感謝の気持ち
時を遡る……その日、ミライヤはひとりで外出していた。小包に包んだなにかを手に、妙に上機嫌で歩いている。
「ふふ、喜んでくれるかな……」
最近、自分は恵まれている……と、ミライヤは思っていた。騎士学園、そこに入学するためにひとり家を出た。入学試験へと足を運んだその日に、複数人の貴族に囲まれた。
実際、ミライヤに実害を与えたのはひとり、ガルドロ・ナーヴルズという貴族だ。その金魚のふんのように弟が着いていたが、手を出してきたのはガルドロのみ。
しかし、周囲では貴族たちが、ミライヤをただ見ていた。手は出さないだけで、みな同じ目をしていた。なんで平民がここに、平民が来るところじゃない、身分をわきまえろ……そう、皆が訴えていた。
幼い頃、ミライヤはある貴族に命を救われた。以来、貴族に憧れを持つようになった。憧れと言っても、自分が貴族になりたい、と思ったわけではない。尊敬、の方が近いだろう。
その憧れが、尊敬が、ミライヤの中の貴族像が、その瞬間壊れていくのを感じた。平民が貴族にどう思われているのか、理解していなかったわけではない。それでも、あの時怖くて仕方がなかった。
憧れた貴族に少しでも近づこうと、騎士学園へ足を運んだ。自分も、あの貴族様のように立派な人間に……その気持ちは、折れかけていた。
その時だった。
『恥ずかしくないのか、お前ら』
そう言って。ミライヤを罵る貴族からミライヤを庇うように、あの人は現れた。見ているだけだった人たちの中で、あの人だけが庇ってくれた。
ヤークワード・フォン・ライオス……その名前は、貴族ならもちろん平民であるミライヤも知っている。かつてこの世界を救うため、魔王を討ち果たした4人の勇者……そのうちの2人が、後のフォン・ライオスだ。
しかも、フォン・ライオスの称号を与えられた彼らは、元はミライヤと同じ平民だったという。それを知って、ミライヤは勝手ながら親近感を抱いていた。いや、ミライヤにとっての『光』と呼ぶべきかもしれない。
平民が、貴族よりも地位の高い称号を与えられたのだ。それまでの、貴族による平民への差別は成りを潜めた……そう、潜めただけ。
どこへ行ったって、結局差別意識は根付いている。それを救ってくれたのが、偶然にもミライヤの『光』が現れ、彼女を救ってくれた。
『キミは大丈夫?』
あの場から救ってくれた、それだけではなく、心配して手まで差し伸べてくれた。恐れ多いことだが、それよりも感激の感情が勝った。
平民である自分を差別しない……それだけで、ミライヤの心は救われた。それだけではない、彼だけでなく、彼と共にいた女性も、ミライヤのことを快く受け入れてくれた。
ノアリ・カタピル。彼女もまた、貴族の中でも上位の地位に位置するいわゆる上級貴族だ。しかしそれを鼻にかけることはなく、ミライヤにも優しく接してくれる。
その後、運良くと言うべきか……騎士学園に入学できたミライヤは、運良く2人と一緒の組になることができた。そのおかげで、組でも孤立せずに済んだ。
学園では、ミライヤも予想のしなかった人物と知り合うこともできた。このゲルド王国王子シュベルト・フラ・ゲルド、その侍女、リエナ、さらにシュベルトの婚約者アンジェリーナ・レイ……
「それから……」
騎士学園でたった2人の平民、寮で同室のリィ。彼女らと出会うことができたのも、この学園に入学したから……そして入学できたのは、あの時ヤークワードとノアリが、力をくれたからだ。
2人に会わなければ、きっとミライヤは、入学試験で早々に脱落していただろう。いつしか、ミライヤにとっての『光』はヤークワードとノアリになっていた。
「ふふ……」
2人の顔を思い浮かべるだけで、笑みがこぼれる。この小包に入っているのは、そんな2人へのささやかなお礼だ。先ほど、買ってきたもの。
そして、小包はもうひとつ……
「ノラム様……」
同じ組にいる、貴族のひとり。突然、彼からお見合いを申し込まれた時には驚いたが……その人柄を知る度に、どんどん惹かれていった。
平民であることを気にもせず、ひとりの女性として扱ってくれる。彼のおかげで、自分がどんどん変われていくのを、感じていた。
その顔を思い浮かべるだけで、胸があたたかくなる。与えてもらってばかりのあの人に、自分からもなにかをあげたい。貴族にとってはこんなもの、安いかもしれないが……それでも、気持ちを伝えたいのだ。
感謝の、気持ちを……
「暗くなっちゃう前に、帰らないとっ」
大切な3人の顔、彼らに早くこれを渡したい。今日はさすがに迷惑だろうから、明日、教室で隙を見て、これを渡そう。
そう、逸る気持ちを抑えられずに早足になる。……だから、だろうか。
「……やあ、見つけたよ」
「……っ!?」
背後から忍び寄る気配に気づかず、回された手で口を塞がれてしまったのは。動きが止まる。誰かに、拘束されている。
声を上げようにも、口を塞がれていて声が出せない。恐ろしくて、後ろを振り向けない。だけどなんだろう、この声、聞き覚えがあるような……
「探してたんだよ、学園にいる間は手が出せない。だからこうして、外でひとりになる時を待っていたんだ。おまけに、人のいない時もね」
「んっ……!?」
なんだこの、神経を逆撫でするような甘ったるい声は。背筋が、まるで虫でも張っているかのよう。
瞳だけを、動かす。周囲に人の気配はない。というか、押さえられた瞬間に人通りのない路地裏に連れ込まれてしまった。
「んん、んっ……!」
「騒がないでくれよ、ボクとしてはキミをここで傷つけたくはないんだ……ミライヤ、ちゃん」
「……っ」
名前を呼ばれた瞬間、ぞわっと背筋が凍る。ミライヤ自身、こうして誰かに恨まれるような覚えはないが……現に男はミライヤの名を呼び、狙っていたと言った。
誰だ……誰だ、誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ……
「ん……っ!」
「やあ、久しぶりだね」
無理矢理、首を後ろへと回される。景色が変わり、背後にいた男の顔が目の前に……視線が、交差する。その顔に、見覚えはあった。忘れるはずもない。
男の名は、ギライ・ロロリア……ミライヤが、入学試験の際に下した、男だ。そして……
「誰にも見られてない、成功だ」
「ん……!」
もうひとり、現れる。その顔にも覚えがある。なにせ、入学試験の直前、ミライヤを平民と罵った男なのだから。ヤークワードに助けてもらわなければ、どうなっていたかわからない。
ガルドロ・ナーヴルズ……ミライヤを精神的に追い詰め、入学試験でヤークワードに敗北した男が、そこにいた。




