6 伝説の舞台 ※ 〇〇視点
まさかこんな場所でこれほどの舞台を見ることができるとは人生というものは分からないものだ。
おっと失礼、わたしは四宮圭吾。
長年、映画監督をしていたが今は長期の、いや無期限休業中の身だ。
趣味の延長から始めた仕事も早40年以上が過ぎた。
こんなことを言えば「また年寄りが……」と言われるかもしれないが、昔の役者は凄かった。
何というか魂が違うのだ。
ギラギラと生身の、何と言えばいいのだろうか?
そう、生きているのだ!
演技の技術だけでいえば今の役者たちの方がひょっとしたら上かもしれない。
しかし、どうもわたしにはそれが上辺だけのものにしか思えず、演技に引き込まれるということがここ最近はなかった。
言い訳になるかもしれないがそういうわけでわたしはここ最近創作意欲も低下。
メガホンをとることも少なくなり、年齢も年齢ということもあって今や無期限休業という名のプチ引退生活を送っていた。
仕事一筋のわたしにもありがたいことに妻がいて子供がいる。
その子供も結婚してわたしにも孫ができた。
今5歳の女の子で名前を美優という。
それはもう可愛くて可愛くて目に入れても痛くないとはまさにこの子のためにある言葉だろう。
今日はそんな我が孫を連れて田舎のとある集会場で催される子供向けの演劇会に来たわけだ。
ここはわたしの妻の実家があるところで、妻の両親もご高齢ながらまだまだご健在ということもあって年の暮れには三世代揃ってお世話になっている。
田舎ならではの大所帯で今では少なくなった日本の原風景のように思えてそれが楽しかったりするのはわたしも年をとったからだろうか。
前置きが長くなったがそういう経緯で今日は孫娘の付き添いでボランティアの若者たちがする小さな子供たち向けの演劇を見に来たわけだ。
正直、素人の若者たちが小さな子供たち向けにするレクリエーションなわけでその演劇の質に当然のことながら期待なんてしていなかった。
童心に帰って孫娘と一緒に楽しめればと、そう思っていただけなのだが今日のこの体験がわたしの人生を大きく変えることになるとは人生というものは本当に分からないものだ。
劇の題材はオーソドックスな日本の昔話。
浦島太郎だった。
特にアレンジはされていない、子供たちにイジメられていた亀を助けた青年が竜宮城に招待されるという誰もが知っている話だ。
亀役も子供役も主人公の青年役も演じていたのはごく普通の高校生くらいの若者たちだった。
素人にしてはやや演劇慣れしているように見えたから演劇部に入っているか今回のためにしっかりと練習を積んだのだろう。
小さな子供向けの演劇とは思えないほどの熱量だったことに思わずはっとさせられた。
そしてメインの竜宮城のシーン。
ここが問題だった。
現れたのは乙姫様。
乙姫様役をした誰かではない。
まごうことなき乙姫様だった。
絵本の世界からそのまま飛び出してきたかのような美しさ、そして見る者を惹きつける優美な立ち居振る舞い。
まさに人を超越した存在。
どこをどうとっても乙姫様としか表現できない。
彼女が舞台に立った瞬間、世界が変わった。
舞台だけでなく空間全体を支配するかの様な彼女の圧倒的な存在感、。
それだけではない。
周囲を、そして空間を変え、ついにはそれを捻じ曲げあたかも別の場所にいるのではないかと錯覚させそして見る者全てを惹きつける神がかった演技力。
舞台の上には竜宮城を描いたのだろう貧相な書き割りがあるだけだ。
しかし、わたしの目にはこの小さな集会場全体がまさに海の底に広がる竜宮城に見えた。
――異常だ
その異常さにわたしははっとして乙姫様役の女性の顔をまじまじと見た。
そして気付いた。
――どうして貴女がこんなところにいる!?
芸能の世界に身を置いている以上、彼女の存在を知らないということはあり得ない。
子役の頃からその実力は抜きに出ていたが特に数年前からはさらに頭角を現し、今や『神女優』とまで言われる藤嶋紗良だ。
彼女の作品は何度も見たことがある。
全て映像作品で生の演技ではなかったが最近の他の若い役者たちにはないギラギラとした魂のこもった演技をするいい女優だとは思っていた。
しかし!
しかしだ!
彼女の生の演技がこれほどまでとはまったくこれっぽっちも思っていなかった。
彼女の舞台はいつもこうなのだろうか?
いや、今回の舞台が特別なのだ。
そう思わざるを得なかった。
いや、そう思いたかった。
そうでも思わないとこれまで彼女の生の舞台を見ていなかったことがもったいなくてもったいなくて悔しくて悶絶してしまいそうだったから。
だからわたしは今回のこの彼女の舞台が特別なのだと思い込み、そう信じることにした。
これは彼女の一世一代の伝説の舞台に違いないのだ。
元々小さな子供向けの尺の短い劇だ。
劇はあっという間に終わった。
その間、子供たちは口を半開きにしたままぽーっとした表情で舞台をただただ眺めていた。
わたし以外の付き添いの保護者も同じようにしている。
それだけ彼女の演技は、舞台は圧倒的だった。
彼女の演技をテレビドラマで見たことがある者も中にはいたかもしれないが、彼女の演技の魅力の全てを映像で伝えることはやはり難しいのだろう。
今日ほど生の舞台と映像との違いを痛感させられたことはない。
そんなわたしの心を占めた思いは『悔しい』だった。
同じ映像に関わる者としてこれまでの彼女の演技が、魅力が映像を通して伝えきれていなかっただろう事実に気付きそれがどうにも悔しかったのだ。
――だったら俺がやってやろう!
消えかけていた映画監督としての火が再び身体の奥底に灯ったのを感じた。
他の奴らができないのであれば俺がやる!
俺なら神女優藤嶋紗良の演技を、その魅力を余すことなく映像に取り込み、それをそのまま視聴者に届けることができる!
これは彼女からの挑戦なのだ。
『私の演技を映像で余すことなく伝えることができるものならやってみなさい』
舞台の上の彼女からそう言われたように思った。
――上等だっ!
元々俺は負けん気の強いタイプだ。
この40年、大物と呼ばれた俳優とも撮影中に大喧嘩をしたことも数えきれない。
こうしてはいられない。
直ぐに帰って企画を、脚本を作らなければ!
彼女の全てを余すことなく伝えられる作品を作ることが映画監督としてのわたしの最後の仕事だろう。
そう考えたわたしは直ぐに集会場を出た。
妻には悪いが盆だ正月だなんて言っていられない。
直ぐに帰って作品作りを始めなければ。
「あなた、美憂ちゃんはどうしたの?」
「はっ!」
妻の実家に一人で戻り、妻にそう言われてわたしは、はたと気付いた。
(やらかした……)
この後直ぐに集会場に戻って孫娘を無事連れて帰ったのだが、妻と娘からはしこたま怒られた。
わたしは『急に仕事が入った』と言って逃げるように自宅へと戻った。
この借りは必ず返すぞ!
待っていろよ藤嶋紗良!
こうしてわたしは正月返上で新たな仕事を始めることになった。
こうして作り始めた作品は、後日、無事に彼女を主演女優として迎えて撮影することができた。
そして完成したこの作品は映画監督四宮圭吾の最高傑作と呼ばれることになるのだが、それはまた別の話だ。




