2 代役 ※ 水無月啓一視点
年末に帰省をしてサヤちゃんと会う予定にしていた俺だがサヤちゃんから一つ頼まれごとを受けていた。
それは年末に地域の子供たちを相手に劇をするので俺にもちょい役ではあるが劇に参加して欲しいというものだった。
他にも同年代の連中はいそうなものだが田舎の年末は忙しい。
おせちづくりに大掃除。
田舎の家は大概大きいので本気で掃除をしようと思えばそれこそ人手はいくらあっても足りない。
そんなわけで俺にもお声が掛かったというのが事の次第だ。
で、その劇の練習のため、友人の藤嶋慎吾の家に来ていたんだが、突然現れた人物の登場に俺は固まってしまった。
「サラ、急にどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないでしょう! 劇の練習するなら私も誘ってよ」
「いや、地域でやる子供向けの演劇だぞ? そんな本気で練習するような、ひっ……」
突然現れた慎吾の彼女さん、本名は知らないが芸名、藤嶋紗良さん。
凄い女優さんで慎吾の幼馴染で彼女さん、なんだが、今もの凄い形相で慎吾を睨んでいる。
これが有名女優の存在感か……
何というか目力が凄い!
正に視線で人を射殺すといった感じだ。
「いい? 慎ちゃん、劇に偉いも偉くないもないの。大劇場でやる劇だろうが、小さな公民館でやる劇だろうが役者はその舞台に全力を尽くすの。それができない奴は三流、いえ、役者ですらないわ」
慎吾は青ざめた顔でコクコクと2度ほど大きく頷いた。
「分かればよろしい。そういうわけで水無月くん、私が来たからには安心していいわ。私があなたをナンバーワンにしてあげる」
いや、別に誰かと競うとかそういうことは一切、これっぽっちもないんですけど?
『啓一、すまん、話を合わせてくれ』
『了解』
スイッチの入った紗良さんを刺激するのは悪手だという共通認識の元、慎吾とヒソヒソとそうやりとりをして俺は大女優様の即席演劇レクチャーを受けることになった。
「まあ、いいでしょう。これなら及第点ね」
「つっ、疲れた……」
窓の外が夕焼けの赤に染まる頃。
俺は紗良さんの指導からようやく解放された。
姿勢や発声の基本から演劇の身振りや手振りといったことまで事細かく指導を受けた。
いや、正直、演劇舐めてました。
「ふふっ、でも所詮は付き焼き刃だからね。役者への道はまだまだ長いわよ」
いや、ホントにそんな大それたことは考えてませんのでもう勘弁してくれませんかね?
床に敷かれた敷物の上に座ってぐったりしているとスマホに着信があった。
メールやメッセージではない、電話だ。
俺が他の二人に視線を送ると二人は『どうぞ』というジェスチャーをしたので俺は直ぐに電話に出た。
『もしもし、啓一さんですか?』
電話の主は俺の婚約者、九曜沙耶香からだった。
「どうしたの?」
『それがちょっと困ったことになってしまいまして……』
サヤちゃんによると年末の劇をやる参加者の二人がインフルエンザに掛かってしまったそうだ。
子供たちにうつしてもいけないので大事をとって症状が治まっても劇には出ることができないということで急遽劇は中止になりそうだという話だ。
「そうか、それは残念だね……」
もうちょっと早くに分かればなー、と思わなくもないが今日は今日で得難い経験になったことは間違いないのでそれはそれでいいか、と思ったところで俺たちの会話を傍で聞いていた紗良さんが何かを思いついたような表情を浮かべた。
「ねぇ、慎ちゃん。年末年始に行きたいところがあるの」
「へっ? だって人混みが嫌いだから家でゆっくりしようって」
「たまには田舎に行ってみない? そうね~、水無月くんところのご実家があるところとかどうかしら?」
紗良さんはそう言うと俺のスマホをひょいと取り上げた。
「初めまして、水無月くんの婚約者さん、でいいのかしら?」
突然紗良さんが会話に入ったためサヤちゃんは大混乱。
危うく浮気の疑いを受けそうになったがそこは今どこで何をしているのかを話してきちんと紗良さんの彼氏である慎吾にも電話に出てもらって何とか難を逃れることができた。
まったく、ここ最近で一番心臓に悪かった。
で、どういう話になったかというと……
「私と慎ちゃんが代役としてその劇に出ることになりました」
「やったねお兄ちゃん、役者デビューだ!」
部屋での大騒ぎを聞きつけて野次馬的にやって来た優ちゃんに紗良さんが胸を張ってそう報告した。
そう、何と慎吾と紗良さんがわざわざうちの実家のある地域にまで来て演劇の代役をしてくれることになったのだ。
というか大女優様、ギャラは払えませんよ?
そもそもそんなに暇なんですか?
まあ、芸能人は年末年始はハワイに行く人も多いらしいのでそれを思えば別に不思議はないのか、ないのか?
そう思いながら慎吾と紗良さんを見る。
「というわけで私が参加する以上、半端な舞台にはしないわよ。今日から特訓ね」
「「え゛っ」」
「まあ、水無月くんはちょい役だし今日はもう頑張ったからあとは仕上げだけね。大事な役をやる慎ちゃんはこれから特訓よ」
急遽代役が必要となった二人の役どころはなんと主役級の役どころだった。
ふふっ、腕がなるわ~といった表情の紗良さん。
まあ、さっきの練習で慎吾には台本読みに付き合ってもらっていたのですんなりとできるだろう。
運よく俺は追加の特訓を回避することができたようで一安心だ。
「サラさん、今日は俺もちょっと疲れたかなーって」
慎吾が遠慮がちに紗良さんにそう伝えたが紗良さんは笑顔のままだ。
その笑顔がちょっと怖い。
「大丈夫、今夜は寝かさないわ」
「ヒューヒュー、お兄ちゃんたち、熱いねー」
紗良さんを煽る優ちゃん。
うん、いつもの藤嶋家だ。
「じゃっ、じゃあ、もう遅いので俺はここで。詳細はまた連絡するからっ」
「あっ、啓一! お前、待てよ! 俺一人にするなんて、ああっ……」
啓一が紗良さんに掴まれたところで俺は脱兎のごとく部屋から逃げ出した。
慎吾が何か言っているようだが聞こえない聞こえない聞こえない……
慎吾すまん、強く生きてくれ……
俺はこうして急いで藤嶋家から逃げ出した。
しかしそれにしても年末年始はいつもとは違って騒がしいものになりそうだ。
そういえばサヤちゃんには慎吾の彼女が大女優の藤嶋紗良だとは言ってないけどまあいっか。




