16.馬上槍試合
ベアトリスは家族やオーウェンと観覧の特等席に座る。上から試合会場を見下ろせ、砂埃も回避できる貴族専用席だ。周りはほぼ女性で占められている。皆、事前のパーティーで貰ったアクセサリーを身につけ、目当ての騎士が出てくるのを祈るような気持ちで待っている。
「オーウェン殿下、ベアトリス様!」
「まあ、モリーナ様にシャーロット様!いらしていたのね。誰かお目当てでも?」
「この指輪をパーティーでいただいたの。だからマロー様を応援しに」
照れるモリーナの薬指にはエメラルドの指輪が嵌っている。
「とっても素敵な指輪ね!シャーロット様は?」
「私は目当ての騎士様はいなくて」
「あら、そうなの。いなくても試合を見るだけでも楽しいわよ、きっと」
「ええ!そうですね!」
弾ける笑顔で答えるシャーロットは、相変わらず人目を惹く力を持っていた。
モリーナとベアトリスが談笑している間、視線を送ってくるシャーロットを、オーウェンは完全に無視する。
「では、私たちはこれで。オーウェン殿下もまた」
シャーロットは去り際、オーウェンに流し目で挨拶をしたが、オーウェンはモリーナだけに会釈した。
トーナメント会場は三百メートル×三五十メートルの広さがあり、三組ずつ戦っていく。
貴族は特別席で上から眺められるが、庶民は広場を大きく囲った柵越しに応援する。砂埃でほぼ見えないはずなのに歓声と熱気がそれをカバーし、毎年たくさんの人で賑う。彼らの入場料が賞金に充てられるので有難い。
広場の外では商人が待ってましたとばかりに店を開き、自慢の品を競うように売っている。辺りに涎が出そうないい匂いが漂い、思わず足を止められた人々で行列ができている。ソーセージが一番人気だ。ビールを片手にソーセージを頬張り、目当ての騎士を応援するのが定番となっている。庶民にとっては最高の息抜きだ。
突然、体が振動する程大きな歓声が上がった。大きく旗を振る従者を連れ、騎士たちが自慢の軍馬に乗って登場したのだ。
ドドンッ、ドドンッと太鼓の音が響き渡る。
貴族席からも黄色い声援が飛んだ。彼女たちのドレスに黒、赤、青、紫色が多いのには理由がある。目当ての騎士の色を身につけて応援しているのだ。
スノー騎士団は、通常時は白い騎士服を着用するが、馬上槍試合では一目で所属が分かるよう、第一騎士団は黒、第二は赤、第三は青、第四は紫色を着用する。愛馬にもそれに合わせた鮮やかな織布を被せる。これにより外部者もすぐ見分けられる。
目当ての騎士団の色の服を着た観客から、華やかな騎士たちに次々と歓声が送られる中、ジャックの開会の挨拶が響き渡った。
「これより、第三十九回、馬上槍試合を開始する!騎士の精神に則り、正々堂々、名に恥じぬ試合を!」
ジャックの呼びかけに応じ、「おお!」という地鳴りのような声が騎士たちから上がった。観客の声援と拍手で一層、高揚感が増していく。
「始まったわ。怪我だけは気をつけて」
馬上槍試合には死傷者がつきもの。王族の人間でさえ数名亡くなっている。皆それだけ真剣だ。勝てば賞金、武器、女性人気など、欲しい物が手に入る。特定の騎士団に所属せず、馬上槍試合の稼ぎだけで生活している者もいるほどだ。
「大丈夫だよ。団体戦じゃなく個人戦だし、槍の先も鈍らせてあるから」
「そうね」
ベアトリスの肩を抱き安心させるよう微笑むと、少しだけ肩の力が抜けるのが分かった。
多数の死者が出る団体戦は今では禁止となり、槍もより脆く安全なものに代わっている。相手に当たるとすぐに折れる槍で、自分の槍を多く折った方が勝つ。
腕に当たれば一点、胴体は二点、頭は三点で、先に当てたものの得点となる。同時に当てた場合は零点、やり直しもなし。
計三回行われ、合計得点が高い方の勝利となる。ただし落馬した場合はその時点で失格だ。
「第一試合、ガストン対ジョン。はじめ!」
ラッパの音とともに、試合が始まった。
渡された槍を右手に構え、六十キロ以上のスピードで走り出す馬を乗りこなし、自分の左側を駆ける相手の鎧に槍を当てなければならない。
「勝者、ガストン」
前回の勲章授与者は今日の一回戦では当たらないようになっている。加えて各騎士団の団長四人はシード権が与えられ、この第一試合は免除だ。
騎士団の上位者たちは全員が第二試合進出となったものの、ここからは、くじ運次第で誰かが勲章を逃すことになる。
「次の第三試合に勝てば、スノー勲章受勲になるわ。全員に勝ち残って欲しいけど…」
「トーナメント表を見る限り、難しそうね」
隣に座るイザベラが冷静に返す。いつものお気に入りのアクセサリーしかつけていないのが気になった。
「あなた、あんなに囲まれていたのに貰ったアクセサリーは付けてこなかったの?」
「お姉様だって」
「いや、私は既婚者だから」
「そういうの興味ないの」
「相変わらず冷めているわね」
ふいっと横を向いたイザベラに呆れながら、ベアトリスは試合に向き直った。
「第三十五試合、第二騎士団副団長ロジャー対ユーゴ」
全身真っ赤な衣装のロジャーに対し、ユーゴはオレンジ一色だ。背の低いロジャーに対し、ユーゴは頭一つ分高く見える。
キャーッと貴族席から黄色い悲鳴が飛び交った。オレンジ色のドレスを着こんだ彼女たちは、立ち上がり競技場に向けて手を振っている。
ユーゴはポール公爵家の嫡男で、見た目も良い。狙っている貴族女性が多いのだ。
「ロジャー!頑張って!」
オレンジの応援団に負けじと、見学席からベアトリスが叫ぶ。
「はじめっ!」
合図とともに馬が駆けだし、槍を持った二人が突き合う。頭を狙うロジャーの槍を素早くかわし、ユーゴが胴に槍を当てた。途端にユーゴの槍がパラパラと壊れる。
「ユーゴ、二点」
「惜しかったわ、ロジャー!次こそ勝って!」
ベアトリスの応援は会場の熱気にかき消された。次々とロジャーへ声援が飛ぶ。
「まだ一回戦だ!次で取り戻せ!」
「頭を狙え!三点だ!」
ヒートアップする応援の声に紛れ、オーウェンが人知れず呟いた。
「厳しいな」
「二回戦、はじめっ!」
審判の声で一気に静寂が戻る。ピンとした緊張感が漂っていた。
先ほど同様、猛スピードで迫る両者に会場が固唾を呑んで見守る。今度はロジャーの槍が折れた。
「ロジャー、一点」
当たったのは腕だ。大歓声が上がり、観客が拳を突き上げる。
「ようし!よくやった!」
「そうだ!次も当てろ!」
観客は部外者には厳しい。一部の女性陣を覗いては殆どがロジャーの応援だ。
「二対一ね。次で決まるわ。先に腕に当てれば同点、頭か胴に当てればロジャーの勝ちよ」
両掌を組み合わせ、祈るように対峙する二人を見つめる。
「三回戦、はじめっ!」
激しくぶつかり合った二人の槍は、どちらもバラバラに砕け散った。
「どっちが先だった?」
思わず立ち上がり身を乗り出す。
上がったのはオレンジの旗。ロジャーの応援団は、「あぁ!」と顔を覆い、肩を落とした。
「三回戦は同点により、合計点の高いユーゴの勝利!」
オレンジの旗が一斉に大きく揺れた。
拍手を受けユーゴが手を振る。
「おいおい、部外者に負けてるじゃねーか!それでも第二騎士団の副団長か!」
「がっかりだぜ!」
「相手に比べて小さいしな。仕方ないか」
リーチが長いとそれだけで有利になる。百八十センチを超えるユーゴに対して、ロジャーは百六十五センチしかなかった。
「ロジャーは一度もトーナメントで勝ち上がったことがないの。部外者が相手なら勝てるかもって思ったけど残念だわ」
ベアトリスが眉を下げて、椅子に座り込む。
「そうなんだ。団長や副団長は全員受勲しているのかと思っていたよ」
「ロジャー以外は取っているんだけどね。やっぱり身長が大事みたいなの」
だろうな、とオーウェンが内心で頷く。
周りは殆どが百七十五以上ある大柄な男たちばかり。自分より身長の高い相手の頭に槍を当てるのは難しい。となれば身長の低い騎士は必然的に腕か胴を狙うしかなくなる。攻撃の選択肢が狭まれば、勝率が下がるのは当然だ。
他の団長、副団長たちは全員、第三試合を勝ち上がった。
「本日の試合はこれにて終了とする!本日勝ち上がった者は全員、スノー勲章受勲となる。明日行われる第三試合でも名に恥じぬ試合をするように!今日戦った騎士たちに盛大な拍手を!」
ジャックの締めの挨拶により、割れんばかりの拍手が騎士たち全員に送られた。騎士たちは手を振ってそれに応え、列を作ってテントへと戻って行った。
騎士たちが集まるテント場は各団員が入り混じり、着替えや、馬の世話、武具の手入れを行っている。
ロジャーは馬に餌をやっていた。肩にかかった緩い三つ編みと、狐のような目が印象的だ。その彼にユーゴが声を掛ける。
「お疲れ様」
「お疲れ様。おめでとう。すごい突きだったね」
ロジャーはにこりとした表情で彼を称えた。
「まさか騎士団の副団長に勝てるとは思わなかったから、すごく嬉しい!スノー騎士団に入れば僕も副団長になれるってこと?」
屈託なく笑うユーゴに、周りにいた騎士たちが凄い形相で一斉に振り返った。
「さあ、どうかな。入る気あるの?」
曖昧に答えるロジャーは試合前と変わらず、にこにこと目を細めている。
「いや、ないんだけどね」
神経を逆なでされた騎士たちがユーゴを取り囲もうとするのを、ロジャーが目で制した。
「ベアトリス嬢。僕の試合見てくれた?」
ユーゴの目線の先には、ロジャーに近づいてくるベアトリスたちがいた。
騎士団員たちは、立ち上がって三人を迎え入れる。
「ええ。見ていたわ。おめでとう」
「ありがとう!スノー騎士団の副団長に勝っちゃった!しかもスノー勲章も取れちゃったし」
騎士たちのぴりついた空気をベアトリスたちも感じ取っている。そんな空気を無視して、明るい表情のロジャーが軽く首を竦めた。
「ベアトリス様、イザベラ様。すみません。負けてしまいました」
「ロジャー。いいのよ。いい戦いだったわ」
話し込む三人を他所に、ユーゴとオーウェンの視線が絡む。
「あー、僕まだ全然動けるし、もう一戦したいな!ねえ、付き合ってくれる?」
言うなり、ユーゴはつけていた手袋をはずし、オーウェンの足元に放り投げた。
ロジャーを筆頭に騎士たちが凍り付く。
それは決闘の申し込みを意味した。
「何言っているの?駄目に決まっているでしょう!」
ベアトリスが慌てて止めるが、オーウェンは面白そうに口の端を上げ、手袋を拾い上げようとした。
しかし、ひょい、とかっさらわれる。
「落ちたぜ」
ステンだった。手袋を拾い上げ、ポンとユーゴの手元に戻す。
「明日は俺との勝負だ。早く帰って寝な、お坊ちゃん。いい試合しようぜ」
ユーゴの肩をグッと掴み、優しく言い聞かせるも、その眼光は鋭く光っていた。
ユーゴは体格の良い無精ひげの男を目に映し、何事もなかったかのように笑った。
「そうですね!第一騎士団の団長さんと試合できるなんて、明日が待ち遠しいな!じゃあね、ベアトリス嬢。僕の応援もしてね!」
手を大きく振りながら去って行くユーゴを騎士団の面々が殺気立って睨みつける。
「ありがとう、ステン。助かったわ」
「いえいえ。お安い御用で」
「余計なお世話だ。叩きのめしたかったのに」
腕を組んだオーウェンに、ステンが豪快に笑う。
「それは俺たちの仕事ですよ」
頼もしいステンに、騎士たちも落ち着きを取り戻し始めた。
「大丈夫なの?」
不安げに尋ねたのはイザベラだ。ステンは大柄の体を少し屈め、イザベラと目線を合わせる。
「大丈夫ですよ。イザベラ様。俺の方が強いので」
「そう」
イザベラはホッとしたように表情を緩め、はにかんだ。




