2.三人でのお茶会
「ベアトリス様とは、どんなお話を?」
帰りの馬車で、ぼうっと虚空を見つめるオーウェンを、心配そうにトロイが伺う。
「あんな女と結婚したくない」
「…何かありましたか?」
「トロイ!婚約破棄をするにはどうすればいい?」
ガバッと肩を掴まれ、トロイは驚きに目を見張るも、すぐに冷静になる。
「陛下とスノー公爵がお決めになったことなので、それは難しいかと」
「…だよな」
膝につきそうなくらい上半身を屈め、両手で頭を抱えたオーウェンに、苦笑いで尋ねる。
「そんなに嫌なのですか?」
「嫌に決まっている!あんな凶暴な女!恐すぎる!」
「恐い、ですか?お優しそうに見えましたが」
ニコッと微笑んだベアトリスを思い浮かべ、首を傾げた。
「お前は騙されている!」
「まあまあ」とトロイは落ち込むオーウェンの手を握り、励ました。
「大丈夫ですよ。結婚しても私が付いています。ベアトリス様とも仲良くなれるよう一緒に頑張りましょう」
「そう、か。そうだな。お前がいて良かったよ」
一人だったら逃げ出しているところだった。オーウェンはベアトリスの鋭い眼光を頭から振り払った。
城に着くなり、よく通る芯のある声に呼び止められた。
「オーウェン殿下ではないですか?お久しぶりですね」
高齢の男性が高く右手を上げ、左右に大きく振っている。親指に嵌めたプラチナの指輪がピカッと光りを反射した。
「ロベールじゃないか!」
オーウェンは嬉しそうに駆け足で男に近づいた。
ロベールは博学者で、王の側近でもある。「国の英知」とも称されるその知識で、王家の復興を陰から支えた男だ。
「お元気そうで安心しました」
ロベールはオーウェンより十センチほど高い背を屈め、オーウェンと目線と合わす。年の割にしっかりとした体つきをしており、声や肌にも張りがある。
トレードマークともいえる金の懐中時計が、この日も首からぶら下がっていた。
「ロベール!会いたかった」
「私もです。少し見ない間に随分と大きくなられましたな。第二王子として立派に剣術に励んでいると聞いています」
「ああ。お前が騎士団に掛け合ってくれたおかげだ」
「いえいえ。オーウェン殿下の熱意が伝わったのですよ。レオ殿下も褒めておいででしたよ」
「本当か?」
途端に破顔したオーウェンに、ロベールも大きく頷く。
「もちろん!兄弟仲が良くてこの老輩も安心です。他国では兄弟の仲違いで戦争になった過去もありますからな」
「そんな心配はいらない。俺は剣で兄上を支えると決めているからな」
「それは、それは!殊勝な心掛けです。しかし、くれぐれもご無理はなさらないよう」
労いの言葉を掛け城内へと消えるロベールの背を見送る。
そうだ。この婚約が家の役に立つのならば、我儘を言っている場合ではない。
しかしベアトリスの顔を思い浮かべては、憂鬱になった。
☆
仲を深める為に週に一度お茶会を開こうという話になり、今日がその初回だ。ビクビクするオーウェンを、隣でトロイがフォローする。
「こちら、オーウェン様からでございます」
「まあ、素敵!ありがとうございます」
トロイから手渡されたピンクの花束は、両手でやっと持てるくらい大きかった。玄関に爽やかな香りが広がる。
「今日は良い天気ですし、庭のガゼボでお茶にしましょう。こちらは飾らせていただきますね」
外に出ると、清々しい風がベアトリスの後れ毛を揺らした。幼く見せるのはもう止めた。大人っぽいブルーのドレスに、紺の帽子、パールのアクセサリー、強めのアイラインを引いて、いつものベアトリスでオーウェンを迎えた。
ガゼボに向かう途中、ベアトリスとオーウェンは並んで歩くも無言が続く。二人の間には一人分の距離があった。
「今日のベアトリス様は前回とはまた違った雰囲気で、どちらもお似合いだと仰っています」
オーウェンの斜め後ろを歩くトロイが、にこりと大嘘をついた。
「うん、言っていないわよね?」
「いいえ。長年仕えた私にはわかります」
「ああ、そう思っていた」
嘘つけ!
「じゃあ、最初からそう言いなさいよ!」
「トロイの言葉は俺の言葉だ」
しれっと言い放ったオーウェンに拳を握りしめていると、ガゼボに着いた。
召使がアフタヌーンティーのお皿を用意している間、執事が三人分の紅茶を淹れる。サーブし終えると、すぐに気配を消し下がった。
「甘いものは嫌いだ」
「じゃあレモンでも丸かじりしてなさいよ」
「できるか!」
「まあまあ。失礼しました。ベアトリス様。好き嫌いなく、とはお伝えしているのですが…」
「お茶会なんて女のすることだ!どうして俺が」
「あら、世の紳士たちは女性とのお茶会に文句なんて言いませんわよ?ああ、でも紳士になるにはまだまだ年齢が足りなかったわね」
おほほ、とわざとらしく高笑いする。
「子ども扱いするな!」
「なら紳士らしく振る舞ってくださいませ。さ、トロイ様もどうぞ召し上がって」
「ありがとうございます」
距離の縮まらない二人に苦笑いしながら、トロイはサンドイッチを手に取った。目で促され、オーウェンも渋々サンドイッチを口に入れる。
「…うまい」
心から出た声に、ベアトリスも頬が緩む。
「そうでしょう?特製のマスタードがたっぷり入っているの。そういうのは好きなのね。料理長にも伝えるわ」
にかっと笑うベアトリスに、オーウェンはなぜか恥ずかしくなり目を逸らした。
「オーウェン様は昔からマスタードやチーズなど少し癖の強い物が好きなのです」
「そうなのね。沢山あるから食べてね」
「…ああ」
ぷいとそっぽを向いたオーウェンの耳が少し赤い。
「ありがとう、と仰っています」
「ふふ。もう通訳は必要ないわ。何だか私も段々と分かってきたから」
「そうですか。お二人の仲が近づいて嬉しいです」
「別に近づいてない」
余計なことを言うトロイを横から睨む。
「照れているのね。分かっているわ」
「違う!」
「ふふ。ベアトリス様がオーウェン様を理解してくださる方で良かったです。城内では私と二人でいる事が多いので」
「第二王子なのだから他の者たちとの接点も多いでしょう?」
不思議そうにベアトリスが首を傾げる。
「それが…」
「余計な事言うな。いいんだよ、兄上がいれば王家は安泰なんだから」
拗ねたオーウェンに、トロイも口を噤んだ。
なるほどね。優秀過ぎる兄と、それに尊敬とコンプレックスを抱える弟。よくある話ね。城内でも肩身が狭い、と。
「まあ、いいわ。今までより、これからが大切よ!だからここで一つ、提案があるの!」
口角を上げたベアトリスに、オーウェンは嫌な予感しかしなかった。




