24.記憶の中にいるのは
ベアトリスはなぜかユーゴから誘いを受け、イザベラとともにティーガーデンにいる。お茶を楽しめる娯楽施設で、本日は特別な催しとして演奏会があるという。
夕日が沈み始め、空が紺色になってきた。
「新しくできたティーガーデンね。初めて来たわ」
ベアトリスが見回すと、吹き抜けの二階まで家族連れやカップルで賑わい、会場は満席だ。お酒も入り、がやがやと騒がしい。
「楽しみね。私まで誘ってくださってありがとうございます」
「大勢の方が楽しいしね。それにさすがに二人では悪い噂が立ってしまうから。イザベラ嬢は何を飲む?」
「私は白ワインを。お姉様は?」
「私はシャンパンにするわ」
ユーゴが注文を済ませ、テーブルにはお酒と軽食が用意された。
「でも、突然どうしたの?演奏会に誘ってくれるなんて」
「ベアトリス嬢に会いたくなったんだ」
「嘘ね。あなた、私とオーウェンの不仲の噂を聞いたのでしょう」
「バレた?気分転換にどうかと思って。僕も行きたかったし」
「ありがとう。今日は全て忘れて楽しむことにするわ!」
演奏は素晴らしかった。周りの浮かれた雰囲気とも相まって、お酒も食事もどんどん進む。いつもの堅苦しい演奏会では得られない楽しさがあった。
「あー!最高の時間だったわ!」
「食べながら本格的な演奏を楽しめるって新鮮ね!」
ベアトリスとイザベラが空になったお皿とグラスを確認し、満足気な表情をした。
「ねえ、また誘ってもいいかな?」
「ええ!今日はどうもありがとう!」
ユーゴからの誘いは、観劇、ボート、街歩き、釣り、狩りなど多岐に及んだ。途中からイザベラの婚約者チャールズが加わり、四人でダブルデートのようなこともした。チャールズも社交性のある人で、ユーゴとも相性が良く、すぐに場に馴染んだ。
「良い方で安心したわ」
「…ええ。お姉様も新しいお相手が見つかりそうで良かったじゃない」
「あのねえ、ユーゴはそういうのじゃないの!ただのクラスメイトよ」
しかし、ここ数日で友人くらいにはなったかもしれない。そう思っていた矢先、ユーゴが家を訪ねてきた。
メイドから知らせを受け、ベアトリスは急いで応接室に向かう。
ベアトリスを見た途端にユーゴが破顔し、「やあ」と片手をあげた。チョコレート色の髪を耳にかけ、心なしか、めかし込んでいる。
「どうしたのよ?家まで来るなんて」
しかもお忍びの馬車ではなく紋章入りの馬車だ。ベアトリスは人妻で、イザベラには婚約者がいる。出入りするのを見られては、あらぬ噂に繋がりかねない。
「スノー公爵と話があるんだ」
「お父様に?ああ、吃驚した。使用人が間違えたのね。今、呼んでくるわ」
「いや、君にも同席して欲しいんだ」
「私にも?いいけど、何も協力はできないわよ?」
「構わないよ。いてくれるだけでいい」
ジャックが遅れて入ってきて、ベアトリスの横に腰かけた。いつも通り人を食ったような顔をしているが、なぜか緊張感があった。
「お話とは?」
「お手紙で書いた通り、ベアトリス様と結婚させて欲しいのです」
「はあ?」
屋敷の外にいる者にも聞こえるくらいの声がベアトリスの口から出た。
「何言っているのよ?私はもう結婚しているわ!」
「知っているよ。でも白紙に戻るのも時間の問題だろう。僕の方でも調べさせたけど、オーウェン殿下はシャーロット嬢を正妻のように扱っているし、君がいつまでも我慢する必要なんてない。先の事を考えても離婚するのが一番良い。君もそう思っているんじゃない?」
「…だからって、どうしてあなたと私が結婚するってことになるの?」
「僕じゃ不満?悪いところがあるなら直すし、理想の夫になれるように努力する。僕と結婚してくれないか?」
躊躇いはしたものの、すぐに首を横に振る。
「駄目よ」
「どうして?」
「オーウェンが豹変したきっかけは薬のせいなの。惚れ薬のことはあなたの耳にも入っているんでしょう?」
まあね、という風に肩を竦めて頷いた。
「薬の効力が切れなかったら?それに、あんなことがあったら、もう元には戻れないでしょう?今となっては王家よりも我がポール公爵家の方が格上だし、悪い話じゃないはずです」
後半はジャックに向けていた。
ふむ、と顎に手を当て考え、横目でベアトリスを確認した。
「ベアトリスはどうしたい?」
「私は…」
そう、そうだ。私が一番考えないといけないのは後継ぎのこと。オーウェンよりもユーゴの方が適しているのではないか?
そう思うのに言葉が出ない。
「どうも娘は混乱しているようだ。決断は後でも宜しいかな?」
「ええ。もちろん!僕は君を大切にすると誓うよ。だから前向きに考えてくれると嬉しいな」
手の甲にキスをして帰って行った。
再度、応接室でジャックと向き合ったベアトリスは、握り合わせた自分の両手を見つめる。
「お父様、どう思います?」
「お前の好きな相手と結婚するがいい。が、タイミングが気になる。調べさせよう」
「タイミング…。ポール公爵家がシャーロット様に惚れ薬を渡したということですか?」
「可能性は否定できない」
ジャックが形の良い瞳をすっと細めた。
☆
オーウェンは日増しに強くなるシャーロットへの違和感から、城を空けることが多くなった。各地を巡り、工事の進捗具合や、報告書の誤りや不正を確認していく。動いていないと落ち着かないのはきっと不安が募っているせいだ。
夜も寝付けなくなった。
「おい、ちょっと休んだらどうだ?」
護衛と見張りを兼ねたマットが見かねて声を掛ける。宿の夕食も殆ど手を付けていなかった。
「平気だ」
「どこがだよ。やっとベアトリス様の有難みに気づいたか」
…ベアトリス?
「なぜそこであの女が出てくる?関係ないだろう。俺にはシャーロットさえいればいい」
…本当に?妙な不安に襲われたのは、彼女が城を発ってからではなかったか?
不意に芽生えた考えを打ち消すように、オーウェンは首を小さく横に振った。
彼女は形式的な妻だ。なぜ彼女がいないくらいで不安になるんだ。たまたま重なっただけだ。
結局その日も朝方まで眠れず、目の下の隈だけが濃くなっていった。
「オーウェン、お帰りなさい!待っていたの。夕食を一緒に食べましょう」
シャーロットの能天気な声に辟易するようになったのは、いつからだったか。それにまた初めて見るドレスを着ている。領主の妻なのに財政にも無頓着で、女主人として使用人たちの信頼すら得られていない。
…いや、俺は何を小さなことを。それでいいじゃないか。
「すまない、シャーロット。疲れているんだ。今日はこのまま寝るよ」
「えっ。でもオーウェンの為に豪勢なメニューにしたのよ!少しだけでも食べて」
潤んだ瞳で見上げられるのも、甘い香水の匂いも、最近は受け付けない。
「そうだね。シャーロットがそう言うなら、少しだけ」
食事には彼女の父と兄も同席した。領地で取れた海鮮や肉を次々と頬張っていく。見ているだけで食欲が失せた。
「いやあシャーロットとオーウェンが仲睦まじくて父としてこんなに嬉しいことはないよ」
気安い呼び名に苛つく。愛するシャーロットの父だからと許したのは自分であったはずなのに。
「兄の僕も嬉しいよ。シャーロットが毎日幸せそうで」
「お兄様。ありがとう!そうだわ!いいワインが手に入ったからと贈ってくださった方がいたの。一緒に飲みましょう」
「おお!きっと高いんだろうな。これが領主の特権だな」
品のない会話にもうんざりする。そもそも、それは私たちへの贈り物ではないのか?
…私たち?シャーロットが提案したのだから問題ないはずだ。
駄目だな。いつまでたっても頭が回らない。
「ベアトリス嬢が出て行ってくれて正直、力が抜けたよ」
「いやだわ、お兄様!オーウェンもいるのに」
「ああ、ごめん、ごめん。でもオーウェンもそう思わないか?シャーロットと二人っきりになれたんだから」
ガハハと笑いワインを飲み干して、父が大きく頷く。
「そうだな!邪魔者がいなくなって、城は私たちのものになった!でもオーウェン、結婚を白紙に戻してはしてはいけないよ。スノー公爵領が君のものになる日まではね!そして四人で領地を管理しようじゃないか」
「お父様!酔いすぎよ。ごめんなさい、オーウェン。領地のことは全てあなたに任せるわ。父の言う事を真に受けないでね」
「…シャーロットは領地には興味がないのか?」
「領地の管理は男性の仕事でしょう?私では分からないから。私は屋敷の管理をするわね!」
「そうか。シャーロットになら安心して屋敷を任せられるね」
思ってもいない台詞でも口から簡単に出せる。シャーロットは喜びを隠せず、はにかんだ。
『オーウェン、私たちで公爵領を蘇らせるわよ!』
ずっと頭に響いている、この頼もしい言葉の主は…シャーロットではない?
もっと力強くて、芯があって、志が高くて、それは――。
ワインの酔いと眠気が入り混じり、そのまま机の上に突っ伏した。瞳の裏に一人の女性を思い浮かべて。
現代とは常識などが異なるところがございます。お酒は二十歳になってから。




