天に潜む影
ズズズッ……と、地面が揺れる。胸の奥にまで、響くような地鳴り……それは、地面どころか家全体が、揺れているかのよう。
皆座っていたため、とっさに机にしがみつくことができたが、立っていれば間違いなく転んでいたであろう。
一同は、揺れる空間に振り落とされないため、必死にしがみつく。ノアリやミーロどころか、ヤネッサやアンジーでさえ、経験したことのない揺れ。
長寿のエルフ族の中でも、比較的若い部類に入るヤネッサ。そしてお姉さんのアンジーであるが、そんな彼女たちも初めて感じる揺れ。
「ななな、なんですかこれ!」
「喋るな、舌を噛むぞ!」
誰かの声が飛び交い、悲鳴も聞こえなくなる。声を上げる余裕がないほどに、信じられないほどに大きな揺れ。
これが自然的なものか、それとも人為的なものかはわからないが……永遠にも続く時間は、突然と終わりを告げる。
ゆっくりと、しかし確かに、激しかった揺れは収まっていき……
「……止まっ、た?」
恐る恐る声を上げる。伏せていた顔を上げて、周囲を確認する。
散々な有様だった……戸棚は落ち、本はばら撒かれ、小物は散乱し、そして窓も所々割れている。
どれほどの揺れが、襲ってきたのか……考えるまでも、なかった。
「今の揺れ……外は、大丈夫かしら」
安全を確認し、立ち上がるミーロ。いち早く行動に移せる切り替えの早さは、さすがは修羅場をくぐってきただけはある。
いち早く行動するミーロに続き、アンジーは各々の安全確認。ロイも同じように立ち上がると、ミーロを気遣うように隣を歩く。
そして、窓の外に顔を近づけ……見た、先は……
「……え?」
それは、予想だにしていない光景だった。目の前に広がる光景に、思わず嘘だと言いたくなる。
しかし、同じく隣で窓の外を見るロイも、言葉を失っている。
これが現実だと、同じものを見ているという証拠だ。
「母上?」
その異変に、キャーシュが、そして他のみんなも不思議そうに首を傾げた。いったい、なにが起こったというのか。
だが、その真意を聞き出すよりも、己の目で見たほうが早い。だからそれぞれ、近くの窓から外を見る。
……その先に映る光景を見て、反応は皆、同じだった。
「な……」
「え……ぇ?」
「これ……」
一様に、驚きに染まった声が上がる。誰もが、言葉を失っている。
それは、やはりヤークワードも動揺だった。なにか、よくないことが起こり始めている……そんな予感が、一同の心中に渦巻いていた。
……街中の様子が、一変していたからだ。
「うそ……建物が、全部、崩れてる……?」
ようやく声を出せたのは、ノアリ。その目で見たものを、確認するかのように口に出したのだ。
いつもならば、窓の外から見える景色は決まっている。賑やかに建物が立ち並び、人々の活気にあふれている。が……
今は、違う。見える範囲すべての建物が崩れて……いや、正確にはつぶれているのだ。まるで、上から重力にでもに押しつぶされたかのように。
「今の揺れのせいか……?」
「え、じゃあ、この家も……!」
「いや、影響があるなら、もう及んでいるはず……」
「家の周りに、結界を張っていたからここは無事だった、ってこと?」
先ほどの揺れと、外の惨状が無関係だとは、どうしても思えない。
皆、今後の話し合いやヤークワードがなにかを切りだそうとしていたことに夢中で、外など見ていなかった。どうしてこうなったのか、わからないのだ。
「……」
ここで、ほっとしている自分がいることに気付いてしまったヤークワードは、己を恥じた。少なくとも、この状況ではヤークワードが打ち明けようとした話どころでは、なくなったからだ。
話さなければならない、けれど話さなくなってよかった……そんな気持ちがあることに、気づいてしまったのだ。
「あの、他の人たちは……大丈夫、なんでしょうか」
おずおずと、リィが口を開く。彼女が心配するのは、押しつぶされた建物もそうだが……建物の中にいるであろう、人々のことだ。
魔族に襲われた国の復興作業、ヤークワードの逮捕……これらは平常時よりも人々を外に出す材料となっていただろう。いつもに比べれば、家の中にいる人数は少ないのかもしれない。
それでも、今は夜。騒動を関係ないとする者もいるし、そういった人たちは、家の中……
「……あのたくさんの建物全部の中に、人がいないとは……」
「考えられない、ですね」
つまり……建物の中にいた人たちは、建物共々、押しつぶされてしまっている可能性が高い。
あの、瓦礫の下敷きになっているのだとしたら、いったい何人が、犠牲に……
「怪我じゃ、すまない……!」
「! ミーロ様! 危険です!」
建物に押しつぶされ、そうなった場合無傷でいられるはずがない。最悪の場合……
その可能性がよぎり、即座にミーロは動いた。そんな彼女を追うように、ロイも反応する。
外があんな有様なのだ、揺れが収まったとはいえまだ危険が潜んでいるかもしれない。迂闊に動くのは危険だ。
「でも……!」
それでも……ミーロは、玄関の扉を開け放つ。魔王討伐の旅を経て、彼女はたくさんの、傷ついた人間を見てきた。彼らを、救いたいと願い……そのために、この力はあるだと、思った。
彼女が動けなかったことで、救えなかった命もある。だから、決めたのだ……絶対に、見捨てないと。動かず誰かが傷つくくらいなら、動いて自分が傷ついたほうがいい。
『癒しの巫女』と呼ばれた彼女は、その力を持って、傷ついている人々を救うと決意する。回復力に関しては魔力をも上回るこの力があれば、ひとつでも多くの命を救える。
そのために、自分の存在価値があるのだ。誰にでもできない、彼女にしかできないことをやるために、ミーロは飛び出して……
「……ぁ」
天から彼女を見下ろす、2つの赤い光を見た。雲の奥に潜む、黒い影……なにかが、いる。巨大な生き物が。
その正体がなんであるか、見ることは叶わなかった。なぜなら次の瞬間……
「……っ」
真上から降り注ぐ重力に、押しつぶされたから。




