23.ベアトリスの真似
アリティ城ではシャーロットが茶会の準備の為、メイドとやり取りを重ねていた。
「絵画はどうされますか?」
メイドが五枚の絵画を並べる。
「ええと、どれがいいのかしら?私あまり詳しくなくて…」
「どれでもお好きなものをお選びください」
「じゃあ、可愛らしいこの絵にしようかしら」
湖畔に咲いた花々に囲まれ、女の子が一人遊びしている。それを天使たちが微笑ましそうに眺めているという作品で、湖には小さくボートと白鳥の姿も認められる。
「茶葉は新しく購入したものを使用します。ティーセットはいかが致しましょう?」
「じゃあこれで!ピンクの花柄がとっても可愛いわ」
お茶会にはベアトリスが呼んでいた令嬢たちを招待したが、モリーナには断られてしまった。カミラを含めた三名の他に、侯爵家や伯爵家の六名にも声を掛けて十人規模で行う。
「お招きありがとう」
「お待ちしておりました!」
親し気に頬を緩め、カミラたちを部屋へと案内する。薄ピンクで統一された、ベアトリスが前回お茶会を開いた部屋だ。
「皆様をご招待できてとても嬉しいです。今日は楽しんでいってくださいね!」
すっかり女主人気どりね。まさか子爵家の娘がこの私に招待状を送りつけてくるなんて…。
カミラが苛立ちを社交の笑みで隠した。
他の女性陣も全員がシャーロットより格上なので、思うところがあるに違いないが、それでも参加したのは、招待状にマクレル公爵家の印が押されていたからだ。
「お茶の葉はどうされますか?」
「お任せします」
全員の声が重なる。シャーロットが用意していた茶葉を選び、練習した通り淹れていく。
「いい香り!とても爽やかで繊細だわ」
「そうなんです!香りが特徴的な茶葉を選びました。どうぞ」
目の前に出されたカップは、底が深く口径の狭い、ピンクの小花柄のもの。
「とても美味しいわ。ティーセットはどうやってお選びになったの?」
カミラが一口飲んで、シャーロットに視線を送る。
「私、ピンクが大好きなので色で選びました!温かい色なので外の寒さを和らげてくれるかと思って」
令嬢たちが顔を見合わせ、無理やり笑顔を作る。
ティーセットは飲む茶葉の特性によって使い分けるのが普通だ。香りを楽しむタイプの茶葉は口径の広がったカップを使う。
シャーロットが用意したカップでは茶葉を活かしきれていない。
「…確かにお色味はとても美しいですね!」
「え、ええ、そうね!どちらの窯のものですの?」
「えっ?…ええと」
口ごもるシャーロットを全員が凝視する。
「モリード窯?カラン窯?あと有名なのはエイドミス窯かしら?」
助け舟を出されても答えられず、えっとー、と繰り返す。ティーセットはベアトリスの物だし、裕福ではないシャーロットはそもそも知識がない。
「まあ沢山あると忘れることもありますね!」
「すみません。何種類もあるもので…」
「よくあることです。目の前のお花ともマッチしていますね」
花へと話題が移り、パッと表情を明るくする。
「ありがとうございます!我が家の温室で育てているお花たちです」
「美しいわ!それもテーブルいっぱいに飾られていて、なんて贅沢なのかしら」
ベアトリスが大切に育てていた温室の花たちが、テーブルの上だけでなく暖炉や窓際にも飾られている。温室の管理はいつの間にかシャーロットの仕事に取って代わっていた。
「素敵な絵画ですね!」
「あ、これは有名な画家のセドリックの作品です!」
絵画については前回のお茶会を参考に知識を仕入れている。
「まあ、やはりそうね!色使いと躍動感が素晴らしいわ!直接依頼されたんですの?」
「え、いいえ。…屋敷にあったので依頼主は分からないのです」
「分からない?セドリックが有名になったのはここ十年程ではなくて?」
「ええと、依頼主は分からないのですが…。あ、でもこれは仰る通り十年ほど前の作品で、少女の成長を願って描かれています。その証拠に大勢の天使が少女を見守っていますね」
「この少女は誰かご存知なの?」
カミラはシャーロットではなく、絵を眺めている。
「調べたのですが誰かは不明なのです。でも愛を感じる作品で、屋敷にある絵画の中でも特に気に入っています」
「…確かにそうね。愛を感じるわ」
「きっと素敵な女性になっているのでしょうね!お会いしてみたいわ」
カミラが頷くと、周りのご令嬢たちも次々と頷いて、数名が含み笑いする。
この絵の少女が誰か。それは湖に小さく書かれた白鳥の存在が示している。白鳥はスノー公爵家の紋章。十年前の作品ということは、この少女はベアトリスに違いない。きっと両親からのプレゼントだろう。
カミラはある程度で切り上げ、そそくさと馬車に乗り込んだ。
あんな女に夢中になるような見る目のない男なら、ベアトリスの方からお断りでしょうね。
そもそもティーセットにしても絵画にしても公爵家の使用人が気づいていない訳がない。
形だけ真似ても駄目なのよ。心配して損したわ。
…………。
………うん?心配?
いやいや!何よ、心配って?してないわよ、心配なんて!
脳内で打ち消し、まだ陽の高い空を眺めて伸びをした。
あー時間を無駄にしたわ。ドレスでも買って、宿で美味しいフォアグラでも食べるとしましょう。
☆
「シャーロット。お茶会はどうだった?」
ファミリールームで寛いでいたシャーロットの向かいに腰を下ろす。
「オーウェン!お帰りなさい。とても楽しかったわ!うまく対応できない箇所もあったけど、皆様とても優しくフォローしてくださったの」
「そうか。良かったね」
オーウェンの声音がいつもより低い。
「オーウェン。何だか疲れている?領地で何か問題でも?」
「いいや。問題なんてないよ。シャーロットは気にしなくていい。君もお茶会で疲れているだろう」
実際、問題など何もない。橋は修繕で済んだし、堤防の工事も順調だ。多少の支出があっても採算は取れている。
――それなのに、無性に不安が付きまとうのはなぜだろう…?
シャーロットと一緒にいるだけで恐怖心など吹き飛んでいたはずなのに、俺は一体、何に怯えているんだろう。
胸のつっかえを誤魔化すように、朗らかな声で誘う。
「それよりバイオリンを一緒に弾かない?気分転換がしたくて」
「え、ええ。あまり上手くはないのだけど、それでもいいなら」
二人でバイオリンを構え、シャーロットの音に合わせて弾き始めた。途中で何度も目を合わす。幸せな時間のはずなのに…。
かつての高揚感がない。互いの音をぶつけ合って溶け合っていく何とも言い難いあの感覚はどこへ行ったのだろう。興奮と刺激と互いを高め合うようなあの昂ぶりを感じたいのに。
彼女の音は穏やかで優しすぎる。まるで流れのない川のようだ。
いや、違うな。そんなことを考える俺が疲れているだけだ…。
オーウェンはそっとバイオリンを置いた。
☆
嬉しそうに頬を緩めて、シャーロットは随分と幸せそうだったな。
くっくっと男が笑う。闇夜のせいでフードを被った男の顔は判別できない。
あの惚れ薬は愛情の矛先を変える薬。
つまりシャーロットが大きな愛を感じれば感じる程、ベアトリスが愛されていた証。そろそろ気づいている頃だな。
人間というのは欲深い。一度タガが外れると際限なく欲が出る。最初は見てくれるだけでいいと言っていたのが、それでは満足できなくなり、本当の心が欲しいと望み始める。
必死になってベアトリスの物まねを始めたのも、そのせいだ。彼女のように振る舞えば本当に愛してもらえると思っているのだ。
でも残念だったね、お嬢さん。この薬の効果は永遠ではない。そもそも愛が永遠などではないのだから。別人にすり替わっているなら尚更だ。
さあ、ここからが本当に面白いところ!人間の醜さを見せてくれよ。
男の姿は完全に闇夜に紛れた。




