13.領主としての第一歩
ジャックの提案で、新しくオーウェンが領主となったマクレル公爵領を、二人で管理していくことになった。元々はレオが管理していた領地である。
領内にあるアリティ城に移り住むのに馬車を二十七台も要し、三日かけて移動した。
漸く辿り着いた目の前のお城に一目で心を奪われる。
「綺麗なお城ね。真っ白でロマンティックだわ。中も金がふんだんに使われているし」
「そうだね。俺が住んでいた王城によく似ている」
使用人が持ち物を手早く中へ運んでいく。
結婚の持参金は王家から奪ったばかりの土地、銀製品、軍馬、防具、武器などを用意した。
「何もいらないって言ったのに…」
「そういう訳にはいかないわ。こういうことはちゃんとしておかないと。あなただって私に色々くれたじゃないの。おかげで大金持ちよ」
オーウェンからは上位貴族の年収の四十倍以上の額を貰った。その他、ドレスや宝飾品など日常で使う物の保証、寡婦になった場合の年金の支払いなどが細かく取り決められた。
勿論、オーウェンがそんなお金を持っているはずもない。これは以前、ジャックが国王陛下から奪い取ることに成功したお金で支払われている。つまりジャックからオーウェンへのお礼というわけだ。
「ベアトリスと二人で新婚生活を満喫できるなんて夢みたいだ」
屈託なく笑うオーウェンにドキッと胸が高鳴り、ベアトリスは固まってしまう。
新婚×新居×二人きり=初夜!
頭が爆発しそうで、折角の晩餐の味が殆ど分からなかった。
メイドたちに隅々まで綺麗にしてもらい、緊張で張り裂けそうに待つ。薄手の夜着姿は今までも見せたことはあった。準備して待っていました感は出ていないはずだ。
後は緊張を押さえるだけ!普通に!自然に!
オーウェンは部屋に入ってくるなりベアトリスを優しく抱きしめた。
ドクン、ドクンという胸の音が大きくなる。緊張でガチガチのまま、ギュッと目を瞑って待った。
オーウェンはそんなベアトリスの頬にキスをし、こつんと額と額を当てた。
「本当はこのまま押し倒したいけど…。病気に感染していないとは言い切れないし、半年間、手を出すのは我慢するよ」
「えっ…!あ、そ、そうね」
急に力が抜けたベアトリスに、オーウェンが少し目を細める。
「ほっとした?」
「ベ、別にっ?」
ふふ、とオーウェンがベアトリスに抱きつく。
「あと半年だけ我慢する。その間に俺に抱かれる覚悟を決めといてね?」
耳元で囁かれ、「ヒー!」と心で叫ぶ。
それまでに、俺を好きになってもらわないと…。
ベアトリスの髪を愛おしそうに梳き、その日は同じベッドで眠った。
翌日、領地の視察に向かうと、市街地には人が集まり活気がある一方、少し離れるとスラム街があり孤児や浮浪者がうろついている。悪臭が漂い、鼠が這っていた。
ベアトリスは馬車の中で頭を抱える。
「格差が激しいわね。こちら側はほとんど管理されていないわ」
「以前にあった川の氾濫から、まだ完全に回復できてない地域もある。堤防が必要だね。それに橋も。七十年も経つのに検査した記録がない。管理の仕方次第では架け替えも検討しないと」
幸いだったのは国税調査の台帳があったこと。家族構成、作物の収穫量、家畜の所有数などが詳しく載っている。それによると人口はおよそ百五十万人。状況を把握し、各税の適正値を見極める必要があった。
「農民から多く取り立てて、富裕層からはそれほど取っていないところを見ると、見返りに何かを貰っていたんだろう」
「ありうる…。自分たちのことにしか興味がないものね。でも私たちならできるわ!オーウェン、私たちで公爵領を蘇らせるわよ!」
領地を移り住む際、ジャックは第二騎士団の半数と、第四騎士団を同伴させてくれた。彼らにも領民の管理を手伝ってもらう。
「ベアトリス様。オーウェン様。改めてお世話になります」
「ラース、ウノ、マット!よく来てくれたわ。問題があればすぐに教えてね」
「俺たちにかかれば、このくらいチョロいもんです」
頭の後ろで手を組んだウノが「な?」と二人に同意を求めた。マットはただ頷き、ラースは丁寧に頭を下げる。オリーブ色の短い髪が小さく揺れた。
「ベアトリス様が管理される土地ならば、私がしっかりとお守りしてみせます」
「ありがとう。三人とも。頼りにしているわ」
オーウェンはその様子をじっと観察する。騎士には貴婦人を重んじる精神があるが、ラースのベアトリスを見る目は、それを超えている気がする。
ぴりっと毛が逆立った。これ以上は見ていられない。
「では早速、仕事に取り掛かってくれるか?」
「かしこまりました」
騎士たちは預かった土地に住む農民たち凡そ千五百名と契約を結んだ。土地で何かあれば騎士たちが守ってくれる。
一方、城を挟んで領地の南側にいるベアトリスとオーウェンは教会に挨拶に行った後、各ギルドを訪問していた。今までより高い税の導入に、敵意こそ隠していたが納得はしていないようでチクチクと責められる。
「こんなに取られたら街全体が貧しくなります。皆、お金を使わなくなりますからね」
「税の収入分は街に還元する。貴殿が心配している街全体を良くする為に必要なのだ」
逆に甘言で誘う者もいる。
「滅多に入らない貴重な宝石です。ルビーにサファイア、エメラルド。どうぞお好きなものがありましたら私から新しいご領主様に最初の贈り物です」
「結構」
掌を見せ、すぐに断る。
こちらは農村地区とは違い、道行く人の服装や食べ物も質が良い。しかし一歩、狭い路地に足を踏み入れれば浮浪者たちが道に寝ている。
「ねえ、お姉ちゃん。食べ物ちょうだい」
ベアトリスが浮浪児に取り囲まれそうになるのを、オーウェンがすかさず遮った。十歳にも満たない男女が七人、ベアトリスとオーウェンを見上げている。がりがりに痩せた腕に、膨らんだお腹。飢餓になると逆にお腹が出るのだと聞くが、実際に目にするのは初めてだった。
「腹が減っているのなら城に来ればよい。パンをやろう」
「今欲しい」
彼らの目が嘘つきと言っている。
「嘘ではないわ。あそこにある城が見える?いつでも来なさい」
歩いて五キロほどの場所に建つ城を指さす。城門はもっと手前にあるので、彼らでも歩いていけるだろう。
疑わし気な視線を投げかけながら、彼らは城へと我先に向かって行った。
「あんなになるまで放置するなんて。きっと何も施しをしていなかったのね」
前領主であるレオの歪んだ顔が頭に浮かぶ。
神の教えに従えば、領主が貧困民にパンや食料を施すのは当然の行いである。施しをしないのは信仰心の薄さを表していた。
王家と教会はべったりの関係だったはずだが、信仰とは関係ない部分で結びついていたようだ。
帰りの馬車の中、窓の外では建物が夕日で赤く染まっている。荘厳な教会のステンドグラスに光が当たり煌めくのを見て、ベアトリスは先程会った教会のトップの顔を思い出していた。
フランクリンと名乗ったその男は、狸爺というのがぴったりで、胡散臭い笑みを浮かべて出迎えてくれた。手にはごつごつした宝石が趣味悪く光っている。
教会と結びつくことで王家は権威を手に入れ、逆に教会側は手厚い保護を受ける。
その一番の悪例が、王家が薬の取り扱いを資格制にしたことだ。
合格者の殆どが教会の人間で、教会は薬の独占販売権を得たに等しかった。資格なしに薬を取り扱った者は魔女として処刑の対象となり、大勢が犠牲になったのは記憶に新しい。
あれは、オーウェンの祖父の代だっただろうか。
「先は長そうね」
「ああ。でもベアトリスがいてくれてすごく心強い。それだけで何でもできそうな気になれる」
オーウェンはベアトリスの左手に自分の右手を重ね、それ以上は何も言わなかった。
ベアトリスも同じ気持ちだった。
オーウェンが領主で良かった。今まで自分の手柄ばかり求めていたけれど、その考えはトップには相応しくない。チームの為を考えられる人間がトップに立つべきなのだ。
ベアトリスは、チーム全体を考えて行動できている今に充実感を覚えていた。オーウェンに対しても信頼の気持ちが芽生えている。
「お前はまだ領主の器ではない」何度も聞いたセリフが蘇る。
ジャックが教えたかったのは、きっとこういうことだったのだろう。
赤色と紺色が入り混じった空を眺めながら、ベアトリスはいつの間にか眠りに落ちていた。




