幕間 ノアリと剣
……それは、ノアリの誕生日から数日が経った頃だった。最近では、ノアリは以前にもましてちょくちょく遊びに来るようになった。家同士があの件以来さらに仲が良くなり親についてきたり、時にはひとりで。おとなしかった彼女は、次第に活発な姿も見せるようになっていった。
この日、俺は先生の剣の鍛錬の日だった。見るだけというのはつまらないだろうに、ノアリはよく俺の剣の鍛錬を黙って見ている。最初のうちは見られながらというのはやりにくかったが、最近は慣れたものだ。
そして休憩となり、俺と先生、ノアリにキャーシュは、庭に設置されたテーブルで、アンジーの淹れてくれたお茶と、茶菓子を口にしていた。
そんなときだ、ノアリから予想もしていなかった言葉が出てきたのは。
「ね、ねえヤーク……わ、私もそれ、やってみたい」
「それ?」
ノアリの視線は、俺の木刀に注がれている。それ、がなにを意味しているのか、考えるまでもなかったが……一応、確認。
「……剣か?」
「うん」
俺は、驚いていた。今までノアリは、こうして剣の鍛錬を見ることはあったが、こうして剣に対して興味を示すようなことはなかったからだ。
ただ、暇つぶしに見ているだけだと思っていたのだが……
「ほぉ……ノアリ様は、剣に興味が?」
「……」
ノアリの言葉に、興味を惹かれたらしき先生。その質問に、ノアリは何度もうなずく。首が取れてしまわないか、というほどに。
だが、今までそんな素振りは見せなかった。なにか、心境の変化があったのだろうか。
それを見て、先生は顎に手を当て、何事か考えていて……
「先生?」
「ふむ……悪くないかもしれませんね。ノアリ様には元々、素質がありそうだとは思っていました」
そう、答える。え、そうなのか?
「ヤークと遊んでいるときのノアリ様の動き……遊びではあったとはいえ、決して悪くないものでした。それに、ただ興味本位で言い出した、というわけではないようですしね」
ほぅ、さすが先生だ……俺には到底気づかないところを、よく見ている。確かに思い返せば、ノアリはおとなしめの性格のわりには活発なところがあるし、動くのが好きそうだった。
ノアリが剣、か……はて、想像もできないな。
「その……私も、ヤークと一緒に……剣を教えて、ほしい……ください!」
「……」
ノアリが、先生に頭を下げる。今ノアリ自身が言ったように、先生に教えを乞いたいということだ。こんなノアリ、初めて見た……それほど、剣をやりたいのか?
真剣なノアリの姿に、先生の視線も真剣みを増していく。
「……ひとつ、聞きます。ただ剣を振るうだけなら、私に頭を下げる必要はありません。自分で見て覚えるなり、ヤークに教えてもらうなり、やり方はいくらでも。それなのに、私に頭を下げる理由とは?」
……先生の、言うとおりだ。たとえばノアリが、思い付きで剣を習いたいと思うなら、ここまで真剣に先生に頭を下げることはない。ノアリは、思い付きでこんなことを言う子ではないし、それは先生自身が言っていたことだ。
わざわざ先生に教えを乞うということは、本格的に剣を覚えたい……強くなりたいということだ。その理由が、俺にはわからない。
「……強く、なりたい、んです」
「……なにか、あったのか?」
ノアリの、絞り出したような言葉に、思わず口を挟んでしまう。強くなりたい……実際にノアリの口から聞くと、俺の知らないところでノアリになにかあったのだと、伝わるようで。
「……私、ヤークに守られて、ばかりで」
「へ?」
唐突に、俺の名前が出てきて驚く。それは、ノアリが強くなりたいと決意した裏側には俺の存在があるってことだ。
しかし、俺に守られてばかりって……
「……もしかして、この前の『呪病』事件か?」
「……うん」
例の『呪病』事件……世間では父上がひとりで解決したことになっており、そこに俺が関与していることを知るのはごくごく一部だ。『呪病』患者だったノアリや、先生だってそうだ。ノアリの両親は知っているが、ノアリ本人にはまだ言っていない。
キャーシュには伝えたわけではない。ほとんど蚊帳の外だったんだし、わざわざ伝える必要はないと判断したが……賢い子だ。周囲の反応で気づいているだろう。
さて、それはそれとして、だ。
「けど、あれは呪いだ。それと剣と、どういう関係が……」
「ヤーク、まずはノアリ様の言葉を聞きましょう」
疑問は、やまない。それを見越してか、先生が待ったをかける。
俺としたことが、つい……そうだ、まずはノアリがどういう気持ちで、どういう思いでこれを切り出したのか、聞かないとな。
「この前のこと……だけじゃ、ない。ヤークは、私にできた初めての友達。ヤークがいなかったら、私はいまだにひとりぼっちだったかもしれない……それに、ヤークと友達になっていなければ、今私はここにいなかった」
「それは……」
思わず口を挟みそうになり、咄嗟に閉じる。初めての友達は、俺だって同じことだ。だが、先生の言うように全部聞こう。
「私は、ヤークに守られてばかり……それは、嬉しい。でも、それだけじゃイヤ。私も、ヤークを守りたい」
「……そのために、剣を?」
「いつか、言ってた。剣は、心身を鍛えるものだって。だから……」
ノアリはノアリなりに、考えていたのだろう。強くなる方法を。そして、剣を教えてもらうことを思いついた。
理屈はわかるし、その気持ちも理解したい。が、ノアリが俺に守られてばかりなんて……俺だって、ノアリに助けられているのに。
「……なるほど、わかりました。いいでしょう」
「先生?」
しばらくノアリの目を見ていた先生が、軽くうなずく。少し、笑みを浮かべている。
「ほ、本当、ですか?」
「剣を覚える……それは確かに、心身を鍛えることに繋がる。動機は人それぞれ、問題なのは本気かどうか。ノアリ様は本気のようですからね」
「じゃあ……!」
「ただし、まずはご両親の許可を取ってきてください。さすがに勝手に教えることはできません。ノアリ様はまだ小さな女の子だ……まずはご両親の承諾を取って、話の続きはそれからです」
「はい!」
ノアリが剣、とは驚いたが……こんなうれしそうな顔を見たら、なにも言えなくなってしまうな。




