漆黒の剣を持つノアリ
……俺の目の前で、ノアリの体が一閃された。あの魔族の、手によって。
「あの野郎……!」
「待て、ヤーク!」
「なんだよ、止めるなっ……」
「落ち着け、よく見ろ」
思わず飛び出そうとした俺を、ガラドが止める。手首を掴まれ、それ以上進めない。うっとうささえ感じる。
振り向きガラドを睨みつけるが、逆に落ち着けと諭されて……ガラドは視線を、向ける。
それを追って、俺も視線を動かすと……
「あ、れ……?」
「斬れて、ない?」
俺も、斬られたと思われた本人も唖然としていた。いや、斬られていないわけでは、なかった。
ノアリを縛っていた、手首の縄……それが、斬られていただけだった。斬られた……そう見えたのは、単なる錯覚だ。
……錯覚なんて、簡単な言葉では済ませられない。人が、斬られたと錯覚するほどの動き……いったい、どれほど恐ろしい技術であるのか。
「……なんの、つもり?」
「あなたを、逃がしてあげましょう」
「は……?」
ノアリの拘束を解いた魔族。なんのつもりか、魔族はノアリを逃がすと言う。ノアリからも、学園の敷地内からも、困惑の声が上がる。
やはり奥にいるのは、捕まっている、他の人たちか。
「言った通りです。……あなたは、自分のためだけではなく他の人間のために怒れる、心優しい人間のようだ。そのせいで、あなたはこうして捕まってしまったわけですが」
「……褒めてんの? それ」
……どうやらノアリは、他の人を庇う形で劣勢を強いられてしまったようだ。
ひとりなら、逃げることも出来ただろうに。
「もちろん。それはあなたの美点です。そして……だからこそ、あなたに、選んでみてほしい」
そう言って、魔族は自分の、漆黒の剣を放り投げた。ノアリの、足元へ。
その行動の、意味がわからない。武器を、自ら手放した……だと?
「選ぶ、ですって?」
「えぇ。あなたには選んでいただきたい。このまま捕まったままか……逃げるか」
「……」
「もし逃げるというのなら、我々は止めません。ただし……その剣でひとり、誰でもいい。人を、殺しなさい」
「……は?」
魔族の言葉……それは、到底理解の出来るものではなかった。種族が違うから理解できないだけなのか、それとも理解を頭が拒んでいるのか。
魔族の表情は読めない。
「……ここに留まるか、逃げるか」
「えぇ」
「逃げるなら、誰かひとり殺して見せろと」
「その通りです」
「……あんた、バカでしょ。そんなの、選ぶまでもない」
視線を落としたノアリは、地面に無造作に転がる剣を手に取る。そして、後ろをチラッと見てから……
剣の切っ先を、魔族に向けた。
「偉そうにいろいろ言ってるけど。武器を放り出して、私に渡すような真似をするなんて。ここで捕まる、逃げる……どっちでもない。あんたたちをぶっ倒すって、選択肢があるのよ」
「ほぉ……」
「拘束といて、武器まで渡して……所詮小娘だからそんなことすら思い浮かばないって、油断した? 余裕ぶってるから、そうなるのよ」
ノアリは、確かな敵対の意思を示した。当然だろう、俺だってそうする。
ここに捕まったままでいるか逃げ出すか……それだけならまだしも、逃げたければ誰かを殺せというのだ。
そのような選択肢、馬鹿げている。だが……
「っ……」
あの魔族は、ヤバい。強さもそうだが、わざわざ武器をノアリに渡す形になったことに、なんの考えもなかったとは思えない。
それに、他にも魔族はいる。奴らが手出しをしてこない保証は……
「よろしい。ならば、私を討ち倒してみなさい。そうすれば、皆解放してさしあげましょう」
「……本当でしょうね」
「えぇ。それに、他の者に手出しをさせない、人質を取らないことを約束しましょう」
圧倒的有利な立場から、魔族は自らノアリに勝ち目の見える戦いを提示する。
魔族の言葉が本当だという証拠は、もちろんない。だが……どのみち、戦いの道を選んだノアリには関係のない話だ。
「おいヤーク、気持ちはわかるが、飛び出すなよ」
「……まだなにも言ってませんよ」
「わかるさ。今、あいつはノアリちゃんと一対一の戦いをするつもりだ。そこに、お前が援護に出てみろ。奴ら、なにをするかわかったもんじゃないぞ」
「……」
もちろん、ガラドの言うことはわかる。一対一の戦いである以上、俺がノアリの助太刀に入れば、魔族がどんな動きをするのかわからない。
ここで、ただ見ていることしか出来ないのか……!?
「その余裕な態度……すぐに、後悔させてやるわ!」
「……」
先に仕掛けたのは、ノアリだ。漆黒の剣を構え、魔族へと走り出す。
ノアリは、昔……『呪病』事件をきっかけに、俺と剣の鍛錬をしてきた。ロイ先生指導の下、才能もあった彼女はめきめきと力を付けていった。
ノアリの剣は、技竜派と呼ばれるものだ。攻守ともにバランスのいい剣で、ノアリとも相性がいい。女の子だから男よりも力が劣る、という点をうまくカバーする、技量を伸ばした剣だ。
とはいえ、最近ノアリは、セイメイの腕をぶった斬ったり、男顔負けの力を持っているようだが。
「でやぁ!」
ノアリは、魔族の眼前にて真上から剣を振るう。シンプルだが、純粋に強い一撃だ。魔族が棒立ちであったのも、関係しているだろうが、
さらにノアリの持つ漆黒の剣は、あの魔族が持っていたものだ。あの威力は、身を持って経験している。
ただの剣よりも、よほど高度なものだ。あれなら……
「いい筋です。だが……まっすぐすぎる」
……魔族を斬り裂く。そう思われた一撃は、あっさりと魔族に止められた。
「う、うそ……」
「そう驚くことではありません。攻撃の軌道が見えていれば、難しいことではありませんよ」
「くっ……」
魔族の片手に、刀身を受け止められたノアリはすぐに距離を取る。そして、今度は突きの構えに変え、突きを繰り出す。
何発も放たれる刃の連撃……しかしそのことごとくを、魔族は手のひらで受け止めていく。
……いや、弾いているのか。手のひらで、刃を受け流している。
「なんて芸当だ……」
それはガラドも驚くほどの行為。このままではらちが明かないと感じたのか、ノアリはまたも距離を取る。
今度は、お互いのリーチ外に。




