難民集落のその後(2)
バルトは驚いた。リル、という名前を出しただけで難民たちみんな目の色を変えたのだから。
「えっと、皆さんはリルをご存じなのですか?」
「ご存じも何も、元々この集落にいた子だ」
「えっ……この集落に?」
その言葉が信じられない。トリスタン様に資料作成を依頼されるような凄腕の地方官吏は、この集落の出身だったということだ。
「いや……ただの同名の人かもしれないですよ」
「あんた、領主様の所から来たんだってな。リルも領主様にお礼が言いたくて、この集落を出て行ったんだ」
「きっと、あんたが思っているリルと私らが思っているリルは同一人物だってことさ」
否定をするが、難民たちは同一人物のリルだと思っているようだ。どうして、それだけの情報でそこまで信じられるのか分からなかった。
「リルのヤツ……とうとうやったんだな」
「えぇ、きっと領主様に会えたのよ。そして、領主様の仕事を請け負うほど、立派になったのよ」
「リルならできるって思ってた!」
難民たちの顔に笑顔が溢れた。みんな、自分の事のように喜び、リルの名前をいう。
正直、未だに同一人物とは思えない。だって、難民から領主様に一目置かれる人物になるためには、相当の努力が必要だ。いいや、努力だけじゃなくて運も必要だ。
とても難しい道を行かなければ、領主様に取り立てられる事はない。その前に、会うことだって叶わない。難しい関門を突破したということなのか?
強く否定したいところだったが、難民たちはリルの話を聞いて盛り上がっている。今の雰囲気に水を差すのも悪い気がした。好きなように話して貰っていると、難民たちがこちらを向く。
「で、リルは今何をやっているんだ?」
「領主様の所で働いているのかい?」
「さぞ、立派になったんだろう?」
リルの事を聞かれた。だけど、知っているのは資料を作成した部分だけだ。難民たちの関心を集める為にも、自分が知っている事を素直に話したほうがいいだろう。
「リル、という人物は会った事はありません。私が知っているのは、今回の事業の事でリルが資料を作ったということです」
「じゃあ、あんたが集落にやってきた理由に直接関係があるということか?」
「はい。頂いた資料にはこの集落の事が詳しく書かれており、難民を町民に戻す案が沢山書かれてありました」
「ということは、リルが私たちの事を思って、色々とやってくれたって事ね。リル……成長したのね」
それだけの話だったのに、難民たちは感動しているようだった。難民たちとリル、どうやら強い繋がりがあるらしい。堕落していた難民の態度をこれほど変える人物……一体どんな人物なんだ?
難民と仲を深めるためにも、話を聞いてみよう。
「リルという人物はどんな人だったんですか?」
「仕事熱心で、自ら進んで色んな仕事をしていた。その姿を見て、一時期俺たちもやる気が満ちたんだ」
「思いやりにも溢れた子でね、周りの人を気遣ってくれる一面もあったのよ」
「辛いことがあったのに、どこまでも前向きに進んでいた。その姿に俺たちも背中を押されたよ」
どうやら、リルはその場にいるだけで人々の心を動かす力があったみたいだ。そんなに影響力のある人物は滅多にいない。とても優れた人物だったと言える。
そんな人物だったら、難民から領主様に取り立てられる可能性も見えてきた。だったら、本当にここに住んでいた難民が領主様の下で仕事をしていたかもしれない。
でも、あの資料は集落にいないと分からない事ばかり書かれていた。てっきり、ホルトに住んでいる地方官吏と思っていたが、認識を改めないといけない。
「資料にはこの集落への思い……というものが強くあったと思います。一人でも多くの難民を町民に戻してあげたい。その気持ちがとても強く宿ったものです」
「そうか……。離れていても俺たちの事を思ってくれていたんだな」
「リルは優しい子だからね。離れていても、私たちの事を考えてくれるとってもいい子なんだよ」
「こんな俺たちの事を今でも思ってくれるなんて……」
資料には所々気持ちの入った文章になっていた。精細な情報が載った資料かと思えば、手紙のような気持ちを表した文章も書いてあった。
今にして思えば、自分がこの事業に直接手を出せない事が悔しいという気持ちが入っているようだった。だからだろう、この資料を読んでくれた人が難民の事を深く思ってくれるようにと配慮されたものになっていた。
あの資料のお陰で難民への見方が変わった。見方が変わると、対応も変わって来る。あの資料があったお陰で、誠実に対応しようという気持ちが生まれ、それが現場でのやりやすさに変わっている。
やはり、リルという人物はこの集落から来た人なのだろう。もし、そうではなくても、そうしたほうが難民に取ってはいい影響になりそうだ。
「資料には何か他に書いてなかったか?」
「私たちへのメッセージとかない?」
「リルの気持ちを聞いておきたいんだ」
難民たちは縋るような目で見てきた。それはただ知りたい、という意味だけじゃない。それを知って、自分の力にしようとしているようだった。ここは、慎重に言葉を選ばなければ。
「あの資料から読み解けるメッセージは沢山あります。難民の皆さんを心から心配していて、現状を良くしたいという気持ちが籠められていました。きっと、リルもこの場所に来たかったでしょうね」
「そこまで俺たちの事を思っていてくれていたんだな」
「集落の事、難民の事、とても詳しく書いてくださいました。お陰で私自身いい影響を受けて、誠実に向き合うことができています。リルの思いが私に移ったかのようです」
「なんか懐かしい感じがすると思ったら、そういうことなのね。私たちの事を思って、そんな風に資料を作ったんだわ」
「資料にはコーバスで実施した難民救済のやり方も書いてありました。そのお陰で、どのように皆さんを町民に戻していくか分かりました」
「なんと……リルはコーバスでも難民救済をしていたのか!」
コーバスで実施された難民救済の事業の詳細を見た。多角的な情報を集め、それを分かりやすくまとめた資料だった。この成功例を見本としながら、ここでも実施していけば難民の数は減らせていけるだろう。
コーバスでのリルの活躍を聞き、難民たちは嬉しそうにしている。すると、こんな言葉が飛び出してきた。
「リルが頑張っているんだ、俺たちも頑張らないと」
「そうよね。リルの話を聞いて、このままじゃいられないって思ったわ」
「離れていても、頑張ろうって言われているような気がしてきた」
リルの話しに触発されて、脱難民を考え始める人が出始めた。まさか、リルの話しをするだけで、ここまで話が進むとは思わなかった。でも、焦らない。ここは慎重に動くべきだ。
「すぐに仕事に行かなくても大丈夫です。まずは体調を整えましょう。しっかり、働くためにも体づくりは大切ですから」
今言ったセリフも資料に載ってあった言葉だ。働くためには、まず体から。その言葉を読んで、最初は意味が分からなかったが、難民のやせ細った体を見て、それがいかに大切なのか分かった。
「ははっ、そのセリフもリルらしいな。リルは体が大事だって言ってたもんな」
「自分の事の方が大事なのに、私たちの事を考えてくれていたものね」
「リルが頑張ってくれたお陰で、食事の量が増えたものな。凄い子供だよ」
難民たちの話を聞いていると、気になる言葉が出てきた。子供?
「あの……リルという人物はもちろん大人ですよね?」
「何を言っているんだ、リルはまだ子供だ」
「何歳だったかしら……。今は十三、いえ十四くらいだったかしら?」
「今はどれくらい大きくなっているんだろうな」
十三、十四の子供!? 嘘だ! あんな精細な資料を作ったのが十三、十四の子供だっていうのか!? 信じられない!
「う、嘘ですよね? リルが子供だなんて……」
「いいや、本当だ。嘘をつくわけがない」
「そ、そんな……は、はははっ」
領主様に取り立てられた大人だと思っていたら、まさか子供だったなんて。未だに信じられなくて、困惑する。……帰ったら、もう一度資料を読み直そうと思った。
◇
その後、難民たちとの顔合わせが滞りなく終わった。最初の掴みは上々で、こちらの話を聞いてくれそうだった。それもこれも、リルという名前が出ただけで空気が一変したからだ。
リルという人物……子供はこの集落にとってかなり重要人物だったことが窺える。名前を出しただけで、すぐに顔色を変えるくらいの力はあった。
でも、中にはリルの名前が効かない人たちもいた。最近起こったスタンピードで新たに難民になった人たちだ。その人たちとリルの接点が無かったから、それは仕方がない。
しかし、資料にはそんな人たちがいることなどお見通しとばかりに、新しくできた難民たちに向けての資料があった。その資料のお陰で初めから躓くことなく、難民たちと交流が持てた。
滑り出しは上々。殆どの難民は好意的に見てくれて、脱難民に向かって進んでいっている。後はそのお手伝いを自分がするだけだ。初めての仕事だから気合が入る。
空回りしないように、資料に書いてあった言葉を逐一思い出すようにした。そうしないと、不遜な態度になってしまう。そうすると、難民たちの心を繋ぎとめることは出来ず、言う事も聞いてくれなくなる。
だから、難民たちへは常に誠実な対応を取った。そのお陰でリルの名前が効く人も効かない人も満遍なく、話すことを聞いてくれる。仕事はとてもやりやすかった。
事業は順調に進み、難民たちは少しずつ社会復帰を果たしていった。そうすると、集落の雰囲気が良くなっていく。働く苦労はあるが、生活にゆとりが出来始めて心に余裕が持てた証拠なのだろう。
それでも、ほんの一部だけ堕落した生活を送る人はいる。今、自分の主な仕事はその人たちに話しかけて、働く気になってもらうことだ。とても難しい仕事だけど、とてもやりがいがある。
集落は確実にいい方向に向かっている。リルという少女の存在がとても良い影響になってくれたからだ。もし、コーバスに戻るようなことがあったら、リルという人物に会ってみたい。
その為にも、この事業は失敗できない。この集落がどんな風に変わり、難民たちが町民に戻ったか、少女に話してみたいと思った。きっと、話しは盛り上がるだろう。
その時の事を楽しみに、今日も自分は集落へ行く。
リルが戻って来る話も考えたのですが、こういう形もいいなっと思ったので、今回の話のようになりました。
次の番外編は四月に更新しようと思ってます。
何を書くのかはお楽しみに!




