41、夫は毛を逆立てる
「・・・だからね、私は帝国皇帝のたった一人の子供で男子だったから周囲の期待と圧力がそれはもう酷かったワケ。で、ストレスが溜まりすぎて自己崩壊しかけた時にフラフラと母のドレスを着てみたらアーラ不思議、自分じゃない誰かになった気がして落ち着いたの。それから自室ではずっと女装してるわ」
結局、護身術の練習はお休みしてオネスト殿下と朝食を摂ることになった。殿下は姉妹水入らずで、と二人を希望したがテオが猛反対して三人になった。
屋敷に近い庭の木陰にセットされたテーブルには美味しそうな朝食がのっていて、早朝の涼しい空気の中で鳥達が楽しげにさえずって飛び回っている。
殿下がサラダを食べつつ私に女装の理由を説明してくれ、私はなるほどと深く頷いた。その横で無表情のテオが、パンをブチッと千切って口に放り込んだのが見えた。それから、彼はじっと手の中のパンを見つめ、今度は小さく千切って私の口元に差し出した。
「フィーア、これ美味しいよ。食べてみて?」
「・・・あ、コレ、好きな味です!」
「よかった。はい、次はお茶を飲んで」
「ハイ」
「野菜も食べて」
「ハイ」
「口を拭いて」
・・・なんだろう、いつも以上にテオが構ってくる。
拭いてと言いつつ、自らナプキンを手にして私の口を拭いているテオの目は真剣だ。私は彼に言われるがまま、されるがままになっていたが、ふと視線を感じて顔を向けると殿下の目が点になっていた。
「私は朝から何を見せられているのかしらネー。テオは昔から弟妹の世話をよく焼いていたけれど、妻にもべったりなのネ」
私と目があった殿下は、笑顔で頷きながら私達を観察している。
じっと見られるのは落ち着かないので、そろそろ私を構うのはやめてくれないだろうかとテオに目配せしたつもりが、逆にグイッと引っ張られて抱き込まれてしまった。
・・・テオ?! 食事中ですよ?!
「いいですか、こうやってシルフィアに触れられるのは夫の僕だけですからね? 羨ましいなら殿下もとっとと結婚してください、今すぐ」
どこか切羽詰まった響きを含んだその言葉に、殿下が顔を顰めた。
「イヤよ。テオだって知ってるでしょ? 私はこの趣味があるから結婚するどころか、婚約すらしていないって。そりゃ、周りはうるさいけれどまだ二十半ばだし、大体、この趣味を理解してくれて皇太子妃になれる身分の女性なんて・・・」
そこで言葉を切った殿下が私をじいいいっと見つめてきた。それに気づいたテオは殿下から隠すように、ますます力を入れて私を抱きしめてくる。
・・・二人とも、どうしたの?
テオの腕の中で困惑している私を殿下が指差して叫ぶ。
「いたわ、条件に当てはまる人!」
「当てはまりません! シルフィアは僕の妻で既婚です!」
「・・・冗談よ、分かってるわヨ。さっきも言ったように、私はまだまだ結婚したくないのよネー。でも」
また言葉を切って、今度は苦虫を噛み潰したような表情になった殿下が盛大なため息をついた。
「周りはシルフィアを放って置かないかもしれないな。特に、側近共は」
急に男らしい言葉遣いになった殿下に目を瞬かせていたら、上からもため息が聞こえてきた。
「でしょうね。殿下の趣味を知っていて嫌がらず、殿下自らも可愛がっている妹。でも実は血は繋がっていない元小国の姫君なんて、あっという間に皇太子妃候補ですよ。殿下が興味を持った女性と知れれば、重臣達は既婚だろうがなんだろうが帝国の威光を振りかざしてあっという間に離婚させて殿下と結婚させるでしょうよ。だから、会わせるのは嫌だったんだ」
テオが凍りつくような声で吐き捨て、私はその内容に震えて彼にしがみついた。
無理矢理テオから引き離されるなんて、考えただけで絶望する。
だけど、成程な、と呟いた殿下は直ぐに笑顔になった。
「でもそれは無用の心配よ! 私はまだまだ婚約者も妻もいらないの。私が欲しかったのはただひたすら可愛がれる妹だからネ」
「それ、貴方の周囲には通じないでしょ」
「ソウネ・・・」
ちょっと遠い目をした殿下に同情した。どうやら、帝国は皇太子妃探しに躍起になっているらしい。本当に相手が既婚でも離婚させればいいという傲慢な考えを持っているのなら、危険極まりない。
だけど、夫が女装するのは、そんなにダメなのかなあ? 例えばテオが女装したらとても似合いそうで、私は見てみたいくらいなのだけど。
そこで、ふと気がついた。
ディーも条件に当てはまるのではないのだろうか? 殿下が急に現れた時も全く動ぜず、『オネスト姉様、ご機嫌よう』と挨拶していたし。
「あの、ディーは大丈夫なのですか?」
「ああ、ディーはね、大丈夫。以前、打診と言うか決定事項のように文書が送られてきた時に父が激怒して皇帝陛下と側近に一筆書かせたからね。彼女の意思を無視して結婚させられることはない・・・ああ、そうか」
テオの顔が明るくなって、そうネ、と殿下も頷いた。
「殿下、『シルフィアを結婚相手とみなさない』と一筆書いてください」
「そうしよう。流石にもう私の署名でも、側近共は黙るだろう」
「それから、約束を違えた時の条件を入れておきましょう。『二度とシルフィアに会わない』がいいですね」
「えっ?! それ、側近が無理矢理私とシルフィアを結婚させた場合の罰則ヨネ?!」
驚きすぎて声が裏返るオネスト殿下に、テオが真顔で返した。
「そうですよ。これなら、手が出せないでしょう?」
確かに、結婚しても相手に会えないのなら何の意味もないけど・・・。
「まあ、僕はどんな手段を使っても離婚を阻止しますが、予防策は多いほうがいいですからね」
なんとも不敵な笑みを浮かべて言い切ったテオに、殿下は引き攣った笑いをこぼした。
■■
「・・・で、ここへ来た本当の目的は何だったのですか?」
外出のため、着替えて廊下へ出たオネストは背後から呼び止められて振り向いた。真正面に先程までとは打って変わって沈んだ目をした灰色の髪の従兄弟がいた。
「・・・やあ、テオ。お前だけか? シルフィアは?」
「この後、僕と遠乗りに行くので着替えに行きましたよ。だから、気兼ねなくどうぞ」
さっと周囲を窺ったオネストに、テオドールが言外に早くしろと急かす。
「もちろん、我が妹に会いに来たのだよ?」
緑の瞳をきらめかせて答えたオネストに、テオドールが片眉を上げた。
「そんなことで帝国皇太子が国を出られるわけがないでしょう」
「ハハッ、事実なんだがな。まあ、他にも用がないこともない」
やっぱり、と身構えたテオドールの肩にオネストが手をおいて顔を近づける。
「お前はシルフィアをここに閉じ込めてしまうのか?」
「閉じ込めるとは、人聞きの悪いことをいってくれますね」
スウッと目を細めて冷気を放つ男に動ずることなくオネストは続けた。
「この屋敷に入ったら、妹は次期公爵夫人としてこの国の社交界で必死に生きていくしかない。調査書を見たが、あの子は生まれてからずっと狭い世界で無知の檻に閉じ込められていた。社交界で生きていくのに自信も経験も圧倒的に足りていない」
テオドールもそれは分かっているのだろう、無表情で黙っている。
「そりゃ、公爵夫人やディーがいるから社交界でいじめられたりすることはないだろうが、そこも結局狭い世界だ。あの子にはもっと広い世界で様々なことを見聞させてやりたいと思わないか?」
「僕だってそのつもりですが?」
「それにはこの国は狭すぎるだろう」
何が言いたい? と目線だけて先を促すテオドールにオネストは大げさに両手を広げ訴えた。
「テオ。お前、学院を卒業したら、この国の大使として帝都で暮らさないか?」
「ええ? 唐突すぎますよ。それに、大使なんて僕みたいな若輩者がやるものではないでしょう」
「年齢は関係ないぞ? 現に今の大使は老年だが少々自分勝手が過ぎる上に仕事が手抜きで評判がひどく悪い。イメージ刷新で若くて人気のあるテオはどうかという話になっていてな」
「聞いてませんよ」
「本当はお前の父の公爵はどうだという話になっていたのだが、『妻に慣れない土地で苦労をさせる気はない』と断られてな。では、帝国出身の妻を持つテオがいいのではということに」
「まさか、どこまで話が通っているのですか?!」
「お前の父からこの国の国王陛下まで、かな」
ほぼ決定じゃないか、と額に手を当てたテオドールは最後の抵抗のように呻いた。
「もう少しシルフィアの様子を見てから決めさせてください・・・」
「いいだろう。雪が積もる頃までには決断してくれ。あ、帝国ではもうお前が次の大使だと思われているからな。」
「・・・」
「ああ、そうだ。誓約書も書いたし、シルフィアに安心して城に来いと伝えておいてくれ。両親も会いたがっている」
「・・・」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何事も警戒するに越したことはない。




