15.馬上槍試合のパーティー
朝食は三種類のパンと、グラタン、サラダ、ハム、ソーセージ、たっぷり玉ねぎと生クリームが入ったオムレツ。ベアトリスがスプーンでグラタンを掬うと湯気が広がり、とろりとしたチーズが縦に長く伸びた。
熱々のそれを幸せそうに口に運ぶベアトリスを正面から眺め、オーウェンが微笑む。お茶を飲むオーウェンの手元には三冊の新聞が置かれていた。
『富豪宅が大火事で全焼!ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドなどが次々と焼失し残った宝石はほんの僅か!』と悲惨さを煽るような見出しが躍っている。
ざっと目を通し、オーウェンは胸にひっかかりを覚えた。火事の話題に敏感になってしまっているせいだろう。
「失礼します」
ノックの音がしてラースが顔を出した。レオが暗殺されたという。
「何ですって?」
ベアトリスとオーウェンは目を見張り、食事の手を完全に止めた。
「いつだ?」
「一昨日の深夜です。塔の中で亡くなっているのを、見張りが発見。毒殺と思われます。見張りは『急に眠気に襲われ、目が覚めた時には手遅れだった』と供述しています。牢の鍵はその見張りが持っていました」
「私たちがパーティーをした日の夜ね」
戸惑う二人とは違い、ラースは淡々と報告を続ける。
「レオ殿下のお顔の傷は抵抗した痕だと見られていますが、それ以外には目立った傷や苦しんだ様子もなかったそうです。むしろ幸せそうに笑っていたと」
「笑って…?」
不気味なその様子を想像し筋が寒くなった。思わず腕を両手で擦る。
今更、レオを殺す必要があるかしら?口封じ?恨み?
ちらとオーウェンの顔を伺うと、いつも通りの表情に戻っている。視線に気づいたオーウェンが表情を和らげた。
「大丈夫だよ。一度、家に戻って来るね」
お葬式は家族だけの小規模なもので、教会の外にひっそりと埋められた。
元王太子にしては寂しい最後だった。
☆
「恒例のスノー騎士団、馬上槍試合を開催する。試合は二か月後、場所は両家の真ん中に位置するレント広場で行う」
受け取った父ジャックからの手紙には、そう書いてあった。領土が広がったことで、新たな騎士を探し出す気なのだろう。
スノー騎士団は国でも指折りの強者ぞろいで、中でも上位の十六名に与えられる「スノー勲章」は騎士の憧れとなっている。
参加可能人数は五百人。国内外から腕自慢の騎士たちが集まり、名誉と賞金をかけて熱戦を繰り広げる。
事前のトーナメントで勝ち上がった上位、六十名の試合は公開で行われ、観戦人数も増え続けている人気のイベントだ。
さっそく報告がてら、ラース、ウノ、マットの三人の騎士を夕食会に招待した。
「猛者が集まると思うけど、怪我には気を付けてね」
「はい!」
三人は興奮した様子で、夢中になって話し込んでいる。騎士にとって槍試合ほど楽しみなものはないのだろう。
彼らの左胸についている雪の結晶のバッジが「スノー勲章」を授与された証で、このバッジの多さが勝利数を表す。ラースは七つ、ウノは五つ、マットは二つ付けている。
楽しそうな三人を横目にオーウェンが口を尖らせた。
「俺も出たいのに」
「あなたが出てどうするのよ。名誉と多額の賞金で騎士の士気を高めて、尚且つ新しい騎士を雇うのが目的なのよ?」
こそっと正面に座るオーウェンだけに囁く。
「俺もベアトリスにカッコいいところを見せたかった」
「はいはい。十分カッコいいわよ」
「思ってない!」
じゃれ合う二人をウノは面白がり、ラースは無言で流し、マットは肉へと目を移した。
☆
槍試合を一週間後に控えた今日の事前パーティーには、騎士や年頃の令嬢たちがこぞって集まってくる。
「ベアトリス。今日のパーティーでそんなにお洒落する必要あるかな?」
パーティー用に新調した紺のドレスに、ゴールドのアクセサリーを身につけたベアトリスに、オーウェンが眉根を寄せた。
「あるわよ!領主の妻が気の抜けた服装なんてできないでしょ」
十二センチのヒールを履いたベアトリスは、いつもより迫力がある。
「心配いらないわ」
「じゃあ、キスして」
「駄目よ。口紅が落ちちゃうでしょ」
むうと頬を膨らますオーウェンの腕を両手で掴み、ホールへ移動するよう促しながら耳元で囁いた。
「終わってからね」
煌びやかな大ホールに入りきらないほど人が集まり、始まりを待っている。騎士たちも今日ばかりはフォーマルなスーツ姿でビシッときめ、緊張気味だ。
令嬢たちが競うように華やかさを振りまき、声を掛けられるのを待っている。そわそわと落ち着かない熱気が会場に充満していた。
「やっぱり馬上槍試合前のこのパーティーだけは別格の雰囲気があるわね」
「まあ言い換えれば公開の婚約者探しパーティーみたいなものだからね」
このパーティーでは騎士たちが好きな女性に贈り物を渡すのだが、本命がいない騎士は領主の夫人に渡す人が多い。つまり今日、ベアトリスは沢山の男たちから贈り物を受け取ることになる。
その為、朝からオーウェンは機嫌が悪かった。
「我がスノー公爵領とマクレル公爵領の馬上槍試合にご参加いただく諸君。よく集まってくれた。健闘を祈る!」
ジャックの挨拶でパーティーが幕を開け、ベアトリスはオーウェンと二人、壁際で騎士たちの恋のやり取りを楽しむ。人気の令嬢には一瞬で人だかりができた。
「ベアトリス様。こちらを受け取っていただけますか?」
最初にベアトリスに声を掛けてきたのはラースだった。真剣な声音に、ぴくりとオーウェンの片眉が上がる。
「ラース。まあ、綺麗な髪留めね。ありがとう。嬉しいわ」
「ベアトリス様の為に勝ちます」
「ええ。楽しみにしているわ」
それを皮切りに次から次へと騎士たちがベアトリスの元にやってきては、思い思いの贈り物を差し出してくる。基本的に受け取るのがマナーだ。
他の男から嬉しそうにアクセサリーを受け取るベアトリスを、どうして見続けなければならないのか。
こんなクソ文化、なくなってしまえ!
途中で耐えられなくなり、控室に逃げ込んだ。しかし、今も声を掛けられ続けていると思うと居ても立ってもいられずすぐに控室を出る。まだ隣にいた方がマシだ。
「オーウェン殿下!」
部屋を出た瞬間、廊下の先から一人の女が声を掛けてきた。
確かベアトリスの後輩が連れていた友人だったか…。
「シャーロット嬢、でしたかね」
「嬉しい!覚えていてくださったのですね!」
花が咲いたように、ぱあぁと目を輝かせ、目の前まで寄ってきた。
「何かお困りごとなら使用人に声を掛けましょう」
「あ、いえ。オーウェン殿下の姿が見えたので先日のパーティーのお礼をと」
「お礼は結構。妻に誤解されると困るので、話なら会場の中で妻といる時にお願いしたい」
素っ気なく通り過ぎようとするオーウェンにも、シャーロットはめげない。立ちふさがるように前に立ち、大きな瞳でオーウェンを見上げる。
「あ、あの、私のこと覚えてないですか?ほら、オーウェン殿下の留学先で何度か一緒にお食事をしたことがあるんです。私あの時のことが忘れられなくて。まさかまたお会いできるなんて」
「ええ。社交の一環で参加した大勢の食事会に確かにあなたもいましたが。すみません。もう行かなくては」
頬を染めるシャーロットを一人残し、足早に去った。
ベアトリスの姿を見つけ、すぐに駆け寄り腰を抱く。しかし、これくらいの虫よけでは、騎士たちが立ち去る気配は一向にない。
「ベアトリス王太子妃。ずっとお慕いしておりました」
「僕の愛を受け取ってください。歌います」
「あなたのことを考えると夜も眠れず。恋の奴隷となった哀れな男にどうかご慈悲を」
三者三様の口説き文句を放つ騎士たちを、疲れも見せずに相手するのもそろそろ限界だ。ベアトリスが切り上げようとしたところ、知った顔の男が顔を覗かせ片手を上げた。
「やあ!」
「ユーゴ!何で?」
ベアトリスとオーウェンの声が被る。
「僕も参加するんだ!」
「だから、どうして?」
「馬上槍試合をやるって聞いたから!だからこれを受け取って欲しい」
すっと開いて見せた箱の中には、サファイアの指輪が入っていた。
「ベアトリス嬢がルビーの指輪を嵌めているのを見て、僕も指輪を贈りたくなったんだ」
…こいつ!
オーウェンは唇を噛み、ユーゴを睨みつけた。
サファイアはルビーと同じ「コランダム」という鉱物から生まれる。深紅のものをルビー、それ以外をサファイアと呼ぶ。通常はルビーの方が高価だが…。
「すごい!こんな深い蒼のサファイアは見たことがないわ」
それだけ希少価値が高いということだ。このイベントで何を贈るかは財力のアピールになる。
わざわざ張り合ってきたってか?
「あなたねえ、こんな上等の物はお目当ての女性に贈りなさいよ」
「贈っているけど?ベアトリス嬢には蒼も似合うと思うんだ!良かったら、付けてみていい?」
いいわけないだろ!
オーウェンはカッとなり、指輪が入った箱を閉じて山積みのアクセサリーの中にぽんと置いた。ベアトリスの肩を抱いて引き寄せる。
「すみません。他の方も待っているので」
「そうだね!じゃあまた試合でね!すっごく楽しみにしてるんだ」
動じた様子もなく、片手を上げて去って行く後ろ姿を視線で刺した。
パーティーが終わるとすぐ楽な衣装に着替え、オーウェンと横並びのソファにぐったりと座りこむ。ミント入りの紅茶でスーッと落ち着いた。
「美味しい!あなたも飲みなさいよ。疲れが癒えるわよ」
勧められた通りに口に含むと、確かにすっきりして、正直に声が出る。
「こんなイベントいらない」
年頃の男女にとってはいいかもしれないが、既婚者にとってはたまったもんじゃない。ここから不倫が始まることもしばしばある。それでなくても貴婦人と騎士の不倫は多いのに。
「それには同意だわ」
天を仰いだベアトリスに、オーウェンの独占欲が湧き上がる。
「ねえ、キスしたい」
オーウェンと視線が絡み、自然と目を閉じた。いつもの触れ合うだけのキスではなく、貪り合うようなキスだった。




