さよなら
冷たい刃の感触が、首から全身に伝わる。このまま手を引けば、それだけで……命を絶つことが、できるだろう。
アンジーとヤネッサがいるから、このまま倒れても延命に持ち込まれる可能性があったが……おそらく、セイメイがそれをさせない。
今も、叫ぶ彼女たちを押しとめているからだ。先ほど学園で、大立ち回りをしたはずなのに、なおも全員を拘束するほどの力を残しているとは。
「おい。俺が死んでも、他のみんなには手を出すなよ」
「んん? カカッ、儂から手を出すことはない、向こうから向かってきた場合は知らんが……ま、主の記憶が消えるなら、儂に向かってくる理由もなかろう」
「……そうか」
残る心残りと言えば、ヤークワードが死んだことで逆上した彼女たちがセイメイに立ち向かい、返り討ちに殺されてしまうことだ。
だが、そもそもヤークワードの記憶さえなくなれば、その心配もない。
いや、そもそもヤークワードがいなくなれば、セイメイがこの時代に転生することもなくなるのだ。セイメイは、その可能性に……
……気づいていないはずが、ないか。
「どれ、最期くらい、なにか言葉でも残してやらんのか?」
それは、最期を迎えるヤークワードへの、慈悲にも思える言葉。だが、そこにそんな意味などないことは、ヤークワードにはわかる。
究極の選択を迫るためだけに、ヤークワードを救出する手助けをした男だ。きっと、愉悦を求めても慈悲などこれっぽちも与えるつもりはないのだろう。
「……いや……いい……」
それが慈悲でもそうでなくても、これまでの人生を輝かせてくれた彼女たちに、なにか言葉を残す……そうあるべきなのかもしれない。
だが、ヤークワードは首を振る。たとえ言葉を残しても、思い出は消える……
誰の心にも残らない言葉など、虚しいだけだ。
「カカカッ、それが主の選択か! 良い、良いぞ……己の生きた証と引き換えに世界を救う。実に良い!」
「……」
ノアリたちを止めているのが片手間ですらないと言わんばかりに、セイメイは愉快に笑う。その姿を見つめる龍は、なにを思っているのか。
自分が死に、その上で自分の生まれてこなかった世界へと変貌する……いったい、なにが起こるのか、きっと誰にも想像がつかない。
「ヤーク! ヤークのおかげで、私たち、繋がれたのよ!?」
「全部、なくなっちゃうんですよ!?」
みんなが叫ぶ……その中でも、やはり二人の少女の声は、しっかりと聞こえた。
それは、その通りかもしれない。思い返せば、始めはヤークワードとノアリが……そして騎士学園ではヤークワードがミライヤを助け、三人は繋がれた。他のみんなだって、そうだ。
ヤークワードが消えれば、ノアリが騎士学園に行く理由もなくなり、ミライヤとの繋がりもなくなる……『呪病』事件の手掛かりを求めてルオールの森林へ行くこともなくなり、ヤネッサと会うこともない……他にも……
「……いや」
きっと、ヤークワードとの繋がりは断たれても、みんなの関係性は変わらない。
ノアリは騎士学園に行くだろうし、彼女ならばミライヤを放っておけない。ヤネッサはアンジーと仲が良いから、なにかの理由でこの国に来ることがあるかもしれない。ロイは剣でなく単純にキャーシュの勉学の家庭教師としてライオス家にやって来て、アンジーと知り合うだろう。シュベルトが興味から声をかけてくれれば、アンジェリーナとリエナとも知り合える。
きっとなにかしらの形で、みんなの繋がりは、保たれる。
「みんな……俺がいなくなっても、元気でいてくれよ」
「なに、バカなこと……!」
「って、俺の記憶もなくなるんだから、その心配すら必要ないか」
「おい、やめろ……!」
最期に、精一杯の笑顔を浮かべて。
ノアリを、ミライヤを、ヤネッサを、アンジーを、キャーシュを、ロイを、リィを、アンジェリーナを、リエナを……そして、ミーロを。
その瞬間、うっすらと目を開けたミーロと……目があった、ような気がして。
「……ライ、ヤ……?」
小さく動いた口から紡がれた言葉は、誰の耳にも届くことはなかったけれど。
「さよなら」
ヤークワードも、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた直後……手を引き、首筋に当たっていた刃は、その喉を斬り裂いた。
「ヤークぅうううう!!!!」
「ヤーク様ぁああああ!!!!」
…………………………
……………………
………………
…………
……
…………
………………
……………………
…………………………
『21年……21年だ。貴様ら人間に猶予をやろう』
『猶予だと? 負けた奴が、ずいぶんえらそうじゃないか。それに、お前はもう消えるんだ』
『ははは、21年の月日が経った後、我は再び甦る……その時が、楽しみだよ』
『寝言は寝て言え……永遠の眠りの中でな』
ジジ……
『はぁ……終わった、のか?』
『あぁ、そのようだな』
『やった……やったのよ、私たち! 勝ったんだわ! それに、生きてる!』
『ねぇ、魔王の、最期の言葉って……』
『なあに、ただの負け惜しみさ。魔王を討ち滅ぼすって言う、この国宝でとどめをさしたんだ。それに、ちゃんと手応えもあった……巨悪は、消えた』
ジジジ……
『これで、全部終わりだ……じゃあなライヤ、今までごくろうさん』
『え……』
ジジジジ……
始まりが終わり……終わりが始まる……
暗闇の中に映し出されたのは、最期の記憶……正確には、『ライヤ』の最期の記憶。
最後まで仲間として戦った友たちに、最期は裏切られて……途絶えたはずの人生は、しかし予想もしていなかった再送を切って。かつて裏切った男への復習を誓って、それは誰かの手により奪われて。挙句その人生さえも、仕組まれたものだと知って。
その人生の中に、出会えた人たちがせめてもの救いで。その人たちも、忘れてしまう……自分が選んだ、選択で。
『……』
一度目の人生は友の手で、二度目の人生は己の手で、それぞれ幕を引き……『ヤークワード・フォン・ライオス』という人物は、初めからいなかったものとして世界は回っていく。そのはずだ。
だから……再び、いや三度、目覚めないはずの意識が浮上して、訳が分からなくなった。
暗闇の中に、ただ己という存在が浮遊しているだけ……もしや、終わりなどなく、この空間で永遠とさ迷うことが、己への罰なのか。
そう思えるほどに、冷たい空間の中に……ヤークワードの意識は、さ迷っていた。




