108.見失った目標
クエストを完了した次の日は集落のお手伝い、訓練、一時の休暇に一日をかけた。その次の日、決意を胸に秘めて冒険者ギルドへとやってくる。
朝一番の時間帯だから、冒険者は数えるほどしかいない。その代わりに難民たちが列になって並んでいる。
私も列に並び、後ろに並んだ難民と会話をしながら時間が経つのを待つ。しばらく会話をしていると前が空く、順番が来た。
受付のお姉さんに言われる前に冒険者証を差し出す。
「おはようございます」
「おはようございます。今日はどういった用件ですか?」
ちょっと、ドキドキしてきた。よし、言うぞ。
「あの、領主さまの依頼したクエストとかありますか?」
「領主さま、ですか?」
「はい! 領主さまの依頼を完璧にこなして、少しでも領主さまのお役に立ちたいんです! どんなクエストでも構いません、何かありませんか?」
よし、言えたぞ。ちょっと力み過ぎて、お姉さんが呆気に取られてしまったけど大丈夫かな。
お姉さんは始めは固まっていたけど「少々お待ちください」と言って机にあった大量の紙を確認し始めた。どんな仕事でもいい、どんなに小さな仕事でもいい何か見つかれー。
両手を組んで願う。その間にお姉さんは紙を次々とめくってクエストを確認してくれる。しばらくすると、お姉さんの手が止まった。来たかな?
「リル様」
「はい!」
「申し訳ございませんが、領主さまの出されるクエストはこちらにはありません」
え、嘘。
「えーっとですね、領主さまはコーバスという町に住んでおりますので、離れた町であるここにクエストを出すことは稀ですね」
え、領主さまってここの町に住んでいるんじゃないの?
「あの、ここの町を治めているんじゃないんですか?」
「この町は領主さまに関係のあるお方が代官として治めている町ですね。この町も領主さまの領地ですが、住んでいるのはコーバスという町です」
「そ、そうなんですか」
まさか、領主さまが違う町に住んでいるとは思いもしなかった。そっか、この町を治めているのは領主さまの関係者だったんだね。
「リル様は先日クエストを受けたのが領主さまのクエストでしたね。その関係で希望されたのですか?」
「はい……難民の私たちのために力添えしてくださった領主さまのために何かできることはないかと思って」
「そうなのですね。それでしたら、領主さまのいるコーバスに行ってみるのはどうでしょう?」
私が……コーバスに?
「あちらの事情は分かりませんが、もしかしたら領主さまのクエストが出されているかもしれませんよ。この町で待っているよりは、行動してみたらいかがでしょう」
「……そういう手もありますね」
「はい。それで、今日はクエストを紹介しますか?」
「……いえ、今日は討伐に行ってきます。お話を聞いてくれてありがとうございます」
「気をつけて行ってきてくださいね」
お姉さんにお礼を言って受付を離れた。あ、今日の仕事は討伐に変わったから、昼食買ってから北側の森に行かないと。
私は肩を落としながら冒険者ギルドを後にした。
◇
領主さまの話はショックだ。私はてっきりこの町に住んでいるものだと思っていたから、受付のお姉さんの話が衝撃的だった。
代表者の話を聞いて、自分がどれだけ守られていたのかを知って、領主さまのために何かしたいと強く思った。それは私の中に芽生えた新しい目標。
今まではただ難民脱却のために頑張って来たんだけど、それだけじゃない目標ができたことが嬉しい。でも、その目標がすぐに消えた感じだよ。
こんな難民のために知恵を絞り、町の外でも生活できるように手間をかけてくれて、難民脱却への道を用意してくれた。本当に全て領主さまのお陰だったんだなって強く思う。
何か恩返しがしたい、私ができることはなんだろう。少しでも難民が少なくなるようにみんなで頑張ること? 働いていない人たちの面倒を見て、働くように誘導すること?
考えれば色々できることがある。でも、それだといつもと変わらない。もやもやとした焦燥感にかられるけど、それ以外の手立てが見つからなかった。
私みたいな難民が領主さまのために何かをやること自体が恐れ多いことなのかもしれない。でも、ただ与えられたものを享受するのは嫌だと思った。だって、真実を知ってしまったから。
だったら、コーバスに行く? 領主さまが住んでいると言われている町に移って冒険者稼業をして、領主さまのクエストを完璧にこなして恩返しをする?
それを考えた時、考えが止まってしまった。まるでそれ以上考えたくない、と本能が言っているみたいだ。
だって、コーバスに行くってことはこの地を離れることだよね。時間をかけて慣れ親しんだ場所を離れて、新しい町で真っ新な状態から生きる。
それが自分にできるのか、その先を考えようとすると強い不安が生まれて思考が上手く働かない。そう、私はこの町から離れたくないと思っていた。
ここまできて、難民から脱却するのに躊躇してしまっている現実を見て複雑な思いになる。もっとすんなり受け入れて、喜んで難民脱却をするものだと思っていた。
もし、この町で難民から脱却できたらそれはそれで嬉しいのかな。そのことを考えるが、思ったよりも喜びは湧かなかった。
難民脱却は念願だったはずだ。町の中で家に住み、隙間風のない部屋の柔らかいベッドの上で眠る。そのことを考えるとやる気は溢れてくる、だけど難民脱却のことを考えるとそのやる気も萎んでしまう。
なんだろうこの気持ち。何が私にそうさせたんだろう。難民脱却が嫌だって心のどこかで思っているけど、その理由はなんだ。
難民脱却で私が失うものは……そうだ、集落から出てしまうんだ。私はみんなと協力し合っている今の環境から抜け出すことが怖いんだ。
ここまで築き上げてきた大切な場所から離れるのが嫌だ、怖い。新しいところでも今のようにやっていけるのか自信がない。
集落の環境は決して良くないけど、それを補えるような人たちと一緒に居られるのが私の心の支えだ。頼る親のいない私が拠り所にしているのが、集落に住むみんななんだよ。
あれ、そしたら今まで私はなんで頑張ってきたんだろう。難民脱却のために頑張って来たのに、今となっては難民脱却すら怖いと思ってしまっている。
だったら、ずっと集落に住む? じゃあ、なんのためにお金を貯めているの? なんのために、自分を鍛えているの?
全部、難民を脱却して一人でも暮らしていけるためじゃない。そのために頑張っていたのに、それを全部否定するわけ? 今までの私を否定しちゃうの?
分からない、分からないよ。私はどうしたい? どうなっていきたい? 本当にこのままでいることが、私にとっての幸せなの?
……幸せって何? 難民を脱却すること? それとも気を許したみんなと暮らすこと? ちゃんと目標を決めたはずなのに、どうして今になって見失うの?
私の目標は難民脱却をして町に住むことだったはずなのに、どうしてこんな風に――
「あっ」
目の前の光景を見て我に返った。毎日のように来ていた北側の森だ。
「……討伐しないと」
頭を左右に振って考えていたことを消した。頭の中が真っ白になるまで振ると、先ほどまで戸惑っていた心が消える。
仕事の時間だ、余計なことは今は考えない。深呼吸をして心を無にすると、森の中へと足を踏み入れる。考えるのはエイプとの戦いのことだけだ。
私は現実から逃げるように森へと入った。




