10.恋愛感情
久々に戻った自室で、解放感に大きく伸びをする。フカッとしたソファに、香りの良いお茶。やっぱり我が家は最高だ。
ベアトリスが隣に座るオーウェンを褒めた。
「オーウェン!あなた、やるじゃない!もう駄目かと思ったわ」
「もっと早く助けたかったんだけど、現地からの報告書がなかなか届かなくて…。無事で良かった」
急に抱きしめられ、ベアトリスは目をぱちっと瞬かせた。
…え?この状況は何?
「だ、大丈夫!ありがとう」
手で制し慌てて離れると、オーウェンは寂しそうな顔をした。
「抱きしめたら駄目だった?もう一回ちゃんとベアトリスを感じたい」
手を取られ、懇願される。
あなた一体、何の勉強してきたのよ!
「会いたかった、ベアトリス。やっと会えた」
許可していないのに首に手を回され、すっぽりと包み込まれる。
大丈夫よ、ベアトリス。犬や猫だと思えばいいのよ!
そう言い聞かせて、少し早くなった心臓を落ち着かせる。
「ねえ、ベアトリスは俺に会いたかった?」
急に至近距離で目が合った。知らない男の顔だ。もう彼は子どもではないと自覚した途端、ドクンと心臓が跳ね上がる。
やっぱり、無理!
「あなた、本当にあのオーウェンなの?全然違うじゃない!」
恥ずかしさを誤魔化す為、目を逸らす。
「そうだよ。ねえ、やっと会えたんだから俺を見て」
「いやいやいや!私たち、ただの政略結婚で、そんな色っぽい関係じゃなかったでしょ?」
オーウェンが、さらに抱きつこうと伸ばしかけた手をぴたりと止めた。しょんぼりと頭を下げる。
「…俺たち、結婚するよね?」
「え、ええ」
「俺はベアトリスが好きだよ。ベアトリスは俺のこと嫌い?」
こてんと首を傾げたオーウェンに、目をシパシパさせた。
…好き?好きって何?
「それとも俺がいない間に恋人でもできた?」
ベアトリスの首に添えた手に力がこもる。顔を覗き込むと、彼女はフイッと小さく横を向いた。
「そんな暇ないわよ」
「良かった!ベアトリスが『年上で地位があってお金持ちで顔が良くて強い人がいい』って言うから、年だけは無理だけど他はちゃんと頑張ったよ?それでも俺じゃ駄目?」
そういえば、そんなこと言ったような…。脳内を探るとぼんやりと記憶が浮かび上がってくる。
「あのねえ、私の理想になってどうするのよ!言ったでしょう?自分の意思で生きなさいって」
「生きているよ。今の俺は全部自分の意思で生きている。ベアトリスのおかげだ。俺はベアトリスと結婚して二人で幸せになりたい。俺はベアトリスが好きだから、ベアトリスにも俺を好きになって欲しい」
表情からベアトリスの戸惑いを感じ取り、パッと手を離した。
「今日は疲れたでしょう。明日の朝また会おうね。おやすみ」
手にキスをして、別人ように紳士になったオーウェンは部屋を出て行った。その後ろ姿を呆然と見送る。
吃驚した…!いや誰よ、あなた!好きって?
心臓の音が大きい。熱くなった頬をベランダで冷ます。
星を見るのも、外の空気を思い切り吸うのも久しぶりだ。手すりに体を預けて頬杖をつく。
これまで恋愛に縁などなかったし、そもそも恋愛感情を抱かないよう生きてきた。
十三の時、一度だけときめいたことを思い出す。
とても優しい先輩で、よく話しかけてくれた。浮かれて帰ったベアトリスにジャックが釘を刺す。
「いいか、ベアトリス。優しい男ほど気をつけろ」
その言葉通り、彼が友人と話していたところに、たまたま通りかかってしまったことで彼の真意を知る。
「スノー公爵家の令嬢に執心しているって聞いたぞ」
「はは。そりゃそうだろう。大諸侯の一人だぞ。婿になればその全てが俺のものになるんだ。そりゃ優しくするさ」
「悪い男だなー」
よくある話だ。女が跡を継ぐというのは、こういうことだ。
誓って言うが好きだったわけではない。ただ優しくしてくれる人が他にいなかったから嬉しかっただけ。
それでもこういう言動は傷ついた。
ベアトリスはこれを機に恋愛から興味を無くす。盲目ほど恐いものはない。少しの油断で全てを失ってしまう。
しかし結婚はしなければならない。万が一ジャックがいなくなれば後ろ盾がいる。女性というだけで裁判が不利になるからだ。何より跡取りがいる。
オーウェンのように純粋に好きだと思える感情は、そもそもベアトリスにはもうなかった。




