数々の異変
ノアリの体には、確かに異変があった。破けた袖から見えた腕は、朱色の鱗に覆われていたのだ。
あれは……人間族の特徴には、ない。それどころか、獣人族などの種族にも、見られない特徴だ。
「いったい、どうなって……?」
腕だけではない……ノアリの目も、明らかに正気を失っている。
というか、赤い……?
「ウゥウうウ!」
「!」
その間も、状況は動く。魔族はノアリの拳を受け止めているが、徐々に後ろに下がっている。
踏ん張っていても、押されているのだ。ノアリの、力に。あの、魔族が。
「っ、この、力……!」
「ウゥラ!」
「!?」
拳を止めることに集中していたためだろう、ノアリの動きに着いていけていない。
ノアリはその場で軽く飛び上がり、魔族の顔面に蹴りを打ち込む。バキッ……と嫌な音が響き、魔族は吹っ飛んでいく。
だが、それに留まらない。ノアリは、その場から飛び出し、吹っ飛んでいた魔族に追いつくと……顔面を掴み、地面に打ちつける。
「っ!?」
「ゥう……!」
どれほどの力で打ち付けたのだろう、地面が割れる。同時に、地が揺れる感覚だ。
あれでは、魔族もひとたまりもあるまい……固唾を呑んで見守るが、まだ魔族は動いていた。
「グッ……!」
「は、はは……やって、くれますね……」
魔族も、地面に押し倒されている状態から腕を伸ばし、ノアリの顔面を掴む。お互いに、相手の顔面を掴んでいる状態。
ノアリの方が、上になっているとはいえ……
「まずい……!」
「ふん!」
「っ!」
俺が危惧した瞬間には、もうそれは起こっていた。
魔族は、ノアリの顔面を掴んだ状態の手のひらから、魔力の衝撃波を放つ。それにより、ノアリの体は吹っ飛んでしまう。
いくらノアリの力が強くても、魔族は魔力があるのだ。簡単に、逆転されてしまう。
「うっ……あぁ、なかなかに痛いですよ。まさかここまで手間取るとは」
よろよろと立ち上がる魔族。その手には、漆黒の剣が握られ、刀身は黒く光っている。
あれは、魔力を纏っている。
「ノアリは……」
吹っ飛ばされたノアリは、先ほどまでの勢いが嘘のように動かない。
あんな、無防備な状態で魔族の剣を受けたら……いかに、頑丈だといっても……!
「させるかぁ!」
「! ヤーク!」
今の戦いに、夢中になっていたせいだろう。ガラドの、俺への注意は減っていた。その隙を突いて、俺は飛び出す。
ノアリの力がなんだとか、気になることはある。だが、そんなもの今は関係ない……!
このまま、ノアリを殺させてたまるか!
「ぅおぉおおおおお!」
「!」
ガギンッ……!
俺の剣が、魔族の剣を衝突する。よほどの力で打ち付けたためだろう、重々しい音が響いた。
しかし、俺の渾身の一撃は、安々と受け止められた。
「やはり、近くに潜んでいましたか。このまま出てこなければ、あの娘を見せしめに殺そうと思っていましたが……」
「させるかよ、そんなこと!」
「む……」
ただ、目の前の魔族を倒す。俺が今考えるのは、それだけだ。
渾身の、いやそれ以上の力を込め、漆黒の剣ごと魔族を叩き斬るために足を進める。
少しずつ、魔族の力を上回っていく。
「ぬ、ぅおおお……!」
「やれやれ、先ほどの娘といいあなたといい……厄介ですね。しかし」
「っ?」
不意に、込めていた力が抜ける……いや、力の行き場が、なくなったんだ。
押し切ってやろうと、力を込めていた。しかし相対する魔族が、力を抜き……俺の力を受け流す形で、横にそれたのだ。
俺はバランスを崩し……魔族に足払いされ、地面に背中から打ち付けられる。
「うっ……!?」
「これで、終わりです」
すぐに起き上がろうとするが、目の前……首元に、剣の切っ先を突き付けられる。
魔族に見下ろされ、剣を突き付けられ……おまけに、右腕は軽く踏まれ、行動も封じられた。
「片手が満足に動かせない中で、あそこまで力を出せたのは見事。ですが、少々頭に血が上り過ぎましたね」
「く……」
「人間というものは、実に御しやすい。そして、ここで『勇者』の子を殺せば、残りの人間たちの士気も下がるでしょう」
そう言って、魔族は俺の首へと剣の狙いを定め……一気に、振り下ろした。
「ヤークー!」
途端に、世界の動きがゆっくりになって見える。
視界の端では、ガラドが俺を助けようと飛び出して……他の魔族に、妨害されていた。あいつ、俺になんだかんだ言っておいて、結局出てきているじゃないか。
あぁ、くそ……ここで、終わりかよ。ノアリを助けに出てきたつもりが、なんて情けない幕切れだ。
せっかく二度目の人生を生きていたのに……俺の目的も果たせないまま、よりによって全滅させたはずの魔族に、殺されるのか。
「……」
一度目の死は、痛く苦しかった。今回は、せめて痛みを感じないといいな……そんなことを、最後に思って……
喉に、刃が突き刺さる、感覚があって……
……パキンッ
……視界の先で、黒く光るなにかが、飛んでいくのが見えた。同時に、喉に感じた違和感が、消えていた。
「……ほぅ」
魔族の声が、聞こえた。どこか、感心したような声だ。見えるし、聞こえる……俺は、まだ生きているということだ。
なにが起きたのか、それを理解するために、必死に眼球を動かす。
手掛かりは、先ほど見た黒く、光るなにかで……
「……ぁ」
小さく、自分の声が鳴ったのが、わかった。
黒く光る、なにか……それが、魔族の持っていた漆黒の剣、その先端だと、気づいたからだ。
漆黒の剣の先端が、折れて……空を、舞っていた。




