誘拐の理由
「…………」
もう、どれくらいの時間が経っただろうか。目隠しをされ、手足を縛られた状態でずっと放置されている。初めの方こそ、助けて等の声を上げていたが、返ってくるのは反響した自分の声だけ。
ここがどこかはわからない。ただ、狭い部屋の中だということだけわかる程度だ。
声を張り上げても、誰も反応してくれない。次第に、声を上げるのは無意味であることを理解していったミライヤは、声を上げることもやめていた。
「すっかりおとなしくなったじゃないか」
ガチャ、と扉の開く音。同時に部屋の中に入ってくる男の声。これは……ガルドロ・ナーヴルズのものだ。
入学試験日にミライヤを罵り、ヤークワードに敗れた男。もしもミライヤ誘拐の理由が、ヤークワードへの仕返しのつもりならば、こんなことは無意味だと、なんとかわかってもらわなければ。
「……こんな、こと……ぁ……!」
「ほら、飯だ。這いつくばって食うのがお似合いだぜ平民」
口を開いた瞬間、なにかが頬に当たる感覚があった。これは、ガルドロ・ナーヴルズがなにかを、ミライヤの頬になにかを落としたのだろうか。
地面に落ちたそれは、鼻の近くで腐ったような異臭を放っている。「飯だ」ということは、もしやこれを食べろというのか……明らかに腐っている、この食べ物を。
わざわざご飯を持ってきてくれたかと思いきや……こんな誘拐をするような男が、素直にご飯なんて与えてくれるはずがなかった。
「なんで、こんな……」
「お前が気にすることじゃない」
自分を誘拐した理由、それすらも教えてくれない。この予想が正しければ、今自分が捕まっていること自体、ヤークワードに迷惑をかけてしまう。
彼らが、なにを企んでいるのかはわからない。だが、ミライヤを誘拐するという行為自体、その計画は破綻している。ミライヤを誘拐しても、外出したミライヤが夜になっても戻ってこなければ、ルームメートが不審に思わないはずがない。
不審に思ったルームメートであるリィが、教師に連絡するなり、リィのことだからヤークワードに相談する可能性もあるが……いずれにせよ、ミライヤを誘拐してもすぐにバレるのだ。
もしも、誘拐したこと自体を知らせることが目的なら、不思議はないのだが……
「へっ、どうせすぐに助けが来る……そう思ってんだろ?」
「!」
心を読まれた……そう思えるほどの指摘に、ミライヤは思わず肩を震わせる。
「わかりやすいな平民。悪いが、その期待は外れになる。少なくとも、すぐにお前が消えたことを不審に思う奴はいねえよ」
「え……?」
ミライヤがいなくなっても、それを不思議に思う者はいない……それは、いったいどういうことだろうか。
もしや、平民ひとりが消えたところで貴族が気にかけることはない、ということか。いや、貴族が平民を見下す傾向はあるとしても、騎士学園の教師までそのような傾向にはないと、思いたい。
もしもそうだとしても、少なくともミライヤにはリィがいる。同じ平民同士ということですぐに気が合った。会って日は経っていないが、間違いなく友達だ。そんな彼女が、ミライヤがいなくなってもなにも不審に思わないなんてこと……
「! もしかして、リィになにかしたん、ですか……!?」
考え付いたのは、恐ろしいものだった。ミライヤがいなくなったことを不審に思われない、いや思わせないよう、リィになにかをしたという可能性だ。
例えば、先ほどのミライヤと同じように、リィが脅されていたとしたら。ミライヤがいなくなって授業に顔を出さなくなっても、ただ「風邪だ」とか「具合が悪い」と言うように脅されていたら。
それでもいつまでも隠し通せはしないだろうが……そうなれば、ミライヤがいなくなってから、それが公になるまでに時間が稼げる。……なんの?
「へはは、意外と頭は使えるみたいじゃねえか」
「! じゃあ……」
「だが、別にお前のお友達になにを無理強いしたわけでもない。そこんとこは、あいつがうまくやってるだろうからな」
「……?」
リィに、なにかをした……それに肯定にも近い返事を聞いた時、ミライヤはもがいた。だが動けない。情けない、情けない。
そんなミライヤを見て、ガルドロ・ナーヴルズは愉快そうに笑っている。そして、リィになにかをしたことはほのめかしながらも、リィの意思を曲げるような行為はしていないという。
意味がわからない。リィが自分の意思で、ミライヤが消えたことを隠している、とでもいうのか。まさかリイもこの誘拐に関わって……いや、それはガルドロ・ナーヴルズの台詞からも、可能性はないだろう。
気になるのは、台詞の中に出てきた『あいつ』なる人物。それはこの場にいないギライ・ロロリアのものなのか、それとも……
(もうひとり、いる……?)
ガルドロ・ナーヴルズ、ギライ・ロロリア、それ以外にもうひとり、今回の誘拐に関わっている者がいるというのだろうか。その人物が、ミライヤがいなくなっても不審がられないなにかを、リィに行った……
そうまでして、ミライヤを誘拐した理由は? ただの怨恨……でここまでやるだろうか? それとも、それほどにミライヤかヤークワードに恨みを持った者の犯行なのか……?
「ひひ、まあそうやって、せいぜい頭使っておとなしくしてな。飯は食えよ、餓死でもされたら後片付けが面倒だ」
あははは……と、高らかにガルドロ・ナーヴルズは笑っている。そして、動けないミライヤと先ほどの腐った食べ物をその場に残し……部屋を、出て行った。
「……なにが、起こってるの……」
もしかしたら、想像しているよりも大きなことが起こっているのではないか……ひとり残された部屋で、不安げにミライヤはポツリと、言葉を漏らした。




