113.行商クエスト(4)
昼食と休憩を終えた私たちは再び馬車に乗り道を進む。
私は馬車の後ろから景色を眺めている。町を離れて大分経ったから、そろそろ魔物が現れる地域に突入したらしい。魔物に襲われないように前はファルケさんが確認して、後ろを私が確認する。
ガタゴトと揺れる馬車から眺める光景はとても新鮮だ。討伐の時も景色は見る事があるけど、こんな風にゆっくりと見る事なんてない。
ゆっくりと流れていく景色を見ると心が穏やかになっていく感じがした。朝、あんなに心を乱したのに、心の疲労が癒えていくようだ。
「ふぅ……みんな集落から出て行くんだ」
言葉が零れてしまった。分かっていたけど、分かっていなかったな。そうだよね、みんな集落から出て町で暮らしたくて頑張っているんだ。今更それを変えようとはしないだろう。
少しでも集落に残りたい、って思ってくれるんじゃないかって期待したけど、無理だったみたい。いや、うん……そうだよね、そうだよ。
なーんだ、私だけだったんだな。集落に残りたい、そんな気持ちがあったのは。可怪しいのはみんなじゃなくて、私のほうなんだなって強く思った。
今まで頑張ってきたことを否定するような考えになっちゃったのは、私の弱い心が原因だ。手に入れたものを手放すのがこんなに辛いことだったなんて、分かっていなかった。
ようやく手に入れてた平穏は私を優しく蝕んでいて、気づけばそこから抜け出せなくなった。いつまでも優しさに浸かっていたい、そんな弱い自分がいたことを知る。
じゃあ、抜け出せばいい。分かっているのに、それができないから苦しんでいる。だって、今を続けても何も支障がないんだもの、ただそれで得られない物はあるだけで。
欲しいものにもっと貪欲になれば抜け出せるのかな。絶対にあれが欲しい、絶対に町に住みたい。強く思うけど、心はまったく動かない。
今の私にとってそれだけ集落での暮らしは魅力的なんだろう。朝の配給を楽しく食べて、町までの移動中におしゃべり、誰かが自分のためにお手伝いをして、私も誰かのためにお手伝いをする。
その関係性の温かさは中毒のようだ。始めはありがたい気持ちだけだったのに、知らない内に気持ちが少しずつ大きくなっていった。
それがいつの間にか自分にとって無くてはならないものになったのはいつだったんだろうか。数週間前、数か月前……考えても分からない。
いくら考えても堂々巡りだ。気持ちは簡単には変わらないし、弱い心はすぐには強くなんてなれない。いつか変われるなんて全然思えなくて、焦燥感にかられる。
「はぁ」
ため息が出てしまう。いくら悩んでも答えは出なくて、今では何も知らなかった頃が羨ましく感じた。でも、だからと言って知らなければ良かったなんて思わない。
難民がどれだけの人の力を借りて、集落で生活できているのか知れて良かった。そして、領主さまが先導したお陰だと知って、恩返しになんでもいいから力になりたいと思えたことを否定したくない。
領主さまがいい人で本当に良かった。今の領主さまじゃなかったら今の私は生きていなかったのかもしれない。そう思うと、巡り合わせに心からの感謝はできた。
今、それで終わってしまっている。集落を出てコーバスに行って、恩返しのためにクエストを完璧にこなす……それができない。折角見つけた自分だけの恩返しだったのに、立ち止まってしまった。
難民なんかがそう思うことがおこがましいのかも。与えられるままで良かったのかもしれない、恩返しだなんて大それたことを考えない方が良かったのかもしれない。
だったら、この気持ちは捨てる? 捨てたらスッキリする?
両手を上げて胸に手を置く。そこから気持ちを抜き取るようにギュッと手を握って離す。両手に握った気持ち、頭の上に手を掲げて強く投げ捨てた。
これで気持ちは捨てた。もう私の中にはおこがましい気持ちなんてない。大丈夫、もう大丈夫だから。
ガラガラと馬車の車輪が動く音、蹄の音だけが聞こえる。穏やかな空気の中、穏やかにいける――そう思ったのに気持ちは消えなかった。
小さな熱となって残った気持ちはじりじりと胸を焦がすようだ。焼き切るほどでもなく、燃やし尽くすほどでもない……小さな熱だ。
この思いを背負ったままこのままいくんだろうか?
「リル君」
ファルケさんの声にハッと我に返る。
「前方にゴブリンが3体出てきた。頼めるかい」
「……はい!」
仕事の時間がきたようだ。悩んでいた事を忘れるように頬を叩いて気合を入れた。
止まった馬車から飛び降りると剣を抜き、馬車の前方に駆け寄る。前にいくとDランクのゴブリンが道を塞いでいた。
「私一人で大丈夫です。ファルケさんは馬車の中で隠れていてください」
「分かった」
馬車の前に立ち、剣を構える。大丈夫、いつも通り戦えばいい。
◇
あれから二回の戦闘を挟んだ。特に苦戦はしなかったが、馬車の進行が止まるのが大変だった。馬も魔物が怖いのか、一旦止まると中々動き出さない。
落ち着かせるために撫でたり、水を与えたり、餌を与えたりした。予定していた日に村に辿り着かないんじゃないか、と心配したが予定通りに進んでいるらしい。
馬が止まる事も計算してのあの日程だったらしく、そのことにホッとした。馬車は夕暮れになるまで動き続ける。
真っ赤に染まる空を見上げる。本来なら夕食を食べている時間なのだが、今日は違う。自分のお腹が小さく鳴る音がする。
「見えてきたよ。あの木の下まで行こう」
どうやら予定していた場所があったらしい。後ろからでは見えないが、今日は木の下で過ごすらしい。馬車の中で到着するのを待つ。
馬車は道を外れて進み、しばらく進むと止まった。
「着いたよ。木箱を全部外に出して貰えるかな」
「分かりました」
ファルケさんの言葉を受けて動き出す。馬車に乗せられていた木箱を後ろのほうに移動させる。次に馬車を降りて、一つずつ木箱を降ろしていく。
作業はあっという間に終わりやることが無くなった。ファルケさんを見ると、馬を木に繋いでいる。
「この子に水と餌を与えるんですよね。やりましょうか?」
「あぁ、お願いできるかい。僕は夕食の準備をしているね」
「はい」
木箱に近づき緑色のマジックバッグを出す。
「あ、そのマジックバッグ地面に置いておいてくれないかい?」
「分かりました」
言われた通りにマジックバッグを地面に置く。その中からバケツ、餌の枯草、水の入った小さな樽を出す。それからバケツに樽から水を注ぎ入れた。
バケツを持って馬に近づくと、馬が水の存在に気づいたのか顔を上げる。
「お待たせ、水だよ」
馬の目の前にバケツを置くと、馬はすぐに頭を突っ込んで水を飲み始めた。次に枯草を取りに行き、バケツの隣に山にして置いておく。
ゴクゴクと水を飲む馬の首を手で擦って上げる。
「今日は一日お疲れ様。明日もよろしくね」
そういうと馬は鼻を鳴らした。まるで返事を返されたようでちょっと嬉しくなる。馬を労うようにもう一度首を擦ってあげた。




