬だったのに、まさか自殺に使うとは。家族を見捨てて自分だけ楽になったか。
フッ。まあ、いい。オーウェンとベアトリスの仲は修復のしようがないだろう。
惚れ薬の効果はいつか切れる。
切れた途端にシャーロットは捨てられて死んだ。
オーウェンが後悔の念に襲われ何度謝罪を重ねても、ベアトリスは以前のようにオーウェンを愛することはできないだろう。
決して元通りになることはない。
関わった全員が不幸になる!我ながら最高の薬を作ったものだ。
☆
「おわっ」
薄暗い団長部屋の前の廊下で幽霊のように佇んでいたオーウェンに、ステンが驚いて仰け反った。風呂に行っていたのか、長い黒髪が少し濡れている。
「何やってんだ?」
「俺を騎士団に入れて欲しい」
「…却下」
無視して部屋に入ろうとしたところ、オーウェンに左腕を掴まれる。
「雑用でも何でもするから!」
「あのなあ、ベアトリス様を追い出した奴を騎士団に入れられる訳ないだろうが。首と胴体が繋がってるだけマシと思え」
下を向いたオーウェンを、今度こそ振りほどこうとするが余計に力を入れられた。
「おい!いい加減に」
ボロボロと泣くオーウェンが目に入り、言葉が止まる。
おいおい、マジかよ。
ふぅと一呼吸置いて話し出した。
「泣くな。面倒くせぇ。どんだけ泣いても俺はお前を入れる気はない。まあエイジなら話くらいは聞いてくれるかもな」
第三騎士団団長の名前を出すと、「分かった」とエイジの部屋の前で待ち始めたので、我関せず部屋に戻った。
「おわっ!」
エイジはステンと同じリアクションでオーウェンから距離を取った。その拍子に赤い髪がぴょんと跳ねる。
「幽霊かと思った!ビビッたぁ!」
「騎士団に入れて欲しい」
「…えー」
苦笑いで頬を掻く。
「何でもする。だから俺を騎士団に入れて」
「…悪いねー」
笑顔で誤魔化して去ろうとするも、後ろから腰に腕を回される。
「いや、俺、男と抱き合う趣味ないから。勘弁して」
「嫌だ。もうエイジしか頼れる人がいない。お願い。助けて」
ベアトリスと何らかの関係を続けられるとしたら、もう騎士になるしかない。
うぇ、と泣き出すオーウェンに吃驚してエイジが取り乱す。
「えっ!ええっ、何で泣いてるの?」
「結婚を白紙に戻されたら接点が無くなる。ベアトリスの側にいたい」
腰に回した手の力が強くなる。
「うーん。ってか、まず白紙に戻されないように頑張ってみたら?騎士団に入ったってベアトリス様の側になんていけない。特にベアトリス様関連はラース率いる第二騎士団が務めることが多いからさ。第三騎士団に入っても意味ないと思うよ?」
「それでもいい。ラースは絶対に入れてくれてない」
「…ああ。だろうなぁ。じゃあ一先ずジャック様に相談しな。俺の独断では入れられないからさ」
「分かった。エイジが入っていいって言ってくれたって言う」
えぇー…。巻き込まないで欲しいんだけどな。
そう思いつつ、兄貴肌のエイジは泣くオーウェンを突き放すことができなかった。




