魔法と魔術
全身に襲い掛かる、プレッシャー……金縛りの術のせいで、動けない俺に、これから逃れる手立てはない。
これは……まずい、非常に……!
「儂の『魔導書』を、斬って捨てたと……」
「!」
「主は、転生者のよしみで気にかけておったんじゃがな……残念じゃ」
目の前のセイメイは、冷たく俺を見下ろしている。それは、今まで俺に見せたことのない、ものだった。
セイメイは、俺に向かって手を伸ばす。まずい、まずい、まずい……動け体! このままじゃ……!
「ヤーク様ぁ!」
「!」
ザンッ……!
……その瞬間、風が吹いた。止まっていた時間が動き出したかのように、風が吹いたのだ。
それと同時に、耳にはさっきまで後ろにいたはずの少女の声と、なにかが千切れる耳障りな音が届いた。
「ヤーク様から、離れてください」
「み、ミライヤ……?」
セイメイが飛び退き、正面を見据える。俺とセイメイの間に、ミライヤが立っていた。その手には、剣を握って。切っ先を、セイメイに向けていた。
刃には、血がついていた。そして、一歩遅れてなにかが……セイメイの右腕が、地面に落ちる。
ミライヤは、その居合にて俺とセイメイの間に割り込み、俺に伸ばされていたセイメイの右腕を斬り飛ばしたのだ。
「っ……カカッ、主は一番、おとなしそうに見えたんじゃがのぅ」
「……私は、弱かった。いや、覚悟がなかった。だから、誰も守れなかったんです。だから、ヤーク様に……私の大切な人に危害を加えようとするなら、私は容赦はしません。次は、その命を貰いますよ」
……ミライヤの覚悟が、すさまじい。俺からはその表情は見えないが、ミライヤの声もまた、冷たいものだった。
誰も守れなかったってのは、多分、『魔導書』事件のことを言っているのだろう。目の前で両親を殺され、傷ついたミライヤは……相手の命を奪うことさえ、頭に入れている。あのミライヤが、相手の右腕を容赦なく斬り飛ばしたのが、その証拠だ。
だが、そんな必要なんて……!
「いや、ミライヤ、そこまでする必要はない! それに、そいつはもう戦えない! だから殺しなんて……」
ミライヤに、人の命を奪うなんて言葉、言ってほしくはなかった。だが、環境が人を変えること、俺はよく知っている。
どんな人間でも、環境によってそれまでの人間性が変わってしまう俺がそうであるように。
だが、ミライヤがこれ以上追い打ちをかける必要なんてない。セイメイがいかに強力な魔法使いでも、ひとりのエルフだ。ヤネッサが腕を失ったとき、彼女はその痛みから魔法を使えなかった。
あの出来事を教訓扱いするのは嫌だが、身体欠損という痛みがある以上、セイメイはもう魔法を使えない! 現に、金縛りが切れて……
「ふむ……誰が、戦えんじゃと?」
……しかし、そんな俺の期待をあざ笑うように、セイメイは口を開いた。
そして……右腕があった部分を、俺たちに見せつけるように伸ばす。直後、目を疑う光景が、あった。
「むっ……!」
「え……」
次の瞬間……なくなったセイメイの右腕が、"生えた"。内側から肉が盛り上がり、腕の形を取るそれは、あっという間に腕となった。
腕を、作った……いや、あれは、間違いなく生えた……!?
「ど、うなって……」
くっつけたのなら、まだわかる。ヤネッサが、ミライヤの両足をくっつけたように。それでも、腕を斬られた痛みを抑え集中できるのか、という疑問は残るが。くっつけたのなら、まだわかる。
だが、腕を生やした……それは、とんでもないことだ。無から有を作り出すといった、質量を無視したやり方。
それとも、強力な魔法使いは、そんなことも出来るのか?
「なにを驚いておる、間の抜けた顔をしおって」
「ま、魔法で……そんな、ことが……?」
「あん? はっ、これは魔法ではない、これが魔術じゃ」
魔術……魔法とは違うらしい、その言葉。これまでも、その単語は度々耳にしてきた。
俺を転生させた転生魔術、最近ではリーダ様が利用した投影魔術。それに……遠い記憶。回復魔法ではなく、回復魔術だと、彼も……クルドも、言っていた。だが、それは単に言い方の問題だとも、思っていた。
魔術、とは……
「やれやれ、その言葉すら聞き馴染みがないか。嘆かわしいのぅ」
セイメイは、その場で大きなため息をつく。セイメイにとっては、以前話していた4種族と同様、忘れ去られたことが嘆かわしいのだ。
「魔術って、なんなんだ」
「……自分の手で『魔導書』を斬っておいてよくもまぁ……ま、教えてやろう。そして、『魔導書』を斬って捨てたことがどれほど愚かなことか、思い知るがいい」
……『魔導書』を斬って捨てるのが愚か、か。そういや、ビライス・ノラムも似たようなこと言ってたっけな。
それほどに、重要なものなのか。あの時は、とりあえずムカついたから斬ったが。
「……話の隙を突こうと思って睨んでも、無駄じゃぞ? 儂はそのような隙は作らん」
「!」
ミライヤの体が、ぴくりと震える。どうやら、セイメイに話をさせ、その隙を突こうとしていたようだ。
「主らの言う、魔法とは……体内の魔力を使い、魔法として力を発生させるというもの。体内に魔力を持たん種族は魔法を使えんし、おまけに己の貯蔵する魔力が切れれば心身に影響を及ぼすし、貯蔵魔力以上の魔法は使えん。それに、一個人の貯蔵する魔力程度では、どのみち欠損した部位を生やすことは出来ん」
「……」
「じゃが、魔術は違う。魔術とは、大気中に流れておる魔力に干渉し、己の力として扱う術。じゃから、体内に魔力を持たぬ種族でも、術を使うことが可能となる。失くした腕とて、ほれこの通り」
セイメイは、語る……その声は、興奮しているのかだんだん大きくなっているようだ。
体内に魔力を持つ種族……これは、エルフ族のことだろう。アンジーやヤネッサは、魔法を使っている。疑いようもないことだ。
一方……魔力ってやつが、そもそも大気中に流れているってのが初耳だが……その、大気中の魔力を使うことで、術を使うことができる。それが、魔術。要は、魔法は自前の魔力を使い、魔術は外から魔力を引っ張ってくる……って感じか。
魔術は、体内に魔力を持たない種族でも使える……って、まさか……
「……人間族が、昔魔法を、使ってたっていうのは……」
「魔術のことじゃろうな」
人間は昔、エルフと同じように魔法を使っていたという。だが、それは魔法ではなく魔術……さらにその方法は、いつの間にか失われた。ってことは、魔術という言葉を知っているのは、それほど昔に生きていた人物……まさに、竜族のような。
外部の魔力に干渉する……その方法があれば、人間族は再び魔術を使うことが……
「じゃあ、『魔導書』に書いてあったのは……」
「主ら人間が、魔力に干渉する方法……といったところじゃな。それを読めば、人間が再び魔術を使う時代となったものを」
嘆かわしい……と呟くセイメイの言葉を聞き、ようやくわかった。ビライス・ノラムが、あそこまで『魔導書』にこだわっていた理由が。あいつは、『魔導書』に歴史的価値があるとほざいていたが……
『魔導書』を読めば、魔術を使うことが……いや、覚え直すことが出来る。そして、魔術の術を独占すれば、あいつの言っていたように貴族社会の実権を握ることも出来るだろう。
ミライヤは読めなかったようだが……随分昔に書かれたものなら、今と文字が変わっていてもおかしくは……いや、表紙は読めたんだっけか。
「さて、『魔導書』を捨てることがどれほど愚かなことか、わかったか?」
そこへ、セイメイの声が。こいつも、ビライス・ノラムと同じか……いや、自分で書いたものなのだから、その怒りも当然か。
そりゃ、著者本人を前に、お前の本を斬って捨てた、なんて言えば怒るだろうさ。それでも……
「俺は、『魔導書』を捨てたことを後悔していない」
あの時、ビライス・ノラムの気をそらせたのは、『魔導書』が失われたことによる動揺からだ。あれがなければ、どうなっていたか……
歴史の重さとか、知ったことではない。あの惨劇を起こした理由が、『魔導書』にあるというのなら……あんなもの、いらない!
「そうか……愚かなり、人間……!」
再度、セイメイからのプレッシャーに押しつぶされそうになる。セイメイは、『魔導書』を斬って捨てた俺を、許さないことだろう。
だが、それは俺も同じだ。『魔導書』を書いたことを責めやしない……だが、ビライス・ノラムに『魔導書』の在処を示し、魔石を渡して確信的に誘導したお前を、俺は許さない……!




