1.最低で最良の結婚相手
「嫌です。どうして私がそんな相手と結婚なんて。絶対に嫌!」
「落ち着きなさい、ベアトリス」
静かにティーカップを置いた父ジャックとは対照的に、ベアトリスは興奮して立ち上がっている。つい声が荒くなったが、密談に使う狭い応接室には窓もなく、声を潜める必要もない。
「第二王子と結婚だなんて…。今や、王家なんて名ばかりです。どうせ結婚するのなら他国の有力貴族の方が…」
先代の王の時代から徐々に力を取り戻し始めたとはいえ、未だ権力は弱いままだ。
ジャックはベアトリスを一瞥し、座るように目で促した。静かに聞けということだ。ベアトリスはむぅとした表情のまま、ゆっくりと腰かける。
「キャンベル伯爵家の娘が王太子と結婚することになった。キャンベル家が王家につくなら、我がスノー公爵家も王家についた方が得と判断した。いいか、ベアトリス。パワーバランスは少しのことで簡単に変わるのだ」
この国はスノー公爵家、王家、キャンベル伯爵家、ポール公爵家で実質、四分割されている。言わば小国が四つ集まってできているような国だ。
打算的なジャックのこと。色々なことを加味して計算した結果に違いない。
それでも諦めきれないベアトリスは尚も訴える。
「それなら私も長男のレオ様が良いわ!どうしてカミラがレオ様と結婚して、私が次男のオーウェン様なのです?」
キャンベル伯爵家のカミラとはあまり仲が良くない。なんだか負けた気がする。何よりも――。
「大体、オーウェン様はまだ十三歳じゃないですか!私はもう十七ですよ?」
相手が十歳以上も年上なんて話はザラにあるが、四歳も年下と結婚するなんて話は聞いたことがない。妹のイザベラと同じ年ではないか。
十三歳って何だ?私は年上がタイプだ!
「仕方がないだろう。お前は我が家の後継ぎで、カミラ嬢は次女なのだから。それにお前たちの結婚は、レオ様とカミラ嬢が結婚してからだ。その頃にはオーウェン様も立派に成人しているさ」
「そういうことではなく!私の理想のタイプは、年上で地位があってお金持ちで顔が良くて強い人です!十三歳じゃ何一つ持っていないじゃないですか!」
「そんな都合の良い相手がどこにいる?いるならさっさと見つけて婚約まで取り付けて来てみせろ」
白い目で見られ、ググッと唸る。確かにどこにいるかと聞かれると脳内にいるとしか…。
ジャックが打って変わって優しい声音で語りかける。
「ベアトリス。結婚までまだ二年ある。その間にオーウェン様をお前の理想の男に育て上げればいいじゃないか」
ジャックの言葉に目が点になった。
……育て上げる?
初恋もまだの私が?
「…お父様。それは遊びつくした人間が、最終的に辿り着く恋愛の極致です。私を何だと思っているのです?」
「知るか。早速だがオーウェン様が我が家の昼食会に参加する。いいか、ベアトリス。お前だけが判断するんじゃない。相手も同じようにお前を評価していることを忘れるな。しくじるなよ」
ジャックに凄まれ、さっきまでの威勢が消える。
……確かに。オーウェン様から見れば四つも年上の私なんて、それこそ対象外じゃない?十三歳に振られるなんて、絶対に嫌!
☆
昼食会の装いは、淡いピンクのドレスに、薄いメイク、自慢の金髪は巻いてハーフアップにした。幼さを残すよう侍女に頼んだはいいが、見慣れない自分に戸惑ってしまう。
はぁ。気が晴れないわ。急に嵐になって昼食会が中止になったりしないかしら。
望みも虚しく、吹き抜けの玄関ホールでジャック、母アイリスとともにオーウェンを待つ。その後ろには使用人達がずらりと並んでいる。窓ガラスからたっぷりと日差しが入り眩しかった。
従者を一名連れたオーウェンが姿を現すと、使用人たちが一斉に頭を下げた。
これが私の結婚相手…。
ふわりとした金髪に、印象的なグレーの瞳、成長途中の華奢な体が目に入る。五センチのヒールを履いたベアトリスの目線より、オーウェンの頭のてっぺんの方が低い。
「ようこそいらっしゃいました、オーウェン殿下。スノー公爵家一同、心待ちにしておりました」
人好きのする顔でジャックが挨拶をし、ダイニングへと案内する。
カトラリーが整然と並べられたテーブルの上には、花とキャンドルが飾られ、見目の良い男性の使用人たちが壁側に並んでいる。
ベアトリスはオーウェンの向かいに座るが、目も合わなかった。気にせずナプキンを広げる。
「オーウェン殿下、どうぞ我が家と思ってお寛ぎくださいね」
母の言葉にオーウェンは笑顔で礼を言った。
ふと、彼の隣に座る従者と目が合う。穏やかな雰囲気を纏った彼は、にこりと微笑んだ。黒い長髪を一つに縛り、オーウェンより二十センチは高いであろう背丈をした彼は、パトリス伯爵家の三男だという。
「私まで同席させていただき、ありがとうございます」
「トロイ様はオーウェン殿下のご友人ですもの。当然ですわ」
私より十歳ほど年上かしら?どうせ結婚するなら、こちらが良かったわ。
ちらりとオーウェンに目をやる。
見た目や服のセンスは悪くないし、マナーも身についている。
しかし、どう見ても子どもだ。正直こんな子どもと結婚なんて考えらえない。
何とか破棄しないと!
食事が終わり、父が二人で話し合う場を設けると言い出した。応接室に向かう途中、ジャックにだけ聞こえるように小声で話す。
「ちょっとお父様!結婚前の男女が二人きりで密室に入るなんて」
「誰も十三歳に手を出したなんて思わないさ」
「私が手を出す側ですの?」
問答無用と室内に押しやられ、オーウェンと向き合って一人がけのソファに座った。テーブルの上には湯気の立った紅茶が二つ置かれている。窓もなく薄暗い照明のおかげでそれ程、気まずさはない。
ここは年上の私がリードしてあげなくてはね。
「我が家の料理はお口に合いましたか?」
「ああ。思ったほど悪くはなかった。でも貝は嫌いだ」
足を組んでふんぞり返ったオーウェンは、ぷいと顔を逸らした。
湧き上がりかけた怒りを、年上の余裕で抑え付ける。
「まあ、そうでしたの。伝えておきますわ」
ほほほ、と扇子で口元を隠す。
「しかしお前はラッキーだったな。王家の人間と結婚できるなんて」
ふんっと鼻で笑ったオーウェンに、ぶつん、と何かが切れた。すっと笑顔を消す。
「…ラッキーだった?お前との結婚が?思い上がるなよ、数十年前までほぼ死に体だった王家ごときが」
吐き捨てたベアトリスの眼光の鋭さに、驚き過ぎて声を出すのも忘れる。口をあんぐりとさせ間抜け面になったオーウェンに尚も畳みかけた。
「いい?王家よりも我がスノー公爵家の方が力を持っているの。武力で勝てないから、あなたの父親は私との結婚を進めたいの。分かる?」
「……はい」
ベアトリスの余りの迫力に、思わず頷いた。
「分かればいいの」
うふふ、と笑顔を作り直す。
オーウェンはしばらく呆然としていたが、我に返った途端カッとなる。生まれてから今までこんな暴言を吐かれた事はなかった。
「お前!ふざけるな!王家を貶すなど、不敬罪で処刑だぞ?父に訴えてやる!」
「やれるものなら、やってみなさい。そんなことをすれば王家と我々スノー公爵家が軍事衝突するわよ。どちらが勝つと思う?」
口の端を上げ、オーウェンを見据える。何も言わないオーウェンを確認し、さらに追い打ちをかけた。
「我々スノー公爵家が勝つわ。あなたのたった一言のせいで王家の権力はまた弱まってしまうわね」
「は?お、俺じゃない!お前が侮辱したんだろ!」
「でもあなたが黙っていれば問題にならなかったわ。告げ口したあなたの責任よ」
それだけ言うと、すっかり温くなった紅茶に口をつけた。
「そ、んな、滅茶苦茶な…!それに戦争になったって王家が勝つに決まっている!我が家には優秀な兄上だっているんだからな」
「ああ、レオ殿下ね。どうせ結婚するなら、あなたみたいなお子ちゃまよりレオ殿下の方が良かったわ」
ベアトリスが流し目で見やると、オーウェンは顔を赤らめ、手のひらを握りしめた。
「そんなこと、お前に言われなくても分かっている!兄上は将来この国を治める人間だ!誰よりすごい人なんだぞ!そんな兄上がお前みたいな女と結婚する訳ないだろう!」
ベアトリスはため息をつく。
「…まだ分かっていないようね」
扇子をぱたんと畳んでベアトリスが立ち上がると、オーウェンはビクリと体を震わせ、両腕を前にして防御の態勢をとった。
「来るな!」
ベアトリスはオーウェンが座るソファの背にそっと右手を置いた。
逃げ道を塞がれた状態で目の前に立つベアトリスに顔を覗き込まれ、冷汗が流れる。
「国を治めるなんて大げさだわ。王家の領土より我がスノー公爵家の領土の方が広いのよ?」
「それは元々王家の領土だ!お前たちが王家から勝手に奪ったんだろうが!返せ!」
「奪っただなんて。力を無くした王家に代わり管理してあげたのよ?感謝してほしいくらいだわ」
ベアトリスはくすりと笑い、オーウェンを見下ろす。
「いーい?この世界は力が全てなの。王家、王家って過去の栄光にいつまで縋っているの?時代は変わっているのよ、坊や」
「…坊や」
「そうよ。十三歳の坊やのあなたを私が貰ってあげる。あなたはラッキーよ!王家を凌ぐ力を持つこのスノー公爵家に婿入りできるのだから。あなたの自慢の兄より立場が上になるのよ」
「いい加減にしろ!俺なんかが兄上より上な訳ないだろう!」
ベアトリスは再度、気づかれない程度のため息をついた。
「いい加減にするのは、あなたよ!」
オーウェンのネクタイをグイッと引っ張って顔を近づけると、タジッと怯むのが分かった。
「あなたはスノー公爵家の婿になるの!その自覚とプライドを持ちなさい!俺なんか、なんて二度と口にしないで。いいわね?」
オーウェンは視線を逸らし、こくりと小さく頷いた。心なしか来た時よりも小さく見える。
『育て上げればいいじゃないか』
ジャックの言葉を思い出し、なるほど、と内心で頷いた。
婚姻により関係を繋ぐのは、裏を返せば信頼していない証。つまり婿入りしてくる人間は王家のスパイに等しい。
そうであるならば無能であればある程、こちらとしては都合が良い。頼りなさげに俯くオーウェンは、まさに理想と言えた。
どうりで父が勧めるはずだ。気の毒に、と今度はオーウェンに少しだけ同情を寄せる。
仕方がないわね。分かったわ、お父様!この十三歳の坊やを、立派なスノー公爵家の人間に育て上げて見せるわ!




