理不尽な死
血塗られた凄惨な現場……そこは、文字通り目も背けたくなるような、残酷な光景が広がっていた。
血を流し、倒れているのは3人……この家の主と思われる男女、おそらくは夫婦。そして、ミライヤ。夫婦には体の正面に切り傷が刻まれ、ミライヤは体への傷こそ見えないものの足を切断されてしまっている。
足が、切断されている……それは、自分の頭に血が登るのをはっきりと感じられるほど、怒りを感じる瞬間だった。
「もう一度聞くぞ。なにをしてるんだ、ビライス・ノラム!」
「……」
この惨状を引き起こしたであろう人物、ビライス・ノラムに問いかける。その手に持つ血塗られた剣、そして振り向いた顔に散っている返り血が、奴が犯人であることを示している。
なにかの間違い……という可能性もなくはないが、それにしてはビライスの様子は不気味だ。
「あんた、よくもこんな……」
「あーあ、まさかこんなにも早く見つかってしまうとは」
怒りに呑まれているのは俺だけではない。ノアリが、奴への怒りをぶつける……その前に、ビライスが口を開いた。
見つかってしまうとは……と。つまり、秘密裏に事を為すつもりだったのか。
「おや、またそこのエルフですか。彼女は鼻がいいという話でしたが、本当に厄介だ」
「……」
ビライスはヤネッサを見て、言った。ヤネッサの能力が厄介だと……確かに、ヤネッサがいなければ俺たちは今、ここにはいない。
またヤネッサに助けられた。
「くんくん……この、におい。ヤーク、ミライヤちゃんを誘拐したの、こいつ」
「なっ……」
ヤネッサが鼻を利かせ、ビライスの招待を見破る。ミライヤを誘拐した、真犯人……ガルドロとギライ・ロロリアを操っていたであろう、人物だと。
ミライヤを誘拐し、今ミライヤをこんな目にあわせている。それだけで、こいつを斬る理由は充分だ!
「……」
「おや」
俺は、腰の剣に手をかける。ミライヤの誘拐事件以降、騎士学園の生徒は休日でも帯刀しての外出が認められた。またあのような誘拐事件が起きないよう、護身用としてだ。あくまで護身用、私用で抜くのは禁じられている。
だが、そんなもの関係ない。禁じられていようが、俺はミライヤをこんな目にあわせた奴を、許せない!
「ヤネッサ、ミライヤを治せるか?」
「任せて!」
剣を構え、ビライスを牽制しつつヤネッサをミライヤの所へ。エルフ族の彼女なら、治癒魔法で傷を治すことができる。
切断した足、がどうなるのかはわからないが、少なくともこれ以上失血して死ぬ可能性を防ぐことは、できるだろう。
「ヤネッサ、どう?」
「大丈夫。治癒魔法は、欠損した部位が結構時間が経ってたり、無くなってたらどうしようもないけど……これなら……」
「……すごい、繋がってる」
視線はビライスに、耳は後ろのやり取りに集中。ミライヤの切断された足、それはどんな末路を辿るか不安だったが……ノアリの明るい声が、無事を知らせてくれる。
足が切断されても、時間が経っていなければ治る……くっつく。それは、安心だ。切れた足が無事だったのも幸いだ。魔法とは、なんて万能なものなのだろう。
……その様子を、ビライスは興味深そうに見ている。なぜ、止めない……? 俺が、道を塞いでいるからか?
「でも、安心はできない。私じゃ失った血までは戻せないから……すぐに目は、覚まさないと思う」
「そっか。……って、ヤネッサ、すごい汗じゃない!」
「はは……さすがに、欠損部分をくっつけるっていうのはすごく魔力を使うんだよ。大丈夫、ただの疲労だから」
ミライヤはすぐに目は覚まさないだろうが、少なくとも失血死する心配はない。となると……
「ヤネッサ、疲れてるとこ悪いが、あの男女も治してやってくれないか?」
ヤネッサが疲れているのは、わかってる。それでも、この場で彼らを助けられるのがヤネッサしかいないのなら、頼るしかない。
今度は逆に、男女の側にビライスがいる。会話は聞かれたが、奴が離れざるを得ない状況に持っていけば、その隙に……
「……ごめん、できない」
「……なに?」
だがヤネッサから返ってきたのは、俺の予想していないものだった。ヤネッサならば、考えるまでもなく「任せて!」と言ってくれていると思っていた。
……いや、ヤネッサに限って、意地悪でそんなことは言わない。できない、理由がある。
「まさか、魔力ってやつが足らないのか? それで……」
「違うの。たとえ魔力が足らなくても、目の前で死にそうな人がいれば私は迷わない。でも……」
魔力が足りない、それは問題ではない。ならば、なんだ。ヤネッサはなにを問題としている。
目の前で、死にそうな人がいる。今が、まさにその状況だ。なのに……
……死にそうな、人?
「もしかして……あの2人は、もう……?」
「……」
俺と同じ答えにたどり着いたノアリが、問う。俺は意識はビライスに向けたまま、視線だけをヤネッサへと向けた。
……ヤネッサは、悔しそうな顔で、小さくうなずいていた。
「っ……お、まえ……! 殺したのか!? その2人を!」
「っははは! なにを起こるんです! 人はいつか死ぬものですよ、その時期が少々早まっただけの……」
「ふざけないで!」
なにがおかしいのか、軽快に笑うビライスに怒りを感じる。しかし、俺よりもそれをぶつけたのは、ノアリだった。
いつの間にか俺の隣に立つノアリ。その顔は、今までに見たことがないほど、怒りに歪んでいた。
「人の生き死にを、誰かが決めていいわけがない! その人たちだって、きっとまだ生きたかった! 理不尽に、誰かに殺されていい道理が、あるはずがない! 命は平等よ、何様のつもりだ!!」
……驚いた。ノアリはどちらかと言えば、感情的なタイプ。思ったことをわりとすぐ口に出すし、行動力もある。消極的なタイプとは全然言えない。そんな彼女が、しかしここまで感情を露にするのを、見たことがない。
いくら人の死に関わるとはいえ、言い方を考えなければ所詮は他人だ。思い入れなどないはず。それとも、俺が知らないだけでノアリはこの男女を、知っているのか?
「……」
……違うな。ノアリがこうも怒りを露にするのは、同じような経験があるからだ。同じような子たちを知っているからだ。かつてノアリを、王都の子供たちを襲った、『呪病』という病。いや、呪い。
それは、治療法のない不治の病。現に、『呪病』にかかった数え切れないほどの子供たちは死に、ノアリも危ないところにいた。なにかが違えば、ノアリは今ここにいなかった……生きては、いなかった。
かつて理不尽に命を奪われそうになり。実際に奪われた者たちは大勢いる。理不尽が人の命を容易く奪うことの残酷さを知っているから、彼女はこれほどまでに怒るのだ。
「おぉ怖い怖い。なら、その憎い私をどうします?」
「安心しなさい、殺しはしないから。両手両足を削いで、憲兵に突き出してやる……!」
ノアリは、ゆっくりと剣を抜く。殺しはしないと言うが、その瞳には殺意が宿っている。目の前の男を殺してやりたい……それが、俺にはわかる。
だが、憎しみを理由に殺してしまえば、今言った命の重みが彼女の中で不安定になってしまう。だから、憎くても殺さない。命は平等だと、その口で言ったのならば。
……他に、自分と同じ呪いで死んだ者がいるからこその、言葉。理不尽に命を奪われた者が、自分だけではないと知っているからこそ、彼女は高潔だ。
……理不尽に殺されかけた、実際に殺されたの違いはあれど、その相手に殺したい恨みを持つだけの俺とは、違うな。
「ふむ、2対1ですか、これは厳しい……いや、3対1か」
「!」
剣を抜いた俺とノアリ……だがこの場には、ヤネッサもいる。
彼女は、多少は回復したのだろうか。立ち上がり、いつの間にか抜いた弓矢を構えている。射撃のリーチにしては少々手狭な場面だが、そこは俺とノアリがカバーすればいい。
ビライスがどれほどの剣を使うか知らないが、3人相手にいつまで余裕をかませるか……
「なら、まずは2人に退場してもらいましょうか」
「え……っ」
油断していたわけではない。ビライスがどう動いても、対応できる自信があった。だが、意味深な言葉と……それに、目の前が一瞬眩しく光ったことで、目を閉じてしまった。
瞬間、隣を風が抜けるのがわかった。
「しまっ……ヤネッサ! ミライヤ!」
ノアリが並び立つのとは、反対。そこを抜け、風が……いやビライスが、俺の背後へと向かった。そこにいるのは、弓矢を構えたヤネッサ。それに、気を失ったままのミライヤ。
まさか、動けないミライヤに、なにかするつもりじゃあ……!?
ザクッ……!
「アァあああァああアァ!?」
……肉を斬り裂く、嫌な音。直後、叫び声が響き渡る。ミライヤのもの……ではない。
この声は……
「ヤネッサ!」
目が開き振り向くと、ヤネッサの右腕が、斬られていた。ミライヤに振り下ろされた剣から、ミライヤを守るように腕を伸ばして……鮮血を散らし、右腕が、宙を舞っていた。
ヤネッサの右腕が、切断された。




