我竜の太刀
「キィエヤァアアア!」
「……」
猛獣と間違えるほどに、牙を剥き叫ぶビライスが、重さの乗った剣を振るってくる。先ほどの冷静な、嫌なくらいに余裕を見せていたのとは別人のようだが……俺は、それを難なく受け流していく。
魔導書を裂かれた怒り、それが先ほどの冷静さを奪ったらしい。逆に俺は、怒りは健在のはずだが、どこか落ち着いている。ビライスが切れたことで、相対的に落ち着いたのだろうか。自分よりも怒っている人物を見ると、冷静になるって言うしな。
力の限り暴れ回るビライスの剣をかわすのは、容易い。こいつの流派は、おそらく防竜派。こちらから仕掛ける分には強いが、防御やカウンター主体の剣では、自ら攻めるのは向いていない。
それを、忘れてしまっているのか。先ほどのまま……本来の型ならば、よかったものを。防御を主体とした流派で、攻撃に転じるなど、斬ってくださいと言っているようなものだ。
「この、このぉ!」
「ちっ」
とはいえ、このまま避け続けているわけにもいくまい。ミライヤの両親は、もう手遅れだが……ヤネッサには、本格的な治療が必要だ。
ミライヤ自身、精神的な問題もある。こんな場所で、両親共々なんてあんまりだ。
だから……
「ふっ!」
「ぬっ……あぁ!」
受け止めた剣を、押し返す。怒りに力を任せているわりに、俺に押し返される程度か。
すかさず、こちらからも剣を振るう。先ほどのお返しだ。型を忘れたビライスは、腕に足に傷を作っていくが……致命傷にならないのは、まだ反射的に防げているからだろう。
「くそ、くそっ……こんな、はずでは……! 魔導書さえあれば、新たに魔術さえ覚えることさえできれば、いずれは貴族会の実権を握る、ことさえ……! 強さ、強ささえあればぁ!」
「……」
予想はしていたが、魔導書とやらを求めていた理由は……やはり権力か。そりゃ、魔法が使えるようになり、その技術を独り占めすれば、権力争いに勝つことは出来るだろう。
……あぁ、なにもかもが、腹立たしい。
「ぬぉ!?」
剣に意識を集中させておき、がら空きの腹に蹴りをめり込ませる。それによりビライスは後退、俺との距離が出来る。警戒しているのか、今度はすぐさま仕掛けてはこない。
……強さ、か。それは俺も求めたものだ。だが、こんなことをして強さを得ようなんて思わない。それに、俺の知る強者は、こんな小物ではなかった。
「……ふぅ」
深呼吸し、構える。集中する。そんなに強さが欲しいなら、俺の強さを持って、今楽にしてやる。
イメージするのは、強さ。強さはイメージすることだと、先生は言っていた。
俺にとっての強い人物……ガラド……ロイ先生……ガラドは強いが、いずれ殺す相手だ。そんな相手のイメージをしても、本人に勝てはしない。先生は剣の先生だ、いずれ超えるにしても、今の俺じゃまだまだだ。それでも、圧倒的強者とは、言い難い。
アンジー、ヤネッサ……彼女らも充分に強い。ノアリ、俺とそんなに差はない……3回打ち合えば、一対一で残りは運任せだろう。ミライヤはひとつの型しか使えないが、あの居合いを真正面から防ぐことも逃げることもできないだろう。
強い人物なら、たくさんいる。ガラドの他にも、エーネ、ヴァルゴス……そして敵だったが、魔王。かつての勇者パーティー、そこで出会った相手、それらは俺なんかよりもずっと強かった。癒しの巫女であるミーロは、例外だとしても。
だが、違う。強いが、違う。イメージする強さは、もっと上にある。
ならば、誰だ。俺にとって、強く気高い人物…………頭に、浮かぶのは。
「クルド……」
頭に浮かんだ人物……その名を、無意識に呟いていた。『竜王』ザババージャさんの孫であり、俺が初めて出会った竜族の戦士だ。
彼は、俺たちに実によくしてくれた。久しぶりの人間の客だから、なにより知り合いだというジャネビアさんの孫娘アンジーの仲間だからと、いろいろ協力してくれた。
その中で、クルドには剣の稽古に付き合ってもらった。稽古といっても、俺がひたすらクルドに打ち込むというもの。結局クルドには一太刀も当てられなかったし、毎度ボコボコにされた。きっと今やっても結果は変わらない。
クルドは、俺が理想とする強さを持っている。俺は、クルドの本気を見たわけではない。だが、会った瞬間にわかった、あの圧倒的な強さ……竜族の村にはたくさんの竜族がいたが、おそらくクルドはその中でも上位の強さだ。
「俺にとっての、強さか……」
ドォオ……と、また近くに雷が落ちる。このままここにいれば、そういう意味でも危ないだろう。イメージする強さを力とし、一撃で終わらせる。
クルド……彼は剣こそ持っていなかったが、剣を使わずともあそこまで強くなれるのだ。それは、種族の違いもあるのかもしれない。圧倒的な強さ、大きさ……それは、俺に衝撃を与えた。
それに、あの竜の姿。大きく、ひたすらに大きく、圧倒的だった。あのような圧倒的な存在になりたいと、俺は思ったのだ。
「……っ」
「んん? どうした、逃げるのか!?」
俺は、走る。ただしビライスの方向ではない、右方向に。そこには出口があるが、もちろん逃げるはずがない。ぶち破られた扉の横、壁に向かってジャンプ。そのまま、壁伝いに上へ。
天井は、落雷により砕けている。道はある。上へ、もっと上へ……
「壁を走って、空に……?」
「っはぁ、気でも狂ったか!」
近くにあった木も使い、伝って上空へと躍り出る。残念ながら、今の俺ではビライスを一撃で倒す力が足りない。怒りで冷静さを欠いているとはいえ、ガルドロなんかとは全然違うのだから。
足りない力は……補えばいい。上空からの落下、その勢いを剣に乗せて!
イメージするのは……竜。その力を、大きさを、自分のものだとイメージしろ。うっとうしく体に当たる雨粒も、、気にするな……力に、集中しろ。
「すぅ……」
剣を、振り下ろす形で構える。狙うのは、眼下にいるただひとり……斬るべきは、奴ただひとり!
飛べ……飛翔する竜の如く!
定めろ……眼下にいる獲物に狙いをつける竜の如く!
振り下ろせ……その牙や爪で敵を斬り裂く竜の如く!
「あんなに高くから振り下ろすつもりか? ……はっ、着地に失敗するのがオチだ!」
言いながらも、ビライスは剣を構えている。そう、少しでも狙いがずれたり、ずらされれば俺はただ地面に激突するだけだ。
なればこそ、この剣の矛先は、決まっている。
------------ノアリ視点
上空に、壁を上って躍り出たヤーク。彼の姿は、なぜだろう……私の心を、高鳴らせた。
ミライヤもヤネッサも、心配そうに彼を見ていた。でも、多分私だけだろう、違う理由を抱いていたのは。
その姿は……昔読んだ、本に出てくる空想上の生き物を思わせた。空想上とは言っても、ヤークの話で実際に存在するとわかった。ヤークは嘘はつかない。でも、私は見たことがないから、私の中ではまだ空想上の生き物だ。
大好きだった、お気に入りの本。それが、ヤークが私のかかった『呪病』を解くヒントになったと言っていた。そこに出てくる、竜という生き物が協力してくれたのだという。
そう、今のヤークの姿は……その本に書いてあった、竜のように見えた。不思議だ、実際に見たこともない、せいぜい絵の中の生き物と、重ねるなんて。
でも、上空へ飛ぶヤークが、その背後で轟く雷が、まるで雷を纏うように降ってくるヤークの姿が……まるで竜であるかのように、見えた。
------------ヤーク視点
昔の話は知らないが、多分、今生きている中で竜族に会ったことがあるのは、長寿の種族を除けば俺だけではないかと思う。俺だけが、竜族のことを知っている……その姿を、力をイメージできるのは、俺だけだ。
剣を握り、目を見開き、全霊の力を込め、歯を食いしばれ!
これは、俺だけの剣。俺だけの流派。いや、流派なんてご丁寧なものでもないだろうが……自分だけの型、我流よりもさらに自分のものにした剣。
我流の……いや、我竜の太刀!
「"竜星"!!!」
ザクッ……!
急降下の勢いを乗せ、剣を振り下ろす。狙うは、ビライスの剣……剣を持っている、手。防ごうと剣を振り上げるビライス、それよりも早く、剣を振り下ろす。
肉を斬る感触が、剣から手へと伝わり、生々しい音が聞こえた。
……ビライスの手首が、飛んでいた。ボトッと落ちる……ただ、斬れているのではない、その手には剣が握られていた。両手首が切断され、剣を持ったまま地面に落ちていた。
「は……あ、はぁあ? あぁあ、あぁああぁ!? 手、手が……私の、手ぇええええ!?」
数秒遅れて、現状を理解したビライスが叫ぶ。もう剣を……いや、なにも持つことが出来なくなった手を。
あのまま、狙いを変えれば命を奪うことも出来たかもしれない。だが、その前に思い知らせてやらなければならなかった。ミライヤの両足を、ヤネッサの右腕を、そしてミライヤから両親を奪った償いを。
「あぁあ、あぁ……!」
「最後の言葉は、それでいいな」
膝をつき、もうなくなってしまった、手がついていたはずの場所を見ている。それを哀れとは思わない。少しでも痛みが分かってくれればいいが……
「ま、待ってくれ! わる、悪かった! 私が、悪かったよ! だから、ころ、殺さないでくれ! そ、そうだ……ウチノラム家が、あなたフォン・ライオスの傘下に入ろう! そうすれば、今よりもっと勢力を拡大できる……わわ、悪い話じゃ、ないだろう? だから……」
……ダメか。バカは死なないと治らないと言うが、死ぬ直前でもこれか。
今度は、もう狙いをずらさない。首だ。横薙ぎの一閃で、首を斬る……それで、終わりだ。
「おい、おいおいおい、待ってくれ! 私にはまだ、やり残したことが……いやだ、死にたくな、死にたくないぃ……あぁあああぁあああ!」
「待って!」
……!
ビライスの首を振り抜く……はずだった剣は、すんでで止まる。ただし、首に刃は触れたため、血は出ているが。
待って……ビライスの命乞いにはまったく揺らがなかったが、その一言を聞いた瞬間、俺の中でブレーキがかかった。俺の中にあるのは、困惑と、少しの怒りだ。
「なんで……なんで止める、ミライヤ!」
「……」
この豪雨の中でも、俺の耳にまで響く声。それを言ったのは、他ならぬミライヤだった。
ビライスは、今ので首を斬られたと思っているのか、泡を吹いて気絶している。もちろん寸止めなどするつもりはなかったので、このまま本当に殺すつもりだった。
それを、なぜよりにもよってミライヤが止める?
当のミライヤは、泣いていた。雨も激しく降り続くが、それが涙だと、わかった。
「許せないだろ、こいつはミライヤを……ミライヤの両親を! ヤネッサだって! こいつは許しちゃいけない、だけどミライヤに殺させない。だから……それとも、ミライヤ自身が殺したいってんなら、俺からはなにも言えないが……」
「違う! ち、ぢがいます……確がに、ぞの人は許ぜない。わだじのことはいいんでず、でぼ……おどうざんを、おがあざんを、ごろじて……やねっざざんも……」
豪雨のせいか、それとも溢れ出る涙のせいか。ミライヤがなにを言っているかは、よく聞こえない。でも、聞こえた。ミライヤの想いが。
でも、とミライヤは続けて……
「それで、やーぐざばがひ、ひとごろじになるのは……も、もっど、いや、なんでず……!」
「……人殺し、か」
俺が人殺しになるのが嫌。それだけの理由で、ミライヤは両親の仇を、殺せるチャンスを棒に振るのか。
ミライヤ……俺のことを気にしているのか? 自分のために、俺が手を汚すことを。でもな、そんな必要はない……俺はいずれ、復讐のために父上を殺す。そのために、今からでも人殺しに躊躇しているようでは……いや、ダメだな。自分の復讐に、ミライヤの事情を利用するようなことがあってはいけない。
……両親の仇を殺すことにさえ、こんなにも涙を流してくれる。そんなミライヤが……俺が、復讐のために生きていると知ったら、いったい、どんな顔をするんだろうか。
「私のことは、気にしないで……ヤーク。ミライヤ、ちゃんが決めたことなら……私も、文句はないよ」
「ヤネッサ……」
両足を失ったミライヤが、腕を斬られたヤネッサが、もういいと言っているのだ。俺には、これ以上なにもできない。
「……あ、雨が」
ノアリが、呟く。いつの間にか、あの激しい雨は嘘のようにやんでいた。
そこでようやく……外に出てきた、人々に救助を呼ばれ、今回の一件が表に知られることとなった。




