65 小さな日常 雨の日は 後編
ちょっと時間は戻って、図書館にて。
「なあ、テオドール。雨が降りそうだからそろそろ帰らない? お前の部屋でレポートの続きしよーぜ」
「……雨。だけど、カミーユは僕の家に入れないよ?」
「えっ!? まだダメなのかよ、そろそろ許してくれよぉ、俺シルフィアちゃんと仲良くしてるだろ!?」
「ダメ。僕がシルフィアを泣かせた奴を許すと思う? それより雨が降ってくるならサッサと終わらせるよ」
「なんで? どうせ通り雨だろ、こうなったら止むまでのんびりやろーぜ」
「カミーユはそうすればいいけど、僕はシルフィアが迎えに来たら帰りたいんだ」
「えっ、徒歩15分の距離を、わざわざ馬車を仕立ててシルフィアちゃんが迎えにくんの!?」
「いや。多分、徒歩で来ると思う。先日、彼女専用の雨具を用意したから」
手元の紙に視線を落としサラサラとペンを走らせながら呟いたテオドールに、分厚い書籍の塔を挟んで隣に座っていたカミーユの目が据わった。
「…………ああ、なるほど。それで珍しく俺の誘いに乗ってくれたんだ。お前のことだから、今日の天気を知った上で、雨の中を歩くのにちょうどいい距離の図書館に誘われたから来たんだな?」
「……いや? 僕もちょうど調べたいことがあったからだよ」
嘘つけ、無駄にキラキラしい笑顔で誤魔化そうったってそうはいかねえ、と頬を膨らませたカミーユの前にテオドールが一冊の本を開いて差し出した。
「ほら、この部分読んでまとめて。それから、こことここが重要だから覚えておいて。あとは、これとこれとこの本を読んでおいたらいいと思う。じゃ、これ以上僕から言うことはないからね」
テオドールはカミーユの前にドンドンドンと大きく重量のある本を積んでニッコリ笑うと、青ざめる友人をそのままに自分の本を読むことに集中し始めた。
しばらくして、必死に本にかじりついているカミーユとは対照的に優雅な所作でページをめくっていたテオドールのところへ護衛のフリッツがやって来て後ろからそっと耳打ちした。
「テオドール様、シルフィア様が来られました」
ちょうど最後の行を読み終わったテオドールは、パタンと本を閉じて立ち上がった。そして、少し考えるように頭を傾けた後、悪戦苦闘しているカミーユへ顔を近づけて小さく声を掛けた。
「カミーユ、シルフィアが迎えに来てくれたから僕は帰るね。それから、どうしてもできなかったら、シルフィアの好きなお菓子を持ってうちにおいでよ」
「えっ、いいの!?」
「実を言うとシルフィアが気にしてるみたいなんだよね。彼女が落ち込むのは僕の本意じゃないから」
目を丸くしたカミーユへ、じゃ、頑張ってね、と軽く手をあげてから本を抱えて返却カウンターへ向かったテオドールにフリッツが素早く走り寄ってささやいた。
「テオドール様、本は俺が返しておくので先に玄関に行ってください。シルフィア様がテオドール様に会わずに帰ると仰っていて、待っていてくださいとお願いをしてきたのですが……」
その言葉にテオドールは目を見開いて立ち止まり、次いでドンとフリッツの腕に本を預けると、明るい日差しが届き始めた玄関へ足早に向かった。
大きな大理石を組んで作られた図書館の入り口では、スラリと背の高い小麦色の髪の動きやすい服を着たルイーゼが周囲を警戒し、直ぐ側にいる彼女の肩までの背丈しかないシルフィアが一部だけ結い上げた白金の髪を揺らしつつ恨めしそうに雨上がりの青空を見上げていた。
透き通った淡い青色のレインコートを着たシルフィアはそのまま空に溶けていきそうで、テオドールの心はざわめいた。
■■
石畳にできたたくさんの水たまりに空が映って、それぞれ小さな世界があるみたいだ。なのに、どれもこれも晴れた空の青が映り込んでいる。この中に一つくらい、雨の世界があってもいいのに。
見上げた空にも雨の気配はなくなっていた。
「シルフィア様、晴れてきましたよ! よかったですね」
隣のルイーゼの弾んだ声とは反対に、私の気分はずんと落ち込んだ。
「…………そうですよね。雨が上がるのは嬉しいことですよね」
……だけど、今は。
「シルフィア!」
馴染んだ声が耳に飛び込んできて、私は手の中の傘をぎゅっと握り直した。顔を声のほうへ向けると、焦ったように走って来るテオが見えた。
テオの邪魔にならないようにフリッツさんに傘を渡して帰ろうと思ったのに、引き止められてしまった。それでも雨が降っているなら堂々と渡せたのに、晴れてしまってはテオの勉強をただ止めさせただけで、何をしに来たのかさっぱり分からない。
「テオ。その……傘を、雨が降ってきたので傘を届けに来たのです。でも、晴れてしまったのでこのまま持って帰ります。テオはここでお勉強を続けてください」
沈み込みそうな気持ちを必死で引き上げ笑顔を作って見上げれば、雲の切れ間から覗く太陽みたいに明るく笑うテオの顔があった。
「僕は通り雨のおかげで、早くフィーアに会えてすごく嬉しい。それに、また雨が降るかもしれないから、傘があると安心だよ。雨の中、届けてくれてありがとう、フィーア。ルイーゼも」
その優しい言葉で心がふわっと軽くなる。
……そっか、雨はまた降るかもしれない。ということは、私がここに来たことは無駄ではなくて、ちゃんとテオの役に立ったってことだよね?
なんだか飛び跳ねたい気持ちになって、私は握りしめていた傘を勢いよくテオへ差し出した。
「テオ、傘をどうぞ! これで、いつまた雨が降っても安心ですよ」
「ありがとう、フィーア。せっかくだから、今からデートしようか」
傘を受け取ったテオが素早く私の手を握ってにっこりと笑った。
……今、テオはデートって言った? 帝都に戻ってきてから初めてだ、嬉しい! だけど。
「テオ、カミーユ様とのお勉強は……」
「ちょうど終わったんだ。ほら、オルゴールの宝箱がいっぱいになったって言ってたよね、新しいものを探しに行こう」
なんて魅力的な誘い。本当にテオはいつもこうやって私のしたいことを叶えてくれる。これを断る理由なんてどこにもない。
私はテオの指をきゅうっと握り返して、彼の薄青の瞳を真っ直ぐに見返した。
「とっても、行きたいです」
「僕も。じゃ、決まりだね」
そのまま手を繋いで歩き出す。私が持っていたはずの傘は、いつの間にか2本ともテオの腕に掛かっていた。
「フィーア、そのレインコート似合ってるね」
「ありがとうございます! これを着て雨の中を歩いたら本当に濡れなくて、楽しいです。テオと一緒に選んでよかったです」
「うん、二人で色々相談しながら決めると君の好みが分かって興味深かったよ。そうだ、今度雨が降った時は僕と出掛けようね」
「はいっ」
雨の上がった街はキラキラしていて、いつもと違う匂いがしていた。水たまりを避けつつ歩いているといつの間にか、以前オルゴールを買った露店街に着いていた。真っ直ぐ伸びている通りは前に来たときと同じように大勢の人で賑わっている。
そういえば、布製の屋根だけのお店なのに、雨でも商っているんだ。水漏れしないのかな、と商品の上に張ってある色とりどりの布をじっと見ていたら、テオが傘を掛けた腕をスッとそちらへ伸ばした。
「ここの屋根は防水仕様なんだ。だから、多少の雨なら店を開けていられる。フィーアのレインコートと同じようなものだと考えてもらえれば」
「そうなのですか!? 」
私はテオの指が差している赤い布の屋根を眺めて、次に自分の着ているレインコートを触ってみた。
……ツルツルしてる。屋根もこんな感じなのかな。
すると、摘んでいた布地にポツンッと水滴が散った。どこから落ちてきたのかと首を巡らせても、頭の上には空しかない。ということは。
「テオ、また雨が……」
手のひらを上に向けてポツリポツリと落ちてくる雨を受け止めていたら、視界にパッと薄青の布が広がった。
「雨が降ってきたけれど、フィーアの持ってきてくれた傘があるからこのまま歩こうか」
ニコッと笑って私の傘を差し出したテオに、大きく頷き返す。
「はいっ、私が持ってきた傘が役に立って嬉しいです」
フィーアのおかげだね、と私のものより一回り大きな自分の傘を広げたテオが、ふと私の手元を見てうなだれた。
「ああ、傘を差すとフィーアと手が繋げないのか……」
「だけど、テオとお揃いの傘が差せて私は嬉しいです!」
テオと並んで同じ色の傘をクルリと回す。その瞬間、頭の中に元気なチェレステさんが浮かんで私は声を上げた。
「テオ、私は食堂で夕ご飯を食べて帰りたいです。来る途中にお店の前を通ったらいい匂いがしていました」
自分のやりたいことを、こうやってはっきり言うのはまだちょっとだけドキドキする。でも、私の言葉を聞いたテオは、弾けるような笑顔になった。
「いいね、そうしよう! フィーアが希望を言ってくれるなんて、本当に嬉しい」
テオがこんなに喜んでくれるなら、次に自分の気持を言う時は、きっとドキドキしないだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
雨の日もお気に入りの雨具があれば楽しい! シルフィアさんと
いついかなる時も妻がいれば幸せなテオ君でした。




