25.惚れ薬の代償
「オーウェン!良かった!急に眠って昼前まで起きないんだもの。お父様とお兄様は宿に泊まるんですって。観光に行ったみたいよ。お土産を買って来てくれるって。楽しみね!」
ベッドの側らにあるソファに腰かけ、シャーロットがペラペラと話し出す。シャーロットが屋敷に来てから新たに造った二人の寝室には、結婚式で着用する白いドレスが飾られている。
オーウェンは立ち上がって窓へと近寄った。カーテンを開くと窓の外は薄暗く、今にも降り出しそうだ。
「雨かしら?温かいお茶を用意させるわ」
「いや、いい。それより大事な話があるんだ」
シャーロットはドキッと胸が高鳴り、幸福感に満たされる。最近はゆっくり話をする時間もなかった。
「なあ、シャーロット。俺のことが好きか?」
「どうしたの?突然。好きに決まっているじゃない!オーウェンが留学している時から、あなたはずっと私の想い人なのよ。誰に対しても良い顔をしていた私に『良い人になっても損するだけだ』って教えてくれたでしょう。あれから生きるのが楽になったの。オーウェンのおかげ。大好きよ!」
シャーロットが赤くなった頬を両手で押さえる。オーウェンはゆっくりと彼女に近づき、その顔を正視した。照れたシャーロットが頬に手をやったまま俯く。
「でも――俺はお前が大嫌いだ。昔も、今もな」
予想外の言葉にシャーロットが思わず顔を上げた。吐き捨てられた言葉は氷のように冷たくて、ヒュッと喉が苦しくなる。
「オ、オーウェン…?」
「お前、俺に何か飲ませたな?」
見下ろす瞳の冷たさに、シャーロットの背筋が凍った。声も出せずにただ間近に迫るオーウェンに目が釘付けになる。
「お前のせいで俺は全てを失った」
「まっ、待って!ごめんなさい。許して!私はただ、オーウェンのことが好きで」
「田舎の子爵家ごときが、敬称もなく俺を呼ぶな」
至近距離で睨まれ、思わず悲鳴が漏れた。光のないオーウェンの瞳に体が勝手に震え出す。
「ひっ!ゆ、許して。謝るから」
「お前が謝って何になる?金も力も持たず人脈も人望もないお前が、こんな大それたことをしてタダで済むと思っていたのか?」
シャーロットは恐れから椅子から転げ落ちる。
…恐い!お父様!お兄様!誰か!
助けを呼びたいのに、緊迫した空気に声が出せない。涙だけが溢れてきた。
「いや…。待って…。私は、誰かを傷つけたりしていないわ…。あなたは幸せそうに笑っていたし、ベアトリス様だって平気そうな顔で」
「黙れ!」
怒鳴り声に、ビクリと大きく体が震えた。美しい顔が恐怖と涙で歪み、台無しだ。
「お前たちは薬で俺をおかしくさせ、領主の書き換えをしたな?それに昨日、スノー公爵家を乗っ取る話までしていた。そんなことをすれば裁判でどんな処分が下ると思う?」
「…………」
「お前はベアトリスの場所をまんまと奪った。屋敷の女主人を気取って贅沢に遊び暮らしていたな」
…違う!あれはオーウェンの為に、ベアトリス様になりたくて…。
しかし恐くて反論などとてもできない。
「裁判までの間、自分の罪と向き合っていろ」
冷酷な声に立ち上がることすらできず、入り口を呆然と眺める。自然とウェディングドレスが目に入った。
『シャーロット様はシャーロット様でいいのよ』
なぜかベアトリスの言葉が浮かんで消える。
激しく降り出した雨が、窓に映る彼女の姿を覆い隠した。
☆
ファミリールームでマットからの報告を受けていたところ、「きゃあ!」というメイドの悲鳴が聞こえ、声がした二階へと思わず顔を向けた。
「何だ?」
切羽詰まった声にマットと顔を見合わせ駆け出す。階段を上ると、寝室のドアに縋りついた状態で座り込んだメイドの姿があった。
「シャーロット様が…!」
腰を抜かしたメイドはそれきり喋れなくなった。
シャーロットが椅子に座った状態でテーブルに突っ伏すように眠っている。窓の外では嘘のように晴れ渡った空に虹が架かっている。
「おい」
彼女の肩を数度揺すると、コテンと顔だけ横を向いた。その顔は多幸感に満ちている。口角が上がり、まるで幸せな夢でも見ているかのようだ。
マットが首筋に手を当てて脈を確認し、首を横に振った。
テーブルの上には、底に紅茶が溜まったティーカップと薬の小瓶が置かれている。
「…毒を飲んだのか?」
オーウェンは驚いた様子で、それきり口を噤んだ。
マットがシャーロットを抱え上げてベッドに寝かせ、ドレスの袖をめくり手と腕を確認する。
「外傷はないな。それにしてもこの死に方…」
「ああ。レオの死に方にそっくりだ」
棺に入った兄の顔が蘇る。満足そうな表情で目を閉じていた。
「となると他殺の線もあるか」
「いや、メイド以外が淹れた紅茶は飲まないだろう」
「…そうか」
オーウェンはテーブルの上にあった赤い小瓶の蓋を少しだけ開け、嗅いでみる。
「うわっ」
苦みの強い薬草のような香りが鼻をついて、すぐに蓋を閉めた。その弾みで手袋に液体がつき、すぐに外して胸ポケットに入れる。香りを消すために窓を開けると、どんよりとした空気が少しだけ流れ出た気がした。
毒をマットに渡し、改めてシャーロットの顔を覗き込む。生きている時よりも幸せそうに見えるのは気のせいだろうか。
コッコッコッと早いノックが聞こえ、返事をする前にウノが顔を出した。ドアの周りには使用人たちが集まって来ている。
「悲鳴が聞こえたけど?」
「ああ。シャーロットが死んだ」
「は…?」
「これを飲んだらしい」
ベッドの横に立つマットが小瓶を親指と人差し指で挟み、ウノに見せた。
ウノは確認するようにベッドまで歩き、その顔を覗き込む。
「眠っているだけじゃないの?」
「いや、脈がない」
薬を持ったマットが否定するように首を振った。
「そんなもん飲んでよくこんな顔できるね」
あまりにも幸せそうなその顔に自然とウノの口からそんな言葉が出てしまう。
誰の目から見ても眠っているようにしか見えなかった。
そこへ、ひらりと蝶が赤い小瓶の上に止まる。オレンジ色の羽が印象的で、触覚だけを動かしている。マットが鬱陶しそうに瓶を振ると、音もなく羽を動かし向かいにいるウノの方へと向かった。ウノが払うように手首を振ると、今度は窓際に立ったオーウェンに寄ってくる。
窓を大きく開けて、逃がしてやった。
ふわり、と優雅に飛ぶその姿はまるでシャーロットの魂のようで、赤く染まった空に向かうその姿を見えなくなるまで目で追った。
「棺桶を用意してくれ。最後の餞にドレスを着せてやろう」
☆
「オーウェン、どうしたんだ?急いで戻ってこいなんて。おかげでシチューを食べ損ねたよ」
シャーロットの父と兄が上機嫌で、玄関に立つオーウェンに尋ねた。宿でもう一泊しようと話していたところ、馬に乗った騎士から伝言を聞かされ旅行を中断して戻ったのだ。
「騎士の話では見せたいものがあるとか」
ワクワクした様子でロバートが尋ねる。
「ええ、きっと驚くと思います」
案内された部屋では、長さ二メートルほどの木箱が存在感を放っていた。
「おや、これですか?」
「どうぞご覧ください」
二人は木箱の蓋を外した途端に悲鳴を上げ、尻もちをついた。
「うわあ!」
その拍子に蓋を床に落とす。ドンッと鈍い音が響いた。
「シャ、シャーロット…?」
木箱の中ではシャーロットが美しい瞳を閉じ、眠っていた。外が暗いせいか、いつもよりも肌が白く見える。着用した真っ白のウェディングドレスで木箱の余白が全て埋め尽くされている。
「ああ、何だ、驚かすなよ。幾つになってもいたずらっ子だな」
「はは。吃驚して腰が抜けたよ。大成功だ、シャーロット。でも心臓に悪いから二度としちゃ駄目だぞ」
二人が近づいても、木箱の中のシャーロットは身じろぎ一つしない。
「シャーロット。もういいぞ」
ロバートが肩を揺すると、ゆっくりと首が横に倒れた。長い睫毛も鼻腔も少しも動く気配がない。
「…シャーロット?どうした?」
尋常でない様子を感じ取った二人はシャーロットの肩を何度も揺する。
「おい!起きろ!起きてくれ、シャーロット!」
血の気が引いた二人を、椅子に腰かけオーウェンが眺める。
「残念です。私が気づいた時にはもう手遅れで。せめてあんなに楽しみにしていたウェディングドレスだけでも着せてやろうと、メイドに指示を」
淡々としたオーウェンの言葉に、二人が一斉に振り返る。
「おい、説明しろ!シャーロットはどうしたんだ?」
「生きているよな?何があったんだ!」
「残念ですが、発見した時にはすでに彼女の息はありませんでした」
非情な言葉に、二人は膝から崩れ落ちた。這いつくばりながら木箱で眠るシャーロットの顔を覗き込む。
「…シャーロット。何があったんだ?お願いだ。起きておくれ。私の可愛い娘」
「シャーロット。嘘だよな?本当は寝たふりをしているだけなんだろう?何とか言ってくれ!」
うぅっと男たちのすすり泣く声が耳に届き、オーウェンが腰を上げた。持っていた手紙を二人に渡す。
「彼女の遺書です」
震える手で受け取ったそれは、所々、皺になっている。シャーロットの涙の跡だった。震える文字で自分の罪を告白し、父と兄は悪くないのだと必死で訴えていた。
生前と変わらぬ顔のまま眠るシャーロットを目で捉え、呆然と立ち尽くす。
シャーロットが…。この世で一番可愛い私の娘が…。
拳を握りしめ、オーウェンに詰め寄った。
「お前が殺したのか?シャーロットが何をした?お前も喜んでいたではないか!」
「そうだ!あんなに心根の優しい子はいないんだ!どうしてこんなことができる?」
泣き叫ぶ二人にオーウェンが顔を歪めて冷笑した。
いい子だと?俺の全てを奪っておいて「幸せだ」と笑ったこの女が?背負うべき苦しみを放置し、この世からさっさと逃げたこの女が?
「落ち着いてください。私は薬の効果が切れたと彼女に教えただけです。妻や領民の手前、裁判になることを告げると蒼ざめて何度も謝っていました。中でも彼女が気にしていたのが、あなた達のことです。私が所有していた伯爵領があなたたちの手に渡っていること、スノー公爵領を自分たちのものにしようとしていたこと。これでは刑を免れるのは難しいのではないかと」
先ほどの威勢を無くし、蒼ざめた二人にオーウェンが追い打ちをかける。
「彼女は自分の死であなた達の罪を軽くしようとしたのかもしれませんね。彼女は領地には関心がなかったのに。欲を出しましたね」
薬で意識を奪い王家の土地を横取りするなど、彼女が死んだところで一族死刑は免れないが。
二人は放心状態で床に座り込んだ。話し終えたオーウェンがテーブルの上の鐘を鳴らすと、ウノたち騎士団が五名入って来た。
「連れていってくれ。くれぐれも慎重に」
へいへい、とウノが返事し、抜け殻の二人を牢へと引っ張った。




