111.行商クエスト(2)
出発当日の朝が来た。
いつも通りに起きると、少しストレッチをしてから冒険者の服に着替えて装備を装着する。昨日の内に荷物はまとめておいたので、マジックバッグを背負うだけで準備は完了した。
忘れ物は……うん、ないね。しばらくこの家ともお別れだ、ちょっと寂しいけどまた戻ってくるからね。
それから家を出て広場へと向かう。
広場につくとすでに配給が始まっていた。慌ててお手伝いをするために鍋の傍にいる女衆に近寄る。
「おはようございます。配給代わりますよ」
「おはよう、リルちゃん。大丈夫よ、今日から集落を離れての仕事でしょ。しっかり英気を養っておきなさい」
「そうよ、昨日もその前の日も色々と手伝ってくれたでしょ。もう十分だから、先に食べちゃって」
「ありがとうございます」
みんなの言葉に甘えて先に食べることにした。列に並んで自分の順番を待つと、お椀に具沢山のスープと芋を貰う。それから女性たちの輪に入って配給を食べる。
おしゃべりをしながら食べていると、誰かが近づいてきた。顔を上げて見てみると、そこには以前働きに誘った女性がいた。
「お久しぶり、リルちゃん」
「お久しぶりです。朝の配給に来るのって久しぶりじゃないですか?」
「そうね、あの日以来だわ」
女性は私の隣に座った。手にはお椀を持ち、朝の配給を食べているようだ。今まで昼の配給を食べていたのに、どうしたんだろう?
「朝の配給はいいわね。昼とは違って賑やかで、スープに入っている具も多くて……子供も旦那も嬉しそうに食べていたわ」
顔を上げた女性の視線を追って見てみると、子供の輪に入っている子供と旦那さんの姿が見えた。二人共嬉しそうな顔をしてスープの具を頬張っている。
それは以前の私そっくりでなんだか心が温かくなる。沢山食べれるのって本当に嬉しいよね。
「リルちゃんには言っておきたくてここにきたの。実はね、今日から旦那と一緒に町の中に入って冒険者登録をするの」
「そうなんですね、おめでとうございます!」
町に入るお金と冒険者登録をするお金が貯まったんだね! 話を聞いてとても嬉しくなっちゃった。そっか、とうとう町の中に入るんだな。
「今日から町の中で働けるわ。子供は子供たちの輪に馴染んでくれたことだし、安心して町に行くことができるの」
「それは良かったです」
「それだけじゃない。集落に残った子供にお腹が減った時用にパンを頂いたりしたの」
「良かったですね」
周りの人たちが気遣ってパンを渡したみたい。これで心置きなく町で働けるようになったね、本当に良かった。
「周りの人たちが色々教えてくれたお陰でなんとか働いていけそうよ。働けるきっかけをくれて、本当にありがとう」
その女性がこちらを向いて心からの笑顔を浮かべた。初めてみた時から随分と表情が明るくなってこっちまで嬉しくなってくる。
勇気を出して仕事に誘って良かったな。あのままいたんじゃ何も変わらないだろうし、何よりもお腹を空かせた子供が可哀想で仕方なかった。
「また家族で町に住めるように働いていくわ」
女性の言葉にドキリとする。
「私たちも難民脱却に向けて頑張っていくわね」
この人たちも難民脱却に向けて動き出すんだ。そう思った時、心の中でもやもやとした気持ちが生まれた。
ここにいるみんなは前向きに難民脱却に向けて動き出している。市民権を得るためにお金を貯め、町に住むために必要なお金を貯めている。
集落から出るために頑張っているのに、私は立ち止まってしまった。私が忘れてしまった気持ちを他の人たちは忘れずに持っているのが羨ましい。
みんなは考えないのかな、集落から出るのが嫌だって。協力し合って生きていくこの環境が温かいから抜け出したくないって。
少しも思っていないのかな。それだったら、なんだか寂しい気持ちになる。私だけがそんな気持ちになっているだなんて……
「リルちゃん、どうしたの?」
「あ、いえ……ちょっと考え込んでしまって」
「何か悩んでいることがあるのかしら?」
「珍しいわね」
「聞かせてほしいわ」
私の言葉に反応して他の女性たちも話に入ってくる。この際、聞いてみたらどうだろうか?
「あの、今悩んでいることがありまして。難民脱却に向けて働くのはいいんですが、いざ集落を出ることになった日を考えたら……なんだか怖くなってしまって」
みんなは怖くないんだろうか? 今まで一緒にいた人たちと別れて、まったく新しいところで住むこと。気兼ねなく新しい環境に飛び込むことが本当にできるんだろうか?
言葉を待つ。顔色をうかがっていると、みんな神妙な顔付きになる。そのことについて思うことがあるのは誰だって一緒なんだって感じた。
なら、私と同じ気持ちだということだろうか。少しは集落に残ってもいいと考えてくれているのだろうか。
返答を待っていると、少しずつ声が上がる。
「確かに集落から離れて町に住むっていったら怖気づいてしまうね。ここは環境が厳しいけど、人は温かいと思っているから離れがたいわ」
「そうよね、いざそういう時になったら離れたくなくなっちゃうかもね」
ほら、私と同じ意見があった! 離れがたいのは私だけじゃないんだね、みんなだって同じように思っていてくれるんだ。
「でも、集落は出て行くと思う。だって、そのために今を頑張っているんだから」
「離れがたいけど、離れたくないわけじゃないわ。町に住むことが目標だからね」
次の言葉に私は愕然となった。集落を離れない、その言葉が聞けると思ったのに。その言葉に他の人たちが一様に頷いた光景を見て、さらに愕然となった。
だったら集落から出たくないって本当に思っているのは私だけってこと? みんなは離れがたいって思っているだけで、本当は出て行くのには前向きってことなの?
そう、なんだ。いや、そうだよね。だって、そのために今を頑張っているんだもの、簡単に目標を履き違える事なんてしないよ。
周りの答えを知り、一人で落ち込んでいると周りから声がかかる。
「そんな顔しないでよ、リルちゃん。心配だわ」
「今すぐいなくなるってことでもないから、そんなに不安にならないで」
心配そうに声をかけてくれる。それだけでも心が温かくなって、集落をもっともっと離れがたく感じてしまった。
「ごめんなさい、心配かけて。もう、大丈夫です」
無理やり笑顔を作って、今だけ心に蓋をする。すると、周りの人たちは安心したような顔をしてくれる。うん、これでいいんだ。
ここの温かさを知ってしまったら、本当に離れがたくなる。みんなが優しくしてくれるほどに、私の心はこの場所に縛り付けられているみたいだ。
以前はこんな風じゃなかった。ただ前に進むことができたのに、今はできなくなってしまう。
領主さまの話を聞いてからだ、私が止まってしまったのは。
誰かの助力があるからこそ生きていける境遇だと知ってしまったから、自分のできることを探した。その先で知った自分の気持ちに気づいたから、動けなくなってしまう。
気づかなかったら良かったのかな、そしたら何も知らないまま進めていたのかな。でも、知ってしまったから、あの頃のようには戻れない。
私はどうなっていくんだろう。




